第1話「桜と、どうでもいい話」
この作品は、大学生3人の何気ない会話を中心に進んでいきます。
特別な事件が起きるわけでも、劇的な展開があるわけでもありません。
ただ、少しずつズレていく関係と、気づかないまま進んでいく気持ちを描いていきます。
「なんであのとき笑っていられたんだろう」
そんな小さな違和感を、どこかで感じてもらえたら嬉しいです。
春の風が、少しだけ冷たい。
それでも、空気は確実にやわらいでいて、冬が終わったことをちゃんと教えてくれていた。
「人ってさ、なんで桜見るとテンション上がるんだろうな」
玲が缶コーヒーを片手に、芝生へと腰を下ろす。
「急に哲学っぽいこと言うじゃん」
陸はレジャーシートを広げながら、苦笑した。
「いやだってさ、ただの花だよ?別に他にも咲いてるじゃん」
「まあ、日本人は特別感あるからじゃない?」
美咲がそう言いながら、買ってきたおにぎりの袋を開ける。
ふわっと桜が揺れる。
その向こうに、やけに青い空。
「でもさ、俺思うんだよ」
玲が続ける。
「桜って、“終わる前提”なのがいいんじゃね?」
「どういうこと?」
陸が視線を向ける。
「ずっと咲いてたらさ、たぶんここまで騒がれないじゃん」
玲は空を見上げたまま言った。
「短いから、いいっていうか」
「…あー」
美咲が少しだけうなずく。
「なんか分かるかも」
「だろ?」
玲が満足そうに笑う。
その横で、陸は何も言わずにペットボトルのキャップを開けた。
「でもさ、それ言うならさ」
美咲がストローをくわえながら言う。
「人間関係もそうじゃない?」
「え、急に重くない?」
玲が笑う。
「だって、ずっと同じって保証ないじゃん」
「まあな」
「だから、今が楽しいって思えるんじゃない?」
その言葉は、軽いトーンだったけど、
なぜか少しだけ、残る感じがした。
玲は一瞬だけ美咲を見る。
でもすぐに、
「じゃあ今めっちゃ楽しいってことじゃん、俺ら」
と、いつもの調子で笑った。
「そうだね」
美咲も笑う。
「楽しいよ」
その笑顔は、いつも通りだった。
少なくとも、玲にはそう見えていた。
陸は少しだけ視線を落とす。
芝生の上に落ちた花びらを指でつまんだ。
「…陸は?」
玲が聞く。
「何が?」
「今、楽しい?」
少しだけ間が空く。
「…楽しいよ」
陸は答える。
それは嘘じゃなかった。
でも全部でもなかった。
「よし、じゃあ優勝だな」
玲が意味不明なことを言う。
「何が優勝なんだよ」
「いや、楽しいって思えてる時点で勝ちじゃん」
「誰と戦ってんの」
「知らんけど」
玲が笑う。
美咲もつられて笑う。
その空気が、やっぱり心地いい。
だから余計に、
陸は少しだけ苦しくなる。
「ねえ玲」
美咲がふいに呼ぶ。
「ん?」
「もしさ、来年もこうやって花見するとしたらさ」
「するだろ、普通に」
「いや、もしだよ」
玲は少し考えるふりをする。
「…たぶん、同じこと言ってると思う」
「また桜の話?」
「いや、どうでもいい話」
玲は笑う。
「たぶんまた、“なんで桜ってテンション上がるんだろうな”って言ってる」
「言いそう」
美咲が笑う。
「で、陸がまたツッコむんだろ?」
「俺、そんな役割なの?」
「そういうポジションじゃん」
「勝手に決めるなよ」
それでも陸は少し笑った。
そのやり取りが、当たり前すぎて。
「…じゃあさ」
美咲が少しだけ声を落とす。
「もし、3人じゃなかったら?」
一瞬だけ、風の音が強くなる。
桜の花びらが、はらはらと落ちる。
玲はその一枚を指で受け止める。
「どういう意味?」
「なんとなく」
美咲は笑う。
「例えば、どっちかいなくなったら、とか」
「それはないだろ」
玲は即答した。
「なんで?」
「いや、なんかない気がする」
軽い口調だった。
でも、その言い方はどこか確信めいていた。
「…そっか」
美咲は小さくうなずく。
その表情は、少しだけ読めなかった。
陸はその横顔を見ていた。
ずっと見ていた。
でも、何も言えなかった。
「てかさ、腹減った」
玲が空気を変えるように言う。
「さっきからずっと食ってるだろ」
「いや、まだいける」
「信じられない」
美咲が笑う。
その笑い声は、やっぱり明るくて、
いつも通りで、
何も変わっていないように見えた。
でも、
たぶん、
少しだけ違っていた。
桜は変わらず揺れている。
風も、同じように吹いている。
それでも、
この時間は、
きっと同じままではいられない。
そんなことを、
誰も口には出さなかった。
だから、
3人で笑っていられたのかもしれない。
第1話を読んでいただきありがとうございます。
この3人は、一見するとただ仲のいい友達です。
でもよく見ると、少しだけバランスが崩れています。
・一番楽しそうに話しているのは誰か
・一番よく見ているのは誰か
・本当に隣にいるべきなのは誰か
そういった部分を、会話の中で少しずつ描いていく予定です。
次回は、帰り道。
花見のあと、少しだけ距離が見える話になります。
よければ引き続き読んでいただけると嬉しいです。




