第三話 渡し船
八月になり、水泳の大会はすべて終わった。
結果は残せなかった。
小学三年生から冬場はスイミングスクールに通い夏の大会上位を目指してきた。
けれど六年生になる頃には、もう差ははっきりしていた。
背の高い選手、大きな手、伸びるフォーム。
湊は泳ぐたび、自分だけ置いていかれている気がしていた。
大会が終わった帰り道。
湊は俯いたまま歩いていた。
気づけば、港山駅まで来ていた。
家からはかなり離れている。
けれど対岸へ渡る船に乗れば、そこから家は近かった。
「はぁ……」
ため息が漏れる。
渡し船を呼ぶためのボタンを押す。
対岸で、小さな船がゆっくり動き始めた。
待っていると。
「こんにちは……」
後ろから声がする。
「はぁ……」
湊は返事をしない。
「ねぇ! こんにちは!」
「……ん?」
振り返る。
同じクラスの女子だった。
顔は知っている。
けれど名前がすぐに出てこない。
「佐倉君の家、対岸やろ?」
「どしたん? 港山に用事あったん?」
話す気分じゃなかった。
「別に……」
湊はぶっきらぼうに返す。
女子は少し困ったように笑った。
「私、同じクラスの――」
「あぁ、山内さんやろ」
言葉を遮るように湊が言った。
「春先、後ろの席やったけん覚えとる」
言ってから、少し言い方がきつかったかもしれないと思った。
でも山内沙織は、なぜか嬉しそうに笑った。
「名前、覚えてくれとったんや」
渡し船が岸に寄る。
船頭が手を上げた。
「どうぞー」
二人は船に乗り込む。
小さな船はエンジン音を鳴らしながら、ゆっくり海を渡り始めた。
潮風が吹く、その中にソースの匂いが混じっていた。
「ええ匂い……」
湊が呟く。
「あ、これ?」
袋を持ち上げた。
「港山駅前で三津浜焼き買うたんよ」
「佐倉君、食べる?」
「ええんか?」
思わず顔を上げる。
「肉そばやん!」
さっきまでの態度が急に申し訳なくなった。
山内さんは少し笑う。
「そんな好きなん?」
「そりゃ好きやろ」
船は三分ほどで対岸へ着いた。
降りるとすぐ近くに釣具屋があり、その前には古い長椅子が置かれていた。
「なあ」
湊が言う。
「一緒に食べよや」
それから少し間を置いて、小さく続けた。
「……さっき、ごめん」
「態度悪かった」
俯いたまま謝る。
山内さんは笑った。
「気にしてないけん」
二人は長椅子に座り、ひとつの三津浜焼きを分けて食べ始めた。
湊は割り箸を半分にして、反対側を山内さんへ渡す。
「いやいや」
山内さんが笑う。
「気にしいやなあ」
「かまんかまん」
そう言って普通に食べ始めた。
山内さんは少し日焼けしていて、髪には少し癖があった。
小柄で、どこかでみたことがある女子だった。
食べ終わる頃になると、湊はぽつぽつ話し始めていた。
大会のこと、勝てなくなったこと、
頑張っても届かなかったこと。
気づけば、なぜ港山駅まで歩いてきたのかまで話していた。
山内さんは黙って聞いていた。
目の前には港には漁船が戻ってきている。
「中学でも、水泳するん?」
「わからん……」湊は下を向く。
「体格、全然違うけん……」
半分泣きそうな顔だった。
山内さんは少しだけ海を見たあと、静かに言った。
「嫌いになったわけやないんやろ?」
「……うん」
「なら、続けたらええやん」
湊が顔を上げる。
「負けても、好きなら頑張ったらええと思うよ」夕方の海が揺れていた。
その言葉は、潮風みたいに静かに湊の中へ残った。




