第9話「この夜が、ずっと続けばいいのに」
第9話です。
今回は花火大会。
これまで積み重ねてきた「3人でいる時間」の中でも、ひとつの大きな節目になる回です。
にぎやかで楽しい時間のはずなのに、どこか終わりの気配が混ざっている。
そんな夜を描いています。
何気ない会話や仕草の中にある、小さな変化を感じてもらえたら嬉しいです。
八月の夜は、昼の熱を少しだけ残したまま暗くなる。
駅を出た瞬間から、もう人が多かった。浴衣姿の人たち、うちわを持った家族連れ、屋台の袋を提げたカップル。川沿いの花火大会に向かう流れが、そのまま街全体を押しているみたいだった。
「やば、人多すぎだろ」
玲が笑いながら言う。
「まだ会場ついてないのに、もう祭りって感じする」
「玲、今日ずっとテンション高いね」
美咲が少し呆れたように笑う。
「そりゃ花火大会だぞ?」
「子どもかよ」
陸が言うと、玲は「こういう日は子どもみたいになるのが正解なんだよ」と返した。
たぶん、本当にそう思っているんだろう。
今日の玲は最初からずっと浮かれていた。待ち合わせの時点で妙に機嫌がよくて、屋台が見えた瞬間にはもうそっちに気持ちが飛んでいるのがわかるくらいだった。
三人で花火大会に来るのは初めてだった。
今まで話に出たことは何度もあったけれど、予定が合わなかったり、天気が悪かったりして、ちゃんと来られたのは今年が初めてだ。
「とりあえず何か買おうぜ」
玲が言う。
「まだ始まってもないし」
「いや、こういうのは雰囲気が大事だから」
「毎回それ言うよね」
美咲が笑う。
屋台が並ぶ通りは、思った以上に人で埋まっていた。焼きそば、たこ焼き、りんご飴、かき氷。ソースの匂いと甘い匂いと、少し焦げた匂いが混ざって、祭りらしい空気を作っている。
玲は迷いなく焼きそばを買い、美咲は迷った末に冷やしパイン、陸は結局無難にフランクフルトを選んだ。
「選び方に性格出るな」
玲が言う。
「どこが?」
陸が聞く。
「俺は王道。陸は安定。美咲はちょっと洒落てる」
「冷やしパインのどこが洒落てるの」
「なんか祭り慣れしてる感じあるじゃん」
「ないよ」
美咲は笑いながら、串を少し持ち上げる。
「ただ暑かっただけ」
「それでパインに行くの、ちょっと強いだろ」
「玲はすぐ“強い”とか言うよな」
陸が言うと、玲は「だって強いし」とよくわからない返しをした。
三人で歩くたびに、人波に少し押される。
玲が前にいて、美咲がその少し後ろ、陸が二人を見失わないようにしながらついていく形になる。
それは自然な並びだった。
玲は何も考えずに前へ進む。美咲はその勢いに笑いながらついていく。陸は少し後ろから、その二人をちゃんと見ている。
今まで何度も繰り返してきた距離だ。
なのに今日は、その形がいつもより少しだけはっきり見える気がした。
「見て、あれ」
美咲が屋台のくじ引きを指さす。
「昔こういうの、絶対一回はやってたよね」
「わかる」
玲がすぐに言う。
「で、だいたい微妙な景品当たる」
「一等とか当たってる人見たことない」
陸も笑う。
「でもたまにやりたくなるんだよな」
「玲、やれば?」
美咲が言うと、玲は少しだけ本気で迷った顔をした。
「え、ありだな」
「本当にやるの?」
「こういうのは勢いだろ」
結局、玲は五百円を出してくじを引いた。結果は、思った通りというか何というか、微妙に大きい光るブレスレットだった。
「いらねえ」
玲が即座に言う。
「いや、お前が引いたんだろ」
陸が笑う。
「でも似合うよ」
美咲が言って、玲の手首に半ば無理やり巻きつける。
安っぽい青い光が点滅して、玲は「うわ、だせえ」と言いながら笑っていた。
その顔を見て、美咲も声を上げて笑う。
陸もつられて笑った。
本当に、それだけで十分楽しかった。
たぶん、こういう時間が好きなんだと思う。
特別なことをしているわけじゃない。ただ一緒にいて、どうでもいいことで笑っているだけなのに、妙に記憶に残るような時間。
「そろそろ場所探した方がよくね?」
陸が川沿いの方を見ながら言う。
「たしかに」
美咲もうなずく。
「もう結構埋まってそう」
「よし、いい場所ハンター玲に任せろ」
「その肩書き初めて聞いた」
「今ついた」
玲は得意げに言って、人混みを少し早足で進み始める。
その背中を追いながら、陸は少しだけ息を吐いた。
玲がいると、迷わなくて済む。
どこへ行くか、何をするか、次に何を言うか。そういうものを先に決めてくれるから、流れに乗るだけでちゃんと楽しい場所までたどり着ける。
それはたぶん、玲のすごいところだ。
場所取りはなんとか川の見える斜面の端に落ち着いた。
人は多いけれど、花火を見るには十分な位置だった。少し窮屈で、隣との距離も近い。でもこういう日の近さは、そこまで嫌じゃない。
三人で並んで座る。
川の向こう側にはまだ明るさが少し残っていて、夜になりきる前の青い空が広がっていた。
「なんかいいな」
玲が言う。
「こういう、始まる前の時間」
「わかるかも」
美咲が小さく笑う。
「まだ始まってないのに、もう楽しい感じする」
「玲、今日はずっと楽しそうだよな」
陸が言う。
「そりゃそうだろ」
玲は当然みたいに言う。
「花火大会って、それだけで特別じゃん」
その言葉に、美咲は少しだけ玲を見た。
「玲って、こういう日の楽しみ方うまいよね」
「何それ」
「ちゃんと全力で楽しんでる感じ」
「だって楽しいし」
「それが自然にできるの、いいなって思う」
玲は少し照れたように笑って、「まあ、でも今日は三人だからな」と言った。
何気ない言い方だった。
でも、その言葉は陸の中に少しだけ残る。
今日は三人だから楽しい。
その通りだと思う。
たぶん、誰か一人いなかったら違う夜になっていた。
それくらい、この三人の形はもう自然だった。
最初の花火が上がったのは、その少しあとだった。
低い音が体の奥に響いて、次の瞬間、夜空に大きな光が開く。
「うわ」
美咲が小さく声を上げる。
玲は何も言わずに見上げていた。陸も同じだった。
花火が上がるたび、川沿いにいる何千人もの視線が一斉に空へ向く。歓声が遅れて上がって、光が消える頃にまた次の音が響く。
大きい。
きれい、というだけじゃない。夜の空に一瞬だけ形を作って、すぐに消えるその感じが、妙に胸に残る。
玲は花火を見ながら、変なことを考えていた。
こういう時間が、ずっと続けばいいのに、と。
自分でも子どもっぽいと思う。でも、本当にそう思った。
美咲は笑っていて、陸もちゃんと楽しそうで、自分もたぶん今すごく機嫌がいい。
それで十分なはずなのに、こういう時ほど終わることを考えてしまう。
隣で、美咲が小さく「すごい」と言った。
その声は本当に素直で、玲は少しだけ嬉しくなる。
その反対側で、陸は静かに空を見上げている。
たぶん陸も楽しんでいる。でも、玲みたいにそのまま表には出さないだけだ。
それぞれ違うのに、ちゃんと同じ場所にいる。
それが妙に大事に思えた。
花火が続く。
金色の大きなやつ、青が滲むやつ、最後にぱっと細かく散るやつ。見たことのあるはずの花火なのに、今日はどれも少し違って見えた。
「なあ」
玲が小さく言う。
「来てよかったな」
「うん」
美咲がすぐに答える。
陸も少し遅れて、「そうだな」と言った。
その返事だけで、もう十分だった。
しばらくして、混雑が少し増してきた頃、後ろから押されるような人の流れができた。
「ちょ、危ない」
玲が反射的に立ち上がりかける。
その拍子に、美咲の肩が少し揺れた。
人混みの中では、それくらいはよくあることだったのかもしれない。でも玲は、ほとんど考えるより先に美咲の手首をつかんでいた。
「大丈夫?」
その声は、さっきまでより少しだけ低かった。
美咲は一瞬驚いた顔をして、それから「うん」と笑う。
「平気」
玲はすぐに手を離した。
本当に一瞬だった。
でも陸は、その動きをちゃんと見ていた。
見てしまった、という方が近いかもしれない。
別に不自然じゃない。人混みの中なら、誰だってそうする。玲に悪気も下心もないことくらい、陸にはわかっている。
それでも、胸の奥に小さな痛みみたいなものが残った。
花火はまだ続いている。
次の大きな音が鳴って、空に白い光が広がる。
美咲はまた花火を見上げていた。
玲も同じように空を見ている。
二人とも、もうさっきのことをそこまで気にしていないように見える。
陸だけが、少しだけその場に取り残された気がした。
楽しい。
本当に楽しい夜だ。
それなのに、このままじゃだめだ、とも思う。
何がだめなのかは、うまく言えない。ただ、この三人のまま、ずっと同じではいられない気がした。
花火のクライマックスが近づいて、歓声が少しずつ大きくなる。
連続で上がる光が夜空を埋めて、一瞬だけ川沿い全体が昼みたいに明るくなった。
その明るさの中で、三人は同じ空を見ていた。
たぶん、今この瞬間だけ見れば、何も変わっていない。
仲のいい三人が、ただ花火大会を楽しんでいるだけだ。
でも本当は、少しずつ違うものを見始めている。
玲は、この楽しい時間が終わることを惜しんでいた。
美咲は、笑いながらも心のどこかで、このままでいいのかなと考えていた。
陸は、同じ景色を見ながら、このままじゃ届かないと思っていた。
最後の大きな花火が、夜空に開く。
川面に光が揺れて、歓声が重なって、すべてが一瞬だけ混ざり合う。
そのあとで訪れた静けさは、始まる前より少しだけ深かった。
「終わったな」
玲がぽつりと言う。
「うん」
美咲が答える。
陸は何も言わなかった。
人が一斉に動き始める。帰るための流れができて、ざわめきがまた現実に戻っていく。
玲は立ち上がって、「帰り、はぐれんなよ」といつもの調子で言った。
美咲が「それ玲が一番危ないでしょ」と笑う。
陸も小さく笑った。
ちゃんと、まだ笑える。
それでも、今夜の花火みたいに、この時間もずっと同じ形ではいられないんだろうと思った。
最初で最後なんて、誰も言っていない。
来年だって、また来ようと思えば来られるのかもしれない。
でも、同じ三人で、同じ距離で、同じ気持ちのまま見る花火は、たぶんもう二度とない。
八月の夜風は少しだけぬるくて、
人混みの熱気もまだ残っていて、
それでもどこか、夏の終わりみたいな気配がした。
第9話を読んでいただきありがとうございます。
この回では、「楽しい時間のピーク」と「終わりの予感」を同時に描いています。
・玲は今この瞬間を純粋に楽しんでいる
・美咲はその中で少しだけ迷い始めている
・陸はもう、このままではいられないと気づいている
同じ景色を見ていても、それぞれが違うものを感じています。
また、何気ない動作や距離感の中に、三角関係がはっきりと見え始めています。
そしてこの夜は、3人にとってひとつの区切りになります。
次回は、いよいよ関係が動く回。
これまで溜めてきたものが、言葉や行動として表に出てきます。
引き続き読んでいただけると嬉しいです。




