第11話「選ばなかった理由と、選べない気持ち」
第11話です。
今回は、何気ない会話の中に少しずつ変化が混ざり始める回です。
玲の「告白された」という話は、ただの恋愛話のはずなのに、それぞれに違う意味で響いていきます。
変わっていないようで、確実に何かが変わっている。
そんな空気を感じてもらえたら嬉しいです。
十月に入ると、大学の空気は少しだけ静かになる。
夏休み明けのざわつきも落ち着いて、授業もキャンパスの景色も、また日常に戻っていく。けれど、日常というのは不思議で、見た目が同じでも中身まで同じとは限らない。
その日の放課後、三人は大学近くのファミレスにいた。
窓の外はもう薄暗くなり始めていて、店内の明るさがやけに落ち着いて見える時間だった。
九月のあの日以来、三人で会うのは今日が最初だった。
表面上は、何も変わっていない。
玲はいつも通りで、美咲もいつも通り笑っていて、陸もなるべくいつも通りにしていた。
でも、本当はそんなわけがない。
少なくとも陸にとっては、何も変わっていないふりをするだけで精一杯だった。
美咲があの日の返事をまだくれていないことも、
玲がそのことを何も知らないことも、
全部そのまま、今日ここにある。
「そういえばさ」
料理を待っている間に、玲がドリンクバーのコップを置きながら言った。
「バイト先の子に告白された」
あまりにもさらっと言うから、一瞬意味が頭に入ってこなかった。
美咲が先に反応する。
「え?」
玲は平然としている。
「いや、だから告白された」
「ちょっと待って」
美咲が笑いながら言う。
「それ、もっとちゃんと前置きとかないの?」
「前置きいる?」
「いるでしょ普通」
陸も少し遅れて「……へえ」とだけ返した。
驚かなかったわけじゃない。
ただ、驚いた顔をしすぎたくなかった。
玲が誰かに好かれること自体は、そこまで不思議じゃない。
人懐っこいし、明るいし、距離の詰め方も自然だ。たぶん本人が思っているより、他人に強く印象を残すタイプだと思う。
「で?」
美咲が少し身を乗り出す。
「どういうこと?」
「どういうことって、そのまんまだけど」
玲は肩をすくめる。
「バイト終わりに、ちょっと話したいって言われて」
「へえ……」
美咲はそう言いながらも、声が少しだけ落ちていた。
「前からそういう感じだったの?」
「いや、わかんなかった」
玲は素直に言う。
「なんか話しやすいなーとは思ってたけど」
「玲、それで気づかないのすごいよな」
陸が言うと、玲は「いや、だってわかんねえだろ」と笑った。
「普通に仲いいだけかもしれないし」
「それで告白されるんだ」
美咲が小さく言う。
玲は「まあ、された」とだけ答えた。
変に得意げでもなく、困ったようでもなく、ただ事実として話している感じだった。
それが余計に玲らしかった。
「で、どうしたの?」
美咲が聞く。
その問いに、玲は少しだけコップの中の氷を見てから答えた。
「断った」
今度は、陸もはっきり顔を上げた。
美咲も同じだった。
「え、断ったの?」
「うん」
「なんで?」
美咲の声は、ごく自然を装っていた。
でも陸には、ほんの少しだけそこに緊張が混ざっているのがわかった。
玲は少しだけ考えるように視線を上げる。
「なんか……違うなって思って」
「違う?」
美咲が繰り返す。
「うん」
玲は言葉を探すみたいに、一度黙った。
こういうときの玲は珍しかった。
いつもなら、思いついたまま喋るのに、今日は少しだけ慎重だった。
「一緒にいて普通に楽しいんだよ」
玲が言う。
「話しやすいし、いい子だし」
「でも違った」
美咲が静かに言う。
「うん」
玲はうなずく。
「なんていうか……楽しいだけじゃ足りないっていうか」
陸は、何も言えなかった。
その言い方が、妙に耳に残る。
楽しいだけじゃ足りない。
それはたぶん、玲が普段あまり口にしない種類の言葉だった。
「じゃあ、何があればいいの?」
美咲が聞いた。
その質問には、少しだけ踏み込む感じがあった。
玲もそれに気づいたのか、珍しくすぐには答えなかった。
料理を運んでくる店員の声が一度間に入って、三人とも少しだけ黙る。
ハンバーグの音と、湯気と、妙に明るい店内。
そんな現実的なものが目の前にあるのに、空気だけが少し違う場所に行ってしまったみたいだった。
店員が離れてから、玲がぽつりと続ける。
「しっくりくるかどうか、なのかも」
「しっくり?」
陸が思わず聞き返していた。
玲はうなずく。
「頑張らなくても一緒にいられる感じっていうか」
「それ、結構難しくない?」
美咲が言う。
「そうかも」
玲は苦笑する。
「でも、たぶん俺、そこ大事なんだと思う」
その言葉に、陸の胸の奥が少し冷たくなる。
頑張らなくても一緒にいられる感じ。
しっくりくる感じ。
それは、今ここにいる三人の関係の中にもあるものだった。
少なくとも玲は、そういうものをこの三人の中で感じているんじゃないか。
そして美咲も、その言葉を真正面から受け取っているように見えた。
「一緒にいて自然なのがいいってこと?」
美咲が言う。
「まあ、そういう感じ」
玲はフォークを手に取りながら答える。
「変に気を使ったりとか、頑張ったりとかじゃなくて」
「へえ……」
美咲はそれ以上何も言わなかった。
でもその短い相槌の中に、少しだけ感情が揺れた気がした。
陸は、それを見ていることしかできない。
玲はたぶん、何も考えていない。
ただ自分の感覚を話しているだけだ。
でもその話が、今の美咲にどう聞こえるか、今の自分にどう刺さるかまでは、きっとわかっていない。
「玲って意外とちゃんと考えるんだね」
美咲が少しだけ笑って言う。
「何その言い方」
「もっとなんとなくで返事するのかと思ってた」
「いや、さすがにそれは失礼だろ」
玲は笑いながら言った。
「俺だって考えるときは考えるわ」
「考えてるところあんまり見ないから」
「見えないところで考えてんの」
そのやり取りに、美咲も笑った。
ちゃんと笑っている。
でも、少し前までの笑い方とは何かが違う気がした。
言葉にできないくらいの差なのに、陸にはそれがやけにはっきり見えてしまう。
「じゃあさ」
気づけば、陸は口を開いていた。
二人が同時にこちらを見る。
「そういう人、いるの?」
自分でも、少し踏み込みすぎたと思った。
でももう遅い。
玲は一瞬だけ目を丸くしたあと、「え?」と聞き返した。
「だから」
陸はなるべく平静を装って言う。
「しっくりくるとか、自然に一緒にいられるとか。そういうふうに思う相手」
玲はすぐには答えなかった。
ただ、妙に静かな顔でグラスに触れている。
美咲も黙っていた。
たぶん、この場で一番答えを聞きたくないのは陸自身だった。
それでも聞かずにはいられなかった。
「……どうだろ」
玲はやがてそう言った。
「わかんない」
否定でも、肯定でもない。
その曖昧な答えが、かえって現実味を帯びていた。
もし本当に何もないなら、玲はもっと軽く「いないいない」と笑ったはずだ。
でも今日はそうしない。
「まだ、って感じ?」
美咲が聞く。
玲は少し肩をすくめた。
「たぶん」
「ふーん」
美咲はそう言って、それ以上追わなかった。
その“追わなさ”が、逆に何かを残す。
玲も、美咲も、これ以上は踏み込まない。
でも、何もなかったことにもしていない。
その微妙な距離が、陸には息苦しかった。
料理を食べ始めると、会話はいったん普通に戻った。
バイト先のその子がどんな感じの子なのかとか、玲がどう断ったのかとか、美咲が「ちゃんと優しく言った?」と聞いて、玲が「言ったって」と少し不満そうに返すとか。
内容だけ見れば、ただの恋バナだった。
大学生の三人がファミレスでしている、ごく普通の会話。
なのに、陸にとっては何も普通じゃなかった。
玲の話す“選ばなかった理由”が、
今の美咲に向けた言葉みたいにも聞こえる。
美咲の質問の一つ一つが、
ただの興味以上のものに見えてしまう。
全部、自分の考えすぎかもしれない。
でも、考えずにはいられない。
「でもまあ」
玲が最後にハンバーグを切りながら言う。
「やっぱ一緒にいて自然なのが一番だよな」
その言葉に、今度は誰もすぐに返さなかった。
少しだけ長い沈黙。
店内の別の席から聞こえる笑い声がやけに遠く感じる。
「……そうかもね」
美咲が先に言った。
陸は水を飲んで、それから「まあな」とだけ答える。
玲はそんな二人を見て、「何その反応」と笑った。
「もっとこう、“わかるー”みたいなのないの?」
「玲が急に恋愛語るからでしょ」
美咲が笑う。
「まだちょっと慣れない」
「なんだそれ」
玲も笑った。
その笑い声で空気は少しだけ戻る。
でも、完全には戻らない。
表面だけなら、今日もちゃんと三人で笑っている。
会話も続いているし、気まずくなったわけでもない。
それでも、見えないところでは確実に何かがずれている。
玲は自分の恋愛観を話しただけだった。
それなのに、その言葉は美咲の中にも、陸の中にも、それぞれ違う形で残ってしまった。
窓の外はもう夜だった。
十月の空気は少し冷たくて、夏の頃よりずっと静かだ。
三人でいる時間は、まだ続いている。
けれど、その続き方は、きっともう前と同じではない。
選ばなかった理由を話す玲と、
答えをまだ持てない美咲と、
そのどちらにも置いていかれそうな陸。
同じテーブルに座っているのに、
少しずつ違う場所へ向かっている気がした。
第11話を読んでいただきありがとうございます。
この回では、「選ばなかった理由」を通して、玲の恋愛観を描いています。
・一緒にいて楽しいだけでは足りない
・しっくりくるかどうか
・自然でいられる関係
一見すると当たり前のようで、実はとても曖昧で難しい基準です。
そしてその言葉が、美咲と陸、それぞれに違う形で届いています。
美咲は少しずつ意識し始め、
陸はさらに距離を感じるようになる。
玲は変わらず無自覚のまま。
この“ズレたまま進む関係”が、ここからさらに大きく動いていきます。
次回は、その違和感がよりはっきりと表に出る回。
何も変わっていないようで、もう戻れない状態に入っていきます。
引き続き読んでいただけると嬉しいです。




