第3話「カラオケと、隠せないもの」
第3話です。
今回はカラオケ回。
「好きな音楽」というテーマですが、音楽はその人の感情が一番出やすいものだと思っています。
普段は言わないこと、言えないこと。
それが少しだけ滲む回になっています。
3人の関係も、ほんの少しだけ動き始めます。
大学三年の春は、二年の春より少しだけ早く過ぎる気がした。
新しい教室にも、新しい時間割にも、もうそれほど新鮮さはない。去年みたいな緊張感もなくて、だけど完全に慣れきったわけでもなくて、どこか中途半端な四月だった。
そんな中で、二週間ぶりに三人そろうことになった。
「いや、やっとだろ」
駅前のカラオケ店の前で、玲は大げさなくらいそう言った。
「二週間ってそんなに空く?」
美咲が笑いながら言う。
「空くだろ。三年になってから、なんかみんな微妙に忙しいし」
「玲は別に忙しそうじゃなかったけど」
陸がそう言うと、玲はすぐに振り返った。
「いや、気持ちは忙しかった」
「便利な言葉だな、それ」
「だろ?」
意味のない会話をしながら店に入っていく。その流れが久しぶりなのに久しぶりじゃない感じがして、陸は少しだけ安心する。
三人でいると、こういうどうでもいいテンポが自然に続く。
それが楽で、同時に少し怖い。
部屋に入るなり、玲は真っ先にリモコンを取った。
「よし、今日は歌うぞ」
「まだ座ってもないけど」
美咲がバッグをソファに置きながら笑う。
「こういうのは最初の勢いが大事なんだよ」
「玲はいつも最初から最後まで勢いあるだろ」
陸が言うと、玲は「それもそう」とあっさり認めた。
ドリンクが運ばれてくる前に、玲はもう一曲目を入れていた。
イントロが流れ始める。
「早いって」
「こういうのはトップバッターが空気つくるから」
「自分で言う?」
「言う」
玲は立ち上がってマイクを取る。その動きに迷いがない。たぶん玲にとって、歌うことはほとんど喋ることと変わらないんだろうと陸は思う。思いついたことを口にするみたいに、思いついた曲を歌う。そういう軽さがある。
玲の歌は、うまいというより楽しそうだった。
音程なんて多少外れても気にしないし、サビに入れば勝手にテンションが上がる。その勢いに押されるように、美咲も自然と手拍子をしていた。
「やっぱこういうのは盛り上がる曲が正義だわ」
一曲歌い終わった玲が、満足そうに座る。
「玲っぽいね」
美咲が笑う。
「だろ? カラオケは楽しんだもん勝ちだから」
「でも私は、しっとりしたのも好きだけどな」
「え、そうなの?」
「そうだよ。バラードとか、歌詞がいい曲とか」
その言葉に、陸は少しだけ顔を上げた。
「わかる」
思わず出た声に、玲が「お、珍しい」と反応する。
「陸、そういうの好きそうだもんな」
「好きそうっていうか、実際好きだよ」
「歌詞重視?」
「まあ」
陸はストローをくわえながら答える。
「曲の雰囲気も大事だけど、歌詞がちゃんと刺さる方が残るし」
「へえ」
玲は面白そうに言った。
「俺、正直あんまり歌詞ちゃんと見てないわ」
「玲はそうだろうね」
美咲がすぐに言う。
「絶対ノリで聞いてる」
「いやでも、音楽ってまずテンションじゃない?」
「それもわかるけど」
美咲は画面に映る曲一覧を見ながら続けた。
「歌詞がいいと、なんか急にその曲の見え方変わる時あるよね」
「ある」
陸はすぐにうなずいた。
そのタイミングがぴったり重なって、二人は少しだけ顔を見合わせる。
それだけのことなのに、玲は妙に楽しそうに笑った。
「何その息ぴったりな感じ」
「別に普通でしょ」
美咲はそう言いながらも、少しだけ照れたみたいに視線をそらした。
陸は何も言わず、グラスの氷を見た。
こういう一瞬がある。
美咲と話していて、たまたま感覚が重なる瞬間。
たぶんそれは、玲と美咲の間にもあるんだろう。でも自分と重なる時だけ、陸は少しだけ期待してしまう。
期待したあとで、勝手に落ち込む。
それを何度繰り返しても、たぶん慣れない。
「じゃ、次美咲ね」
玲がマイクを渡す。
「え、私?」
「そう。今日は久々の三人会だから全員ちゃんと歌うルール」
「そんなルール今できたでしょ」
「今できた」
美咲は困ったように笑いながらも、結局一曲入れた。
流れてきたのは、少し前に流行った女性ボーカルの曲だった。明るいようで、ちゃんと切なさもある曲。
美咲の声は思ったよりまっすぐで、変に飾っていなくて、そのぶん耳に残った。
玲は「うま」と素直に言っていて、陸も同じことを思っていた。でも陸は、それを口に出す前に少し迷う。言いすぎたくないし、平静を崩したくもない。
歌い終わった美咲が座ると、玲がすぐに言った。
「じゃ、次陸」
「いや、いいって」
ほとんど反射だった。
「なんで?」
「別に」
「別に、じゃわかんないだろ」
「聞く専門でいい」
玲は納得いかない顔をする。
「いや、絶対一曲は歌えよ。三人しかいないんだから」
「だからこそ歌わなくても成立するだろ」
「成立させる気ないんだよ、こっちは」
「迷惑な話だな」
そう返しながらも、陸はマイクを取る気になれなかった。
嫌いなわけじゃない。むしろ音楽は好きだし、一人なら歌うこともある。
でも、人前で歌うのは少し違う。
声には、その人の感情が出る気がする。
選ぶ曲にも、そのとき考えていることが出る気がする。
それを美咲の前で見せるのが、陸は少し怖かった。
「陸の歌、聞いてみたいけどな」
不意に、美咲がそう言った。
軽い言い方だった。無理に勧める感じでもなく、ただ思ったことをそのまま言っただけみたいな声だった。
それでも陸の中では、妙に大きく響く。
「……なんで」
「なんでって、なんとなく」
美咲は笑った。
「陸って、好きな音楽ちゃんとありそうだし」
「ありそうって何」
「なんか、自分の中で大事にしてる曲とかありそう」
その言葉に、玲がすぐ乗る。
「わかる。陸、たぶん人にすすめる曲めっちゃ厳選してそう」
「いや、そこまでじゃないけど」
「でも確かに、陸って“この曲のここがいい”ってちゃんと話せそう」
美咲がそう言う。
玲は「俺は無理」と笑った。
「俺、好きな曲でも“なんか好き”で終わるもん」
「玲はそれで成立してるからすごいよね」
「褒めてる?」
「半分くらいは」
三人で笑う。
笑いながら、陸は少しだけ息を吐いた。
たぶん、今なら歌えるかもしれないと思う。
歌いたくないわけじゃない。
本当は、少しだけ聞いてほしかったのかもしれない。
「……じゃあ、一曲だけ」
そう言った瞬間、玲が「おお」と声を上げる。
「やっと来た」
「騒ぐなよ」
「いや、これは騒ぐだろ」
美咲は何も言わなかった。ただ少しだけ楽しみにするような顔で、陸の手元を見ていた。
曲を選ぶ指が、少しだけ迷う。
明るい曲にするか、無難な曲にするか、それとも本当に好きな曲にするか。
結局選んだのは、少し古いバラードだった。
片想いの歌、とまではいかない。でも、近くにいるのに届かない気持ちを歌った曲だった。
イントロが流れた瞬間、玲が「うわ、そっち系か」と小さく言う。
陸は目を合わせずにマイクを持った。
歌い始めると、思ったより声は震えなかった。
むしろ、不思議なくらい落ち着いていた。
歌の中に入ってしまえば、自分の感情を自分のものとして扱わなくていい。借り物の言葉に乗せれば、ほんの少しだけ本音を隠せる。
だからたぶん、歌はずるい。
言えないことを、言ってしまえるから。
一番だけのつもりだったのに、気づけば最後まで歌っていた。
曲が終わる。
画面が次の待機画面に切り替わって、部屋が一瞬静かになる。
その静けさの中で、玲が最初に口を開いた。
「え、普通にうまくね?」
あまりにも玲らしい感想で、陸は少しだけ力が抜けた。
「そこ?」
「いや、そこだろ。なんで隠してたの」
「隠してたわけじゃない」
「いや隠してたよ絶対」
玲は本気で驚いている顔をしていた。
美咲は、すぐには何も言わなかった。
それが逆に陸を落ち着かなくさせる。
数秒遅れて、美咲が小さく言う。
「……なんか、思ってたよりずっとよかった」
「どういう意味?」
陸が苦笑すると、美咲も少し笑った。
「もっと静かな感じで歌うのかと思ってた。でもちゃんと伝わる感じがして、びっくりした」
伝わる。
その言葉だけが、妙に残る。
「歌詞、好きそうだったし」
「まあ、好きだけど」
「うん、わかった気がする」
美咲はそれ以上言わなかった。
でも、その“わかった”が何を指しているのか、陸は考えずにはいられなかった。
玲はそんな空気も気にせず、すぐに次の曲を入れている。
「よし、じゃあ次俺。なんかちょっと俺もしっとり系いってみようかな」
「絶対無理でしょ」
美咲が笑う。
「失礼だな。俺だって感情あるわ」
「そこは否定してない」
「じゃあ何」
「しっとりしてる玲が想像つかないだけ」
「ひどい」
そう言いながら玲が選んだのは、結局アップテンポな定番曲だった。
イントロが流れた瞬間に、美咲が「あ、やっぱりね」と言って笑う。陸もつられて笑った。
さっきまで少し張っていた空気が、そこでまた元に戻る。
たぶん玲は、こういうところで助かる。
何かが深くなりそうな時、無意識に空気を軽くする。わざとじゃないからこそ、余計に自然だ。
そのまま数曲歌って、時間はあっという間に過ぎた。
部屋を出る頃には、外はもう夕方に近い色になっている。
カラオケ店の前で、玲が大きく伸びをした。
「やっぱ音楽っていいな」
心からそう思っているような声だった。
「玲、毎回それ言ってない?」
美咲が笑う。
「言ってるかも。でも毎回そう思うし」
「まあ、今日はわかるかも」
美咲はそう言って、少しだけ隣の陸を見た。
ほんの一瞬だった。
でも、その視線に気づいてしまった以上、何もなかったふりは難しい。
「陸も、もっと歌えばいいのに」
玲が言う。
「たまにはな」
「たまにじゃなくて毎回でいいだろ」
「それは無理」
「えー、もったいない」
玲は本当に残念そうで、陸は少し笑う。
「玲が歌いすぎなんだよ」
「それはそう」
美咲が言った。
三人で駅まで歩く。
行きより少し静かで、でも悪い沈黙ではない。
玲は途中でまた好きなアーティストの話をし始めて、美咲がそれに乗って、陸もたまに口を挟む。
いつもの三人のままだった。
だけど、まったく同じでもない気がした。
歌は、ときどき人の輪郭を少しだけはっきりさせる。
普段は見えないものが、声とか、選ぶ言葉とか、そういうところに滲む。
今日、美咲に何が伝わったのか、陸にはわからない。
たぶん玲は、何も気づいていない。
それでいいのかもしれないし、よくないのかもしれない。
ただひとつ言えるのは、二週間ぶりのカラオケは、ただ楽しかっただけでは終わらなかったということだった。
見えなかったものが、少しだけ見えた。
隠していたものが、少しだけ滲んだ。
それでも三人は、まだ今まで通り笑えている。
だからきっと、あのときもまだ、誰も知らなかったのだと思う。
何が変わり始めていたのかを。
第3話を読んでいただきありがとうございます。
この回では、初めて“感情が表に出る瞬間”を入れています。
・陸が歌った理由
・美咲が感じ取ったもの
・玲が気づいていないこと
それぞれが少しずつズレたまま進んでいるのが、この物語の特徴です。
そしてここから、そのズレが少しずつ大きくなっていきます。
次回は、日常の中でさらに距離が見える回になります。
何気ないやり取りの中で、誰がどこを見ているのか。
そこに注目してもらえると嬉しいです。




