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瀬戸内今昔物語  作者: 森村征爾
第二章 高校生編
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第三十六話 用事の無い口実

十二月に入り瀬戸内の空は冬の色へ変わり始めていた。

朝の海沿いは風が強く海岸から吹く冷たい潮風が制服の隙間から入り込んでくる。

道場へ向かう途中、湊は何度も手を擦り合わせた。 朝練の時間帯は特に冷える。

弓を握る指先の感覚も鈍く思うように身体が動かない。


「寒っ…。」 吐いた息が白い。

巻藁の前では池田主将の声が響いていた。

「佐倉!肩が浮いとる!」


「はいっ!」

返事をしながらも集中しきれない。 理由は自分でも分かっていた。

隣で矢を拭いていた新古が苦笑する。

「最近ずっと顔緩んどるぞ。」


「はあ…。」


「二人、うまくいってるんか?」

その聞き方に湊は少し眉をひそめた。


「それ、新古の質問だよな?」


「そうだけど?」


「……いや、すまん。勘違いしてた。」

松沢さんに探りを入れられているのかと思った。

最近、女子弓道部の視線が妙に鋭いのである。


新古は呆れながら笑う。

「被害妄想強すぎやろ。」


湊は誤魔化すように弓を引いた。

「まあ、会えてないけどな。」


「電話は?」


「最近は毎日。」


「ほう。」


「勉強大変みたいやから、あんまり長電話は我慢してる。」


「我慢?」

新古が嫌な笑い方をする。


「週にどれくらい電話しよるん。」


「週に……七日。」

「毎日やないかい!」

道場に響くくらいの声だった。


「…。」


「重症やな。」

呆れられているのに否定出来ない。

電話をしないと落ち着かない。

声を聞くだけで安心する 、けれど電話を切る度に会いたくなってしまう…。


それが最近の悩みだった。


湊は逆に聞き返した。

「そっちはうまくいってるんか?」


「うーん…まあな。」

新古は珍しく歯切れが悪い。

「波がある。」


「波?」


「機嫌悪い日とかあるやろ。」


「松沢さん優しいけど怖いからなあ…。」


「お前、それ本人に言うなよ?」

二人で苦笑い。

新古は矢筒を肩に担ぎながら、

「会える時は会った方が良いぞ。電話だけやと分からん事もある。」


「……。」


その言葉が妙に残った。


確かに最近は電話ばかりだった。学校が違うから仕方ないと思っていた。


でも、本当は会いたい。


新古が道場の出口へ向かいながら振り返る。

「用事無くても会えばええやん。」


その言葉に湊の動きが止まる。


用事が無くても…。


文化祭の後、電話する理由を探していた自分を思い出した。

好きな相手の声を聞きたい。なら会いたいも同じなのかもしれない。


帰宅後、夕飯を食べ終え自室へ戻った。


時計は夜九時。

今日も電話してみよう。


数回のコール音。


「あ、湊?」

この声が聴きたかった、嬉しくなる。


「今、大丈夫?」


「うん、大丈夫やよ。」

受話器の向こうから参考書をめくる音が聞こえる。


「勉強中やった?」


「んー、休憩してた。」


湊は深呼吸した。

「あのさ。」


「ん?」


「今度の日曜…。」

そこまで言って言葉が止まる。

理由が無い。

何を口実に会えば良いのか分からない。


すると沙織が先に笑った。


「湊君は、もしかして誰かに会いたいのかな?」

全部見透かされていた。


「……うん。」


「誰?」

クスクスと笑っている沙織。


「…沙織ちゃん…。」

呟く湊。

電話の向こうで小さく笑う声が聞こえる。


「名前、やっと言える様になったね。」


その言葉だけで、冬の寒さが少し消えた気がした。

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