第2話「帰り道と、どうでもいい選択」
第2話です。
花見の帰り道、ただ歩きながら話すだけの時間。
テーマは「魚か肉か」という、どうでもいいような話ですが、少しだけ違うものが混ざっています。
楽しい会話の中にある、ほんのわずかなズレ。
まだはっきりとは形にならないものを、感じてもらえたら嬉しいです。
花見の帰り道は、行きより少しだけ静かになる。
それはたぶん、食べるものを食べて、飲むものを飲んで、笑うだけ笑ったあとだからだ。満足した空気が、春の夕方にそのまま溶けていく。
駅まで続く道には、まだ桜が残っていた。風が吹くたびに花びらが舞って、アスファルトの上に薄く散っていく。
「なんかさ」
玲が、両手をポケットに突っ込んだまま言った。
「花見の帰りって、ちょっと寂しくない?」
「さっきまであんなに騒いでたのに?」
美咲が笑いながら聞き返す。
「いや、なんか“終わった感”あるじゃん」
「イベントの後って感じはするね」
陸がうなずく。
「だろ? だから今、めちゃくちゃどうでもいい話したい」
「何その欲求」
美咲が吹き出す。
「どうでもいい話って、玲いつもしてるじゃん」
「いや、今日は特にどうでもいいやつ」
そう言って玲は少しだけ前を歩きながら振り返った。
「なあ、魚と肉どっち派?」
「急だな」
陸が即座に言う。
「来た、玲のやつ」
美咲は楽しそうに目を細めた。
「で、何? その質問に深い意味とかあるの?」
「ない」
玲は即答した。
「まったくない。ただ聞きたくなった」
「一番たち悪いタイプだ」
陸が呆れたように言うと、玲は満足そうに笑った。
「で、陸は?」
「俺?」
「うん。魚か肉」
陸は少し考える。
「……どっちも好きだけど、普段食べるなら肉かも」
「お、意外」
「そう?」
「いや、なんか陸って焼き魚きれいに食べそうだから」
「どういうイメージだよ」
「なんとなく。生活が丁寧そう」
「それは玲が雑すぎるだけじゃない?」
美咲が言う。
「え、ひど」
「だって絶対、魚の骨めんどくさいって言うでしょ」
「言う」
玲はあっさり認めた。
「ほら」
「いやでもさ、魚って食べるまでに工程多くない? 骨あるし、当たり外れあるし、熱いし」
「最後のは肉もそうだろ」
陸がつっこむ。
「でも肉はテンション上がるじゃん」
「それはわかるかも」
美咲がくすっと笑う。
「焼肉とか、行くだけでちょっと嬉しいし」
「だろ?」
玲がすぐ乗る。
「ほら、美咲も肉派じゃん」
「いや、私は決めきれないかな」
「え、ずるくない?」
「ずるくないよ。お寿司も好きだし、焼肉も好き」
「優柔不断だなあ」
「気分で変わるだけ」
美咲はそう言って、落ちてきた花びらを手で受け止めた。
その仕草が妙に自然で、玲は少し見とれたように目を向ける。でも本人はそのことに気づいていない顔で、すぐまた歩き出した。
陸はその一瞬を見ていた。
見てしまう、という方が近いかもしれない。
玲はたぶん、見とれたことすらわかっていない。
そういうところがある。
何も考えていないようで、たまに人の心に残ることをする。そのくせ本人は、たぶん一番何も知らない。
「じゃあさ」
玲がまた言う。
「人生でどっちかしか食えないってなったら?」
「スケールの広げ方が雑なんだよ」
陸が言う。
「いやでも大事じゃん。究極の選択」
「そんな究極いやだなあ」
美咲が笑う。
「私はたぶん、そのときの自分によるかも」
「いや、今決めるんだよ」
「なんで?」
「面白いから」
「その理由で全部進めるのやめなよ」
「で、美咲は?」
少しだけ、美咲は黙った。
桜並木の先に、夕方のやわらかい光が見えていた。歩道橋の影が道に伸びていて、昼の明るさとは少し違う時間になり始めている。
「……誰と食べるかで変わるかも」
美咲は前を向いたまま言った。
玲が「ん?」と声を漏らす。
陸は、ほんの少しだけ歩く速度をゆるめた。
「いや、魚か肉の話だよ?」
玲は笑う。
「味の話をしてるんだけど」
「でも大事じゃない?」
美咲も笑っている。
「同じごはんでも、一緒に食べる人で全然違うし」
「それはまあ、そうかもだけど」
「例えば、お寿司って一人で食べるのもいいけど、誰かと食べるともっとおいしい感じしない?」
「それは雰囲気補正じゃん」
「焼肉もそうだよね。みんなで食べた方が楽しいし」
「結局どっちも人次第ってこと?」
陸が聞くと、美咲は「うん」とうなずいた。
「たぶん」
玲は少しだけ考えたあと、納得しきれない顔で言った。
「でも俺、それちょっと悔しいな」
「何が?」
「肉は肉だけで強くあってほしい」
「何そのこだわり」
美咲が声を上げて笑う。
その笑顔につられて玲も笑う。
二人の会話は、何も引っかからないように見える。軽くて、明るくて、見ている側まで楽になるようなテンポがある。
だけど陸は、その中に入っていけないわけではないのに、たまに少しだけ遠く感じることがあった。
自分も同じ場所にいる。会話にも入っている。ちゃんと笑っている。
それでも、ごくまれに、玲と美咲の間にだけ通る空気がある気がする。
それが本当にあるものなのか、ただの思い込みなのか、陸にはまだわからなかった。
「じゃあ陸は?」
美咲が不意に振り返る。
「え?」
「誰と食べるかで変わるって、ある?」
その問いに、陸は一瞬だけ答えに詰まる。
玲は何も考えていない顔でこちらを見ている。
美咲の目は、やわらかい。でも真っすぐだった。
「……あると思う」
陸はそう答えた。
「だよね」
美咲が少し嬉しそうに笑う。
「やっぱりそうだよね」
「まあ、一人より誰かと食べた方が楽しいのは普通じゃない?」
なるべく自然に聞こえるように言ったつもりだった。
でも美咲は、少し首を傾げる。
「そういう意味だけじゃなくて」
「え?」
「この人といると落ち着くな、とか。この人と食べるとなんでもおいしいな、とか」
玲が横から口を挟む。
「それ、だいぶ相手限定されてない?」
「そうかもね」
「なんかそれ、好きな人とかじゃないの」
玲が悪気なく言った瞬間、空気が少しだけ止まった。
言った本人だけが気づいていない。
陸は息を止めるみたいに黙った。
美咲は前を向いたまま、小さく笑った。
「どうだろうね」
「え、違うの?」
「玲はすぐそういう話にする」
「いや、今の流れはそうだろ」
「そうかな」
「そうだよ絶対」
玲は断言した。
美咲は何も答えず、ただ少しだけ歩幅を狭くする。
陸はその横顔を見た。
たぶん、照れているわけじゃない。
たぶん、ごまかしている。
そしてその“ごまかし”の理由を、陸は考えたくないのに考えてしまう。
「じゃあさ」
玲がまた無邪気に言う。
「もし俺と陸とで飯行くとして、美咲どっち選ぶ?」
「最悪の質問きた」
陸がすぐに言う。
「なんでそんなこと聞くんだよ」
「気になるじゃん」
「ならないよ普通」
「なる」
玲は本気っぽく言う。
美咲は困ったように笑った。
「何それ」
「いや、魚派か肉派かみたいなもんで」
「全然違うでしょ」
「で、どっち?」
玲は楽しそうだった。
ただ面白がっているだけの顔だ。
美咲は少しだけ空を見て、それから笑った。
「内容によるかな」
「うわ、逃げた」
「逃げてないよ」
「ずるいって」
「だってそうでしょ。玲となら賑やかな店が楽しそうだし、陸となら落ち着いたお店が良さそうだし」
「え、それ褒められてる?」
陸が言うと、美咲は「褒めてるよ」と返した。
「陸といると、ちゃんと味わえそう」
その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなる。
うれしいと思った。
でも同時に、その言い方はどこか遠かった。
優しい言葉なのに、決定的なものではない。陸が欲しいものに、ぎりぎり届かない位置で止まっている。
「じゃあ俺は?」
玲が聞く。
「玲といると、味より先に会話が来そう」
「ひどくない?」
「でも楽しそう」
「それはそう」
玲は自分で納得して笑った。
結局、そうやって笑って終わる。
玲はたぶん、この空気をつくるのがうまい。少し危ないところまで行っても、最後には笑いに変えてしまう。
だから助かることもあるし、困ることもある。
駅前の信号が見えてきた。
人通りも少し増えて、桜並木の道はそこで終わる。
「あー、なんか腹減ったな」
玲が言う。
「さっき食べたばっかだろ」
「花見の飯って別腹じゃん」
「そんなのある?」
美咲が笑う。
「じゃあ帰りに何か食べる?」
玲が言うと、陸は「また?」と苦笑した。
でも、美咲は少しだけ考えてから、
「今日はやめとこうかな」
と答えた。
「え、なんで?」
「なんとなく。今日は花見の余韻のまま帰りたいかも」
「あー、そういう日あるか」
玲はあっさり引いた。
陸は少しだけ安心して、少しだけ残念に思う。
もしここで三人でもう少し一緒にいたら、何かが変わる気もしたし、何も変わらない気もした。
「じゃ、次は新歓終わったくらいにまた集まる?」
玲が言う。
「いいね」
美咲が答える。
「そのときはちゃんとごはん行こうよ」
「いいじゃん。じゃあ次回、魚派と肉派の最終決戦な」
「まだやるの?」
陸が笑う。
「やるよ。大事なテーマだし」
「そこまで言うなら、私はその日までに決めとく」
美咲がそう言って、少しだけいたずらっぽく笑った。
「魚か肉か?」
玲が聞く。
美咲は首を振る。
「誰と食べると一番おいしいか」
信号が青に変わる。
三人は同時に歩き出す。
玲は「うわ、それ絶対俺じゃん」と笑っていて、美咲も「なんでそうなるの」と笑っている。
陸も一緒に笑った。
ちゃんと笑えたはずなのに、胸の奥には小さなひっかかりが残った。
春の夕方は、昼より少しだけ正直だ。
楽しい時間のあとほど、言葉にならないものが浮かび上がる。
きっとこの帰り道も、あとで思い出せばどうでもいい会話ばかりだ。
魚か肉か。
誰と食べるか。
ただそれだけの話。
それなのに、あのとき確かに、少しだけ何かが見えていた気がした。
でもその正体を、まだ誰も名前にできない。
第2話を読んでいただきありがとうございます。
この回では、「何を食べるか」ではなく「誰と食べるか」という考え方を入れています。
そしてそれが、3人の関係を少しだけ浮き彫りにしています。
・美咲が見ている相手
・陸が気づいていること
・玲が気づいていないこと
このバランスが、この物語の軸になります。
次回は、少しだけ感情が動きます。
小さな出来事の中で、それぞれの距離がもう一歩だけ見える回です。
引き続き読んでいただけると嬉しいです。




