第8話「将来と、選べないもの」
第8話です。
今回は「将来」についての話。
これまでの何気ない日常とは少し違い、現実的なテーマが入ってきます。
三人で過ごす時間は変わらないようでいて、それぞれが違う方向を見始めるきっかけにもなります。
玲、美咲、陸。
それぞれの“これから”が少しだけ見える回です。
いつもより少しだけ真面目な空気を、感じてもらえたら嬉しいです。
六月に入ると、大学の空気が少しだけ変わった。
目に見えて何かが変わるわけじゃない。でも、講義の合間に聞こえてくる会話の中に「インターン」とか「エントリーシート」とか、そういう言葉が増えていく。
三年生になった実感は、とっくにあったはずなのに、その言葉たちはそれをもう一段階現実に引き寄せてくる。
そんな中で、三人はまたファミレスにいた。
前に会ったときと同じ席、同じような時間。だけど話す内容は、少しだけ違っていた。
「なあ」
玲がドリンクバーのコップを置きながら言う。
「そろそろ就活とか、やばくね?」
「急に現実の話するじゃん」
美咲が少し嫌そうに笑う。
「今まで避けてたのに」
「いや、なんか最近みんな言ってるし」
玲は椅子にもたれながら言う。
「俺らも三年だしなあって」
「まあ、そりゃそうだけど」
陸が静かにうなずく。
少しだけ間が空いた。
こういう話題は、誰かが軽く触れても、すぐに深くなる。
だから玲は、いつものように少し崩す。
「働きたくないでござる」
「出た」
美咲が笑う。
「急にキャラ変わるやつ」
「いや、正直な気持ちだから」
「それはみんな思ってるよ」
陸も少しだけ笑う。
「でもやるしかないからな」
「それが一番つまんねえ」
玲はそう言いながらも、完全にふざけているわけではなかった。
話題を軽くしているだけで、気にはしている。
ただ、どう考えていいかわからないだけだ。
「二人はさ」
玲がふと聞く。
「なんかやりたいこととかあんの?」
その問いに、一番先に答えたのは美咲だった。
「私は……雑誌の編集とか、やってみたい」
玲が少しだけ身を起こす。
「編集?」
「うん」
美咲はストローを指で回しながら続ける。
「人の話を聞いて、それを文章にしたり、形にする仕事っていいなって思ってて」
「へえ」
玲は素直に言う。
「なんか美咲っぽいな」
「そう?」
「うん。なんかちゃんと聞いてくれるじゃん、人の話」
「それ、ただ話聞いてるだけじゃん」
「それができるのがすごいんだよ」
玲は何気なくそう言った。
それは本音だった。
美咲は誰の話もちゃんと聞く。適当に流さないし、変に否定もしない。その上で、少しだけ言葉を返してくる。
それが自然にできる人は、意外と少ない。
「陸は?」
玲が視線を向ける。
陸は少しだけ考えてから答えた。
「建築、かな」
「お、かっこいいやつきた」
玲が言う。
「なんで?」
「形に残るものがいいなって思って」
陸はグラスを少し動かしながら言う。
「建物って、そこにずっとあるじゃん。人が使って、生活して、その中にいろんな時間が積み重なっていくっていうか」
玲は少し黙って聞いていた。
「なんかいいな、それ」
「まあ、まだちゃんと決まってるわけじゃないけど」
「でも方向あるじゃん」
玲は笑う。
「二人ともちゃんとしてんな」
その言葉は、軽く言ったつもりだった。
でも口にしたあとで、少しだけ自分に引っかかる。
ちゃんとしてる。
じゃあ、自分はどうなんだ。
「玲は?」
美咲が聞く。
「え?」
「何やりたいの?」
その質問は、今まで何度か聞かれたことがあるはずだった。
でも今日のそれは、少しだけ違って聞こえた。
「俺?」
玲は少しだけ考えるふりをする。
「俺は……」
そこで一瞬、言葉が止まる。
何も浮かばないわけじゃない。でも、どれも本気で言える気がしなかった。
「なんか向いてるやつでいいわ」
結局、そう言って笑う。
いつも通りの言い方。
「それ一番危ないやつ」
陸が言う。
「なんとなくで決めると後で困る」
「いやでもさ」
玲は少し肩をすくめる。
「やりたいことがある方が珍しくね?」
「まあ、それはあるけど」
美咲が言う。
「でも、全く考えないのも不安じゃない?」
「不安っていうか……」
玲は少しだけ言葉を探す。
「なんかピンとこないんだよな」
それは正直な感覚だった。
二人の話を聞いて、いいなとは思う。でも自分がそこにいるイメージが湧かない。
「玲ってさ」
美咲が言う。
「意外と何でもできそうだけどね」
「雑だなあ、それ」
玲は笑う。
「一番困るやつじゃん」
「でも本当にそう思うよ」
「何でもできるは、何も決まってないと同じだぞ」
陸が言う。
「それはちょっとある」
美咲も苦笑する。
そのやり取りの中で、玲はふと自分の中にある違和感に気づく。
二人は、ちゃんと先を見ている。
まだ決まっていなくても、どこかに向かっている感じがある。
それに比べて、自分はただ今を楽しんでいるだけなんじゃないか。
それが悪いとは思わない。
でも、急にその差がはっきり見えた気がした。
「じゃあさ」
玲はわざと軽く言う。
「俺って何向いてると思う?」
冗談みたいに聞いた。
でも半分は本気だった。
美咲は少しだけ考える。
すぐに答えなかった。
「……人を楽しませること、じゃない?」
「ざっくりしてんな」
玲は笑う。
「でも玲って、場の空気変えるのうまいじゃん」
「それはわかる」
陸も言う。
「一緒にいると楽になるっていうか」
その言葉に、玲は一瞬だけ言葉を失う。
嬉しい。
でも同時に、それが“仕事”としての答えじゃないこともわかる。
人を楽しませる。
それは確かに自分の一部かもしれない。
でも、それで何をするのかまでは見えない。
「なんかさ」
玲は笑いながら言う。
「めっちゃいいこと言われてる気がするけど、全然将来見えないな」
「まあ、それは……」
美咲も少し困ったように笑う。
「でも、そこから考えるのもありじゃない?」
「考えるかあ」
玲はグラスを手に取る。
「将来とか、めんどくせえな」
「出た」
陸が言う。
「さっきと同じこと言ってる」
「いやでも本音だから」
玲は水を一口飲む。
その冷たさが、少しだけ頭をすっきりさせた。
将来。
仕事。
これから先。
今まであまり深く考えてこなかったことが、急に現実として目の前に出てきている。
それでも、この場はいつもと同じように続いていく。
美咲が次のメニューを見て、陸がそれにツッコミを入れて、玲が適当に乗る。
三人の会話は、変わらず軽くて、自然で、楽しい。
それなのに、
その楽しさの奥に、少しだけ違うものが混ざり始めている。
それぞれが違う方向を見始めているような、
そんな感覚。
ファミレスの外は、まだ明るかった。
六月の空は、少しだけ夏に近づいている。
三人の時間も、同じように少しずつ変わっていくのかもしれない。
玲はそんなことをぼんやり考えながら、
「まあ、なんとかなるだろ」と、いつもの調子で笑った。
その言葉が、本音なのか、ただの癖なのかは、
まだ自分でもよくわからなかった。
第8話を読んでいただきありがとうございます。
この回では、「将来」というテーマを通して、三人の立ち位置の違いを描いています。
・美咲は言葉で人と関わる道へ
・陸は形に残るものを作る道へ
・玲はまだ何も決まっていない場所にいる
これまで曖昧だった差が、少しずつはっきりしてきました。
そして玲にとっては、初めて“自分だけが決まっていない”という感覚を持つ回でもあります。
それでも三人の時間は続いていく。
その中で、それぞれが何を選ぶのか。
次回は、感情が大きく動く回になります。
少しずつ積み重ねてきたものが、形になり始めます。
引き続き読んでいただけると嬉しいです。




