第5話「2人だけの時間と、言わないこと」
第5話です。
今回は、初めての「2人だけの時間」。
これまで何度も一緒にいたはずなのに、少しだけ違う空気になります。
テーマは「玲について」。
3人でいると見えないものが、2人になることで少しだけ見えてくる回です。
何気ない会話の中にある、ほんの少しの変化を感じてもらえたら嬉しいです。
講義が一つ空いた午後。
キャンパスの奥にあるベンチは、昼を過ぎると人が減る。
「玲、今日は来ないんだっけ」
美咲がペットボトルの蓋を開けながら言った。
「うん。ゼミの説明会があるとかで」
陸はスマホをポケットに戻しながら答える。
「そっか」
それだけのやり取りで、会話が一度止まる。
静かなわけじゃない。
周りでは人が歩いているし、遠くで誰かの笑い声も聞こえる。
でも、このベンチの上だけ、少しだけ空気がゆるい。
「なんか、変な感じだね」
美咲が言う。
「何が?」
「玲いないの」
「たまにあるだろ」
「あるけどさ、こうやって座ってるのはあんまりないかも」
確かに、と思う。
二人で話すこと自体は何度もあった。
講義の合間、食堂、帰り道。
でも、こうやって“時間が余ってる状態で、わざわざ一緒にいる”のは少し違う。
理由がない時間。
だからこそ、会話の選び方に少しだけ迷う。
「玲さ」
美咲がふと口を開く。
「ほんと、自由だよね」
「まあな」
陸は苦笑する。
「思いつきで動くし」
「でも、それでなんとかなってるのがすごい」
「なんとかなってるのかはわかんないけど」
「なんとかなってるよ。だってあいつ、困ってる感じしないし」
美咲はそう言って笑う。
その笑い方は、どこか少しだけ優しい。
「玲といるとさ」
続ける。
「なんか、楽なんだよね」
陸はうなずく。
それは否定できない。
玲といると、会話は途切れないし、沈黙が気まずくならない。
考えなくても、勝手に流れていく感じがある。
「なんかさ、考えなくていいっていうか」
美咲が言う。
「いい意味で」
「わかる」
陸は短く答える。
「全部拾ってくれるし」
「そうそう」
美咲は少しだけ前を見ながら言った。
「でもさ」
一拍、間が空く。
「それだけじゃない気もするんだよね」
陸は何も言わずに待つ。
「楽しいんだけど」
「うん」
「ちゃんと見られてる感じ、あんまりしないかも」
その言葉に、少しだけ心臓が動く。
「見られてる?」
「うん」
美咲は自分でもうまく言葉にできていないみたいに、少し考えながら続ける。
「なんていうか…“私がどう思ってるか”とか、あんまり気にしてないっていうか」
「それは…そうかもな」
玲は、良くも悪くも“今の空気”で動く。
相手の深いところまで踏み込むタイプではない。
それが楽でもあり、少し物足りないと感じることもあるのかもしれない。
「陸はさ」
美咲がこちらを見る。
「ちゃんと見てるよね」
一瞬、言葉が詰まる。
「何を」
「人のこと」
「そんなことないよ」
「あるよ」
美咲は即答した。
「話してるとわかる」
その言い方は軽いのに、まっすぐだった。
「陸といるとさ」
少しだけ声が落ちる。
「ちゃんと会話してる感じする」
その一言で、胸の奥が少しだけ熱くなる。
うれしい、と思った。
でも同時に、その言葉の行き先がわからなくて、どう返していいかもわからない。
「玲といると楽しい」
美咲が言う。
「陸といると、落ち着く」
風が少し吹いて、髪が揺れる。
その違いは、たぶん大きい。
でも、それがどっちにどう繋がるのかは、まだわからない。
「…どっちがいいんだろうね」
美咲が小さく言う。
冗談みたいな言い方だった。
でも、完全な冗談でもなかった。
陸は答えなかった。
答えられなかった。
その答えを口にした瞬間、何かが変わる気がしたから。
「てかさ」
美咲が急に笑う。
「こういう話してるの、ちょっと珍しくない?」
「珍しいな」
「なんか真面目すぎる」
「確かに」
少しだけ空気が軽くなる。
そのときだった。
「おーい」
遠くから声が飛んできた。
二人同時に振り向く。
玲が、手を振りながらこっちに歩いてくる。
「見つけた」
その一言で、空気が一気にいつもの感じに戻る。
「なんでいるの?」
美咲が少し驚いた声で言う。
「ゼミのやつ思ったより早く終わった」
玲はそのまま隣に座る。
「てか何してんの、二人で」
「別に」
陸が答える。
少しだけ早口になった気がした。
「普通に話してただけ」
美咲もすぐに言う。
「たまたま会って」
玲は「へえ」と言いながら、二人を交互に見る。
「なんかちょっと怪しくない?」
「何が」
「いや、なんか俺来た瞬間ちょっと静かになったから」
「気のせいだよ」
美咲が笑う。
「そんなタイミングよく怪しいことしないって」
「いや、怪しいことって何」
陸が言うと、玲は「それは知らん」と笑った。
そのやり取りが始まった瞬間、さっきまでの会話はもうどこにも残っていないように見えた。
玲が適当に話題を振って、美咲がそれに乗って、陸が横からつっこむ。
いつもの三人の形。
さっきまでの空気は、なかったことみたいに消えている。
でも、本当に消えたわけじゃない。
陸はそれを、ちゃんと覚えている。
美咲も、たぶん覚えている。
ただ、それを今ここで出す理由がないだけだ。
「じゃあさ」
玲が言う。
「このあとどうする?」
「急だな」
「せっかく三人揃ったし」
美咲は少しだけ考えてから、笑った。
「じゃあ、どっか行く?」
「いいじゃん」
玲がすぐに乗る。
陸も「いいな」と答える。
その会話の流れに、違和感はない。
むしろ自然すぎるくらいだった。
だからこそ、
さっきの時間が、少しだけ特別に感じる。
二人だけの時間。
玲がいないことで、初めて見えたもの。
それを言葉にすることは、まだ誰もしない。
三人で歩き出す。
いつも通りの距離で、いつも通りの会話で。
でもその中に、ほんの少しだけ、
今までとは違う何かが混ざっていた。
第5話を読んでいただきありがとうございます。
この回では、3人の関係に“明確な差”が初めて出ています。
・玲がいないことで見える美咲の本音
・陸が初めて受け取る言葉
・そして、戻ってきたことで元に戻る空気
何も変わっていないようで、確実に何かが動いています。
特に「玲といると楽しい」「陸といると落ち着く」という違いは、この物語の大きな軸になります。
次回は、玲側の違和感や、少しずつ広がるズレを描く回になります。
3人の中で、誰が何を感じ始めるのか。
引き続き見守っていただけると嬉しいです。




