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瀬戸内今昔物語  作者: 森村征爾
第一章 少年編
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第九話 年末の港町


年末が近づき、三津浜商店街は慌ただしくなっていた。

魚屋の前には正月用の蒲鉾が並び、八百屋にはみかん箱が積まれている。


店先からは演歌やクリスマスソングが混ざって流れ、商店街の天井には色褪せた飾りが揺れていた。


港から吹く風は冷たい。


湊は片目を細めながら歩いていた。

数日前から「メボ」ができている。

まぶたが腫れ、視界が狭かった。

自転車に乗るのも危なく、今日は母親に連れられて商店街の眼科へ来ていた。


眼科へ行くのが嫌なわけじゃない…。


ただ、母親と一緒に歩いているところを同級生に見られたくなかった。

もう子どもじゃない。

そんな気持ちだけは強くなっていた。

待合室にはストーブが置かれ、独特の薬品の匂いが漂っている。

湊は診察券を握ったまま黙って座っていた。

すると隣の母親が、何気なく言った。


「帰りに、たい焼き買うて帰ろか」


「……うん」

湊は小さく頷く。

本当は、メボを切るのが怖かった。

診察室へ呼ばれるたび心臓が跳ねる。

けれど母親の前では強がれなかった。

全部見抜かれている気がする。

診察が終わる頃には、外は少し暗くなり始めていた。


「終わった終わった」

母親は気楽そうに言う。

湊は片目を押さえながら眼科を出た。

冷たい風が頬に当たる。


「痛かった?」


「別に」

本当はかなり痛かった。

けれど素直には言えない。

二人で商店街を歩く。

湊は少しだけ母親と距離を空けて歩いていた。

その時だった。


「湊! はよ来なさい!」

商店街に響くような大声。

周囲の人が少しこちらを見る。


「……容赦ない。」

湊が小さく呟くと、母親は振り返ってニヤッと笑った。

完全にわかってやっている。


「あ、佐倉君!」

後ろから声がする。

振り返ると、山内沙織と母親が買い物袋を持って立っていた。


「あ……」

山内さんは白いマフラーを巻いていた。

吐く息が白い。


「佐倉君こんにちは」

山内さんの母親が笑いながら会釈する。

夏祭り以来だった。

相変わらず綺麗な人だな、と湊は思う。


「夏祭りの時はありがとうねぇ」

「怪我した沙織を、わざわざ送ってくれて」

そう言って頭を下げられる。


「べ、別にあれくらい……」

湊は慌てて視線を逸らした。

照れ臭い。

「へぇ」と、湊の母親がニヤついていた。

母親同士はすぐに話し始める。

商店街のおばちゃん同士みたいに、途切れなく喋っている。


「佐倉君、メボできたん?」

山内さんが顔を覗き込む。

「あぁ」


「ウチも先月できたんよ」

「切ったけど痛かったぁ」

「……痛い?」

少し心配そうな声だった。


湊はすぐに言い返す。

「こんなん、すぐ治るわい」

本当はまだジンジン痛む。

けれど、なぜか母さんや山内さんの前では強がってしまう。


「湊! 行くかね!」

母親がたい焼き屋の方から呼んでいる。

どうやら話は終わったらしい。


「ほなね」


「またね」

湊は軽く手を上げ、母親の方へ向かった。

商店街の電気屋では、大きなテレビにクリスマス特番が映っている。

赤い衣装の芸能人たちが騒ぎ、子どもたちが店先で立ち止まって見ていた。

冬の夕方の匂いがする。

母親は上機嫌のまま、たい焼きを次々袋へ入れてもらっていた。


「え、そんな買うん?」


「ええやん」

結局、十個も買ってくれた。

紙袋から甘い匂いが漂う。


「湊、えらかったね。男の子や。」

帰り道、母親がぽつりと言った。


「……何が?」


「何でも」

そう言って笑う。

湊には、理由がよく分からなかった。

けれど、白い袋を持つ手だけは妙に温かかった。

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