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瀬戸内今昔物語  作者: 森村征爾
第二章 高校生編
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第三十四・五話 松沢さん(サイドストーリー)


佐倉君が好きだった。

最初は中学二年の頃。 席替えで隣になったのが始まりだった。


「おはよう、松沢さん。」

毎朝、当たり前みたいに挨拶してくれる。

それだけなのに嬉しかった。

佐倉君は誰にでも優しい。

けれど笑う時だけ少し寂しそうだった。

水泳を辞めてからだと後で知った。

窓際で外を見ている横顔、 体育の時間にぼんやり空を見上げる姿。

友達と笑っているのにどこか遠くへ行きそうな雰囲気。


放っておけなかった…。悲しげな顔がたまらなく好きだったから。


けれど中学の頃は話す勇気なんて無い。 私はただ隣の席から見ているだけだった。

そんなある日、進路希望の紙が配られた。

佐倉君が北方高校を希望している。

その文字を見た瞬間、私の進路も決まっていた。


家では「本当に北方でいいの?」と聞かれたけれど、本当の理由なんて言えるわけがない。

高校に入学してから、佐倉君は弓道部へ入った。 だから私も弓道部へ入った。

弓なんて触ったことも無いのに。

でも道場に居れば佐倉君を見られる、それだけで良かった。


入部してからの佐倉君は中学の頃よりずっと楽しそうだった。

弓を引く姿は真剣で的を見る目が怖いくらい鋭い。

なのに普段は抜けている。

そのギャップがずるかった。

女子部員の間でも佐倉君の話は多かった。

試合で活躍し始めてからは特に…。


その度に私は少しだけ焦った。


そんな中、一番嫌いだったのが池田主将だ。

厳しい。 怖い。 声が大きい。

巻藁で何度も怒鳴られている佐倉君を見るたび腹が立った。


「また池田先輩怒ってる。」

「厳しすぎるよね。」

女子部員で悪口を言い合って盛り上がる時間だけが救いだった。

けれど、どれだけ怒鳴られても佐倉君は弓道を辞めなかった。

悔しそうな顔をしながら、それでも弓を引き続けていた。


だから余計に好きになった。

大好きになった。


夏を過ぎた頃には、もう自分でも隠せなかった。

視線が追いかけてしまう。

声がすると反応してしまう。

他の女子と話しているだけで苦しくなる。


そんなある日だった。

「松沢さん、ちょっと良いかな。」

突然、佐倉君から声を掛けられた。

頭が真っ白になった。

練習前に人気の無い柔道場横の通路。

西日が差し込んでいる中、佐倉君は落ち着かない様子で頭を掻いていた。


「その…。」

何かを言おうとして止まる姿に私の

心臓の音がうるさかった。


とうとう来た…。

ずっと夢見ていた瞬間だった。

私は先に言ってしまった。


「私も好きです。」

言った瞬間、自分でも何を言っているのかわからなかった。

けれど、もう止まれなかった。

佐倉君は目を丸くしていた。

それから少し困ったように笑い、


「ありがとう。」と言った。

その時、何かがおかしいと気付いてた。

でも気付きたくなかった…。


ありがとう。

その言葉だけで私は幸せになれた。

だから文化祭の日、 西方高校の制服を着た女の子が佐倉君の隣を歩いていた時、 胸の奥が冷たくなった。


楽しそうに笑っている…。

自然に名前を呼んでいる…。

まるで最初から隣に居るべき人みたいに…。


新古君から好きだと言われ、必要とされる自分が居るのだと嬉しかったし今も...多分好きだと思う。


でも、西方の制服を着た女の子と並んでる姿を見た瞬間、蓋をした感情が止まらなくなった。

西方の女の子から手渡されたクリームパンは私と佐倉君の思い出なのに。


悔しかった。

負けたくなかった。

だって…私の方がずっと好きだと自信があった。

でも、もう佐倉君の中には私は居ない…。

あの西方の女の子にはかなわない。


ずるいよ…、佐倉君。

ずるいよ…。

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