第四話 いつもと違う夏
「湊、今度の花火大会、出店で型抜きやろうや」
朝の教室で、昇が椅子を引きながら言った。
八月も終わりに近づき、教室には夏休み前とは違う空気が流れていた。
窓の外では蝉が鳴き続け、古い扇風機がぎいぎい音を立てながら首を振っている。
「また型抜きか」
湊は机に頬杖をついたまま答える。
「去年、お前途中で割ったやろ」
「昇が机揺らしたけんや」
「人のせいにすんなや」
昇が笑う。
昇は最後の夏の大会で結果を残した。
県大会では予選落ちだったが、本人はどこか吹っ切れた顔をしていた。
「まぁ、やり切ったけんな」
その言葉に、湊は曖昧に頷くだけだった。
自分にはまだ、「終わった」という感じがなかった。
悔しいのか。
諦めたのか。
続けたいのか。
それすら、うまく整理できていなかった。
窓の外を見る。
運動場の向こうには、少しだけ海が見えた。
夏の光が水面に反射している。
月末には、三津浜花火大会がある。
毎年、昇たちと出店を回るのが楽しみだった。
型抜き。くじ引き。フライドポテト。焼きそば。
港沿いに並ぶ屋台の灯りを見るだけで、「あぁ、夏が終わるんやな」と思う。
「今年も人多いやろなぁ」
「そりゃそうやろ」
「お前また綿菓子だけで腹いっぱいになるなよ」
「ならんわ」
そんな話をしていると、教室の入口から声がした。
「佐倉君」
湊が振り向く。
そこに立っていたのは山内沙織だった。
「あ……」
昇がすぐにニヤつく。
「ほな、俺向こう行っとくわ」
「なんでや」
「邪魔したら悪いやろ」
「勝手に決めんなや」
昇は笑いながら教室の後ろへ行ってしまった。
山内さんは少し困ったように笑っている。
教室の中を風が通り抜け、カーテンがふわりと揺れた。
「今度の花火大会さ」
「うん」
「佐倉君、行くん?」
「まぁ、毎年行っとるけん」
「そっか」
そこで会話が止まる。
チャイム前のざわめきが聞こえる。
山内さんは少し迷うように視線を落としてから、小さく言った。
「……私も行くんよ」
「おぉ、ほうなんや」
「うん」
また沈黙。
けれど、不思議と嫌な感じはしなかった。
渡し船で話した日から、少しだけ空気が変わった気がしていた。
山内さんは教室の窓際を見る。
「花火大会の日って、港すごい匂いするよね」
「匂い?」
「イカ焼きとかソースとか…でも人の匂いが一番強いかなあ。」
「あぁ、わかる」
「あと海の匂い」
湊が笑う。
「全部混ざっとるやつやろ」
「そうそう」
山内さんも笑う。
その笑い方を見ると、湊はなぜか少し安心した。
「じゃあまたね」
そう言って教室を出ていった。
その背中を、湊はなんとなく目で追ってしまう。
「おいおい」
後ろから昇の声がした。
「何見よんや」
「別に」
「顔赤いぞ」
「暑いだけや」
昇は大げさに笑った。
チャイムが鳴る。
生徒たちが慌てて席へ戻っていく。
先生が入ってくる直前、窓から風が吹き込んだ。
その風には、ほんの少しだけ秋の匂いが混じっていた。
湊はふと、今年の花火大会は去年までとは違う気がした。
理由はまだ、自分でも分からなかった。




