第14話「答えを出すということ」
第14話です。
今回は三ヶ月ぶりに三人が再び集まる、桜の季節の回。
第1話と同じような景色の中で、今度はまったく違う時間が流れます。
距離を置いていた時間の意味、そしてそれぞれが考えてきたこと。
この回で、三人の関係にひとつの答えが出ます。
静かな会話の中にある変化を感じてもらえたら嬉しいです。
桜の季節は、いつだって少しだけ残酷だ。
何かが始まりそうな空気をまとっているくせに、実際には終わりや区切りの方を強く感じさせることがある。
四年生になる前の三月の終わり。
大学近くの公園には、去年と同じように桜が咲いていた。
ただ、去年と同じなのは景色だけだった。
三人がこうして顔を合わせるのは、ほとんど三ヶ月ぶりだった。
年が明けてから、美咲は少しずつ二人と距離を取るようになった。最初は「課題がある」とか、「バイトが忙しい」とか、そういう理由だった気がする。でもそれが何度か続くうちに、さすがに玲も陸も気づいた。
会おうと思えば会えたはずだ。
でも会わなかった。
たぶん、そういう時間が必要だったのだと、二人ともどこかでわかっていた。
「……久しぶりだな」
先に口を開いたのは玲だった。
桜の木の下、少し離れたベンチのそばで立ったまま、美咲と陸を見ている。
その声は、前みたいな軽さだけではなかった。
「うん」
美咲が小さくうなずく。
「久しぶり」
陸も「そうだな」とだけ言った。
それだけで、会話が一度止まる。
去年の春なら、こんな沈黙はなかったはずだ。
玲が何か適当なことを言って、美咲が笑って、陸が少し遅れてつっこむ。そういう流れが自然にあった。
でも今日は、その流れを誰も作れないでいた。
桜はきれいだった。
風もやわらかい。
それなのに、この場にある空気だけが少しだけ重い。
「とりあえず座る?」
美咲が言って、三人は近くのベンチに腰を下ろした。
並び方すら少し迷う感じがして、それが余計に今の距離をはっきりさせる。
玲が真ん中に座りかけて、一瞬だけ止まり、結局端に座る。美咲がもう片方の端、陸が少し離れた位置に腰を下ろした。
それだけのことなのに、前ならありえなかったと思う。
「桜、今年もちゃんと咲いてるな」
玲が言う。
「当たり前だけど」
美咲が少しだけ笑う。
その笑い方は、前より少し静かだった。
「なんか、去年ここで花見したの、だいぶ前みたい」
「まあ、実際一年経ってるしな」
陸が言う。
「一年って早いよね」
美咲はそう言って、地面に落ちていた花びらを見た。
一年。
その中に、たぶんいろんなものがありすぎた。
楽しかったことも、どうしようもなく苦しかったことも、全部この一年の中に入っている。
「……ごめん」
不意に、美咲がそう言った。
玲と陸が、同時に顔を上げる。
「急に距離置いたこと」
風が吹く。
桜の花びらが一枚、ベンチの間に落ちた。
「ちゃんと話さなきゃって思ってたのに、ずっと逃げてた」
その言葉は、思っていたより落ち着いていた。
泣きそうでもなく、震えてもいない。
それだけ、考えてきたんだろうと陸は思う。
玲はすぐには何も言わなかった。
たぶん、いつものように「別にいいって」と軽く返すには、この三ヶ月は長すぎた。
「……考えてたの?」
陸が静かに聞く。
美咲はうなずく。
「ずっと」
それから少しだけ視線を落として、続けた。
「どう答えるのが正しいのか、ずっと考えてた」
その言葉で、玲の表情が少し変わる。
ここまで来てようやく、この三ヶ月の意味が玲の中でもはっきり形になったみたいだった。
答え。
何に対する答えなのかを、今さら確認する必要はない。
「陸」
美咲が先に名前を呼ぶ。
その順番に、玲は何も言わなかった。
陸はまっすぐ美咲を見る。
たぶんこうなることは、どこかでわかっていた。
わかっていたけれど、実際にその瞬間が来ると、やっぱり息が少し苦しい。
「この前、ちゃんと考えたいって言ったの、本当だった」
美咲が言う。
「すぐに答えたくなかったとか、曖昧にしたかったとかじゃなくて……ちゃんと考えたかった」
「うん」
陸は短くうなずく。
「私、陸のこと、大事だよ」
その一言だけで、胸の奥が少し揺れる。
でも、その先がどう続くのかも、陸にはもうわかっていた。
「すごくやさしいし、一緒にいると落ち着くし、ちゃんと見てくれるし……本当に救われたこと、何回もあった」
美咲の声はまっすぐだった。
誤魔化さないようにしているのがわかる。
だからこそ、その誠実さが痛い。
「でも」
その一言で、やっぱり全部が決まる。
「……恋って言い切れるかって言われたら、違うと思った」
陸は、すぐには何も言えなかった。
聞きたくなかったわけじゃない。
たぶん一番つらいのは、曖昧に残されることだと知っていた。だから、ちゃんと言葉にしてもらえた方がいいはずだった。
それでも、実際に聞くと胸の中に静かに広がるものがある。
痛みというには少し鈍くて、でも確実に残る感じだった。
「……そっか」
ようやくそれだけ言う。
声は、自分で思ったより普通だった。
美咲は少しだけ泣きそうな顔をしたけれど、泣かなかった。
「ごめん」
「謝らなくていい」
陸はすぐに首を振る。
それは本心だった。
つらくないわけじゃない。
でも、美咲が時間をかけて考えたことも、その結果が簡単に出せるものじゃなかったことも、ちゃんと伝わってきたからだ。
「言ってくれてよかった」
そう言いながら、胸の奥ではまったく平気じゃない自分もいる。
それでも今は、それ以上の言葉は必要なかった。
少しだけ長い沈黙のあとで、美咲が今度は玲の方を見る。
その視線を受けて、玲はほんの少しだけ表情を固くした。
たぶん玲も、ようやく自分が今どこにいるのかを理解し始めていた。
「玲のことも、ちゃんと考えた」
美咲は言う。
「私、玲のこと好きだった」
その言葉に、玲が一瞬だけ目を見開く。
陸も、息を止めるみたいに黙った。
過去形。
その短い言い方の中に、いろんなものが入っている気がした。
「玲といると楽しくて、何も考えなくてよくて、ずっとそのままでいたいって思ってた」
美咲は続ける。
「たぶん、最初はそういう気持ちだったと思う」
玲は何も言わない。
いつもの玲なら、こういうときこそ何か言って空気を変えようとするはずなのに、今日はそれができないでいる。
「でも、考えた」
美咲の声は静かだった。
「それが恋なのか、この三人でいる時間が好きだっただけなのか」
桜がまたひとひら落ちる。
去年ならきっと、もっと何でもない景色だった。
「……違ったの?」
玲が、ようやく聞く。
その声は少しだけ低くて、少しだけ弱かった。
美咲は小さくうなずく。
「玲といるのは、今でも楽しい」
「うん」
「でも、恋っていうのとは、少し違った」
その言い方に、玲はすぐには反応できなかった。
たぶん、玲にとって一番慣れていない種類の言葉だった。
好きだった。
でも違った。
楽しいけれど、それだけでは足りない。
それは以前、玲自身が誰かの告白を断ったときに言っていたことに、どこか少し似ていた。
そのことに気づいているのかどうか、玲の表情からはわからない。
「じゃあ……」
玲がそこで言葉を切る。
「じゃあ、美咲は誰も選ばないってこと?」
それは、三人の中で一番聞きたくて、一番聞きたくなかったことだった。
美咲は、長く息を吐いた。
「うん」
そして、はっきりと言った。
「私は、二人とも選ばない」
風が少し強くなって、桜の枝が揺れる。
その言葉は、逃げでも誤魔化しでもなかった。
ずっと考えて、やっと出した答えだということがわかる声だった。
「二人とも大事だから、選べなかったとかじゃない」
美咲は言う。
「たぶん、ちゃんと選ぶなら、今の私は誰かを選んじゃだめなんだと思う」
玲も陸も黙って聞いている。
「二人といた時間がすごく大事で、失いたくなくて、だからずっと迷ってた。でも、迷ったまま誰かを選ぶのは違うって思った」
その言葉に、陸は少しだけ目を閉じた。
つらい。
でも、どこかで納得もしている。
美咲はそういうふうに考える人だと知っていたからだ。
玲は、たぶんまだ追いつけていない顔をしていた。
恋がどうとか、選ぶとか選ばないとか、そういう話を自分たち三人に重ねて考えることを、今まであまりしてこなかったのかもしれない。
でも今は、さすがにわかるはずだった。
「……そっか」
最初にそう言ったのは玲だった。
短くて、少しだけかすれた声。
「俺、なんも知らなかったんだな」
その言葉に、美咲は何も返せなかった。
たぶん、その通りだったからだ。
玲はずっと、この三人の空気を自然なものとして信じていた。
楽しくて、気楽で、このまま続くかもしれないと思っていた。
だからこそ、今ここで初めて全部を知ることになった。
陸が美咲を好きだったことも、
美咲が玲を好きだった時期があったことも、
そして結局、誰も選ばないという答えにたどり着いたことも。
「なんか、変な感じだな」
玲が笑おうとして、少し失敗したみたいな顔をする。
「去年ここで花見したとき、こんなことになると思ってなかった」
「私も」
美咲が言う。
「俺もだよ」
陸も続けた。
それは本当にそうだった。
一年前の春、桜の下でどうでもいい話をして笑っていたとき、こんなふうに終わりの話をする日が来るなんて、たぶん誰も想像していなかった。
「でもさ」
玲が桜を見上げながら言う。
「たぶん、もう前みたいには戻れないよな」
その言葉に、今度は誰も否定しなかった。
それが一番正直なことだった。
戻れない。
三人で笑うことは、これからもあるかもしれない。
会おうと思えば、たぶん会える。
でも、“何も知らないまま三人でいる”ことは、もうできない。
その事実だけが、静かに残る。
「……うん」
美咲が答える。
「たぶん、戻れない」
「そっか」
玲はそう言って、小さく笑った。
さっきより少しだけ、うまく笑えていた。
それが余計に切なかった。
陸は桜の向こうの空を見る。
薄い青の中に、春の白い光が混ざっている。
もうすぐ四年生になる。
就活もあるし、卒業だって遠くない。
もともと何もしなくても、ずっと同じではいられなかったのかもしれない。
ただ、自分たちはそれを少し早く知ってしまっただけだ。
「じゃあさ」
玲が立ち上がる。
「今日はもう、変にしんみりすんのやめようぜ」
その言い方は、少しだけ無理をしていた。
でも、それが玲なりのやさしさなんだと二人にはわかった。
「最後まで玲だね」
美咲が少し笑う。
「最後って言うなよ」
玲も笑う。
そのやり取りで、三人ともほんの少しだけ肩の力が抜けた。
完全に元通りにはならない。
でも、今この瞬間だけは、ちゃんと三人でいようとしている。
桜がまた風に揺れる。
去年と同じようにきれいなのに、もうまったく同じ意味では見られなかった。
答えを出すということは、
何かを選ぶことだけじゃなくて、
何かを失うことでもある。
美咲はそれを、ちゃんとわかっていた。
それでも言わなきゃいけなかった。
たぶん今日ここで言わなければ、
三人はもっと曖昧なまま壊れていたから。
ベンチを離れて、三人はゆっくり歩き出す。
去年の春みたいに笑いながらではない。
でも、黙ったままでもなかった。
ぽつぽつと小さな会話をしながら、
もう前とは違う距離のまま、
それでも最後まで三人で歩いた。
それがたぶん、
今の三人にできる一番ましな終わり方だった。
第14話を読んでいただきありがとうございます。
この回では、「選ぶこと」と「選ばないこと」の両方を描いています。
美咲は、二人のどちらかを選ぶのではなく、“誰も選ばない”という答えを出しました。
それは曖昧な逃げではなく、今の自分にとって一番正直な選択です。
・陸はその答えを受け入れる強さ
・玲は初めて知る現実と向き合う戸惑い
・美咲は大切なものを失う覚悟
三人それぞれが、違う形でこの瞬間を受け止めています。
そして同時に、「もう前と同じではいられない」ということも、全員が理解した回でもあります。
桜という“始まりの象徴”の中で描かれる終わり。
この対比が、この物語のひとつの大きなテーマになっています。
次回、最終話。
三人がそれぞれの道を歩いたその先で、何を思うのか。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。




