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瀬戸内今昔物語  作者: 森村征爾
第二章 高校生編
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第三話 憧れ

第三話 憧れ



弓道部へ入ってから朝が早くなった。

始発に近い渡し船へ乗り、眠気が残るまま学校へ向かう。 朝の港は静かで、制服姿の学生たちもまだ眠そうだった。

道場へ着く頃には空気は少し冷えている。

一年生の仕事は多かった。

床掃除。 的場の土ならし。 矢の回収。 先輩たちへの挨拶。

道場へ入る先輩へ

「おはようございます!」 と頭を下げ続ける。

朝から走り回ってばかりだった。

それでも、不思議と嫌じゃなかった。

壇上で見たあの姿。

静かに弓を引き、 誰も動けなくなるような空気を作る先輩たち。

早く、自分もああなりたかった。

同じ学年で入部したのは十人。 二年生は八人。 三年生は五人。

試合へ出られるのは五人だけだった。


一年生のうちは試合へ出られないかもしれない。

けれど弓道は、ほとんどが高校から始める武道だ。 水泳みたいに小さい頃から続けてきた差はない。

チャンスはある。

湊はそう思っていた。

一年生はまだ弓に触れさせてもらえなかった。


夕方も道場の床を雑巾で磨く。 的場の土をならす。 先輩が来れば立ち止まって挨拶をする。

それが終われば、今度は走る。

とにかく走る。

学校の外周。 坂道。 階段。


「弓道ってこんな走るんか……」

最初は皆そう言っていた。

けれど先輩は、

「下半身が出来とらんと弓は引けん」 と笑うだけだった。


放課後、張り詰めた空気を纏い始める。

道場は静寂の中、動作と共に同じ音を繰り返す。

足を開く時の摩擦の音。

矢の金属の音。

弦に矢をかける音。

大きく弦を引く音。

弦の震える音はやがて 矢羽が風を裂き、的に静かに吸い込まれる音。


湊は掃除をしながら、その姿を何度も盗み見ていた。


早く引きたい。

早くあの場所へ立ちたい。

その気持ちだけで毎日の走り込みに耐えていた。

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