終焉の晩餐
私が放ったその言葉は、ゼストゥルゴーラの魂に一滴落ちた「猛毒」だった。
彼女が数千年の年月をかけて磨き上げた『審美眼』も、地獄の王族に仕えるソムリエとしての『誇り』も、今や自身の内側を焼き切る熱病へと変わっていく。手応えは、この異界全体を揺るがす地鳴りとなって私の足元に伝わってくる。
「銘柄偽装」という汚点は、彼女自身の魂を拒絶反応で引き裂いていく。
もはやゼストゥルゴーラに、私を「味わう」余裕など残っていない。
「……もう終わりよ。ゼストゥルゴーラ」
私の声は、もはや震えてはいなかった。
この狂った異界の支配者に対し、私は明確に引導を渡したのだ。
「穢れる、穢れる穢れる穢れる穢れる」
その叫びは、もはや私への殺意ではなく、自分自身に向けられた絶望の悲鳴だった。
赤と黒が狂ったように明滅し、視界が焼けるような反転を繰り返す中。光と闇の暴走が限界に達した、その瞬間。
――世界から、一瞬で色が消えた。
凄まじい轟音も、血の匂いも、むせ返るような甘い香気も、感情すらも、何もかもすべてが一瞬にして剥ぎ取られた感覚だった。
まるで時が止まったかのように、世界はどこまでも透き通った「真っ白な空間」へと変貌を遂げた。
「…………」
私は、その白の中で……ただ息を呑んだ。
そこには、先ほどまでの無数の、悍ましい「犠牲者たちの顔」はもう存在しなかった。
代わりに、そこにいたのは、たった一つのゼストゥルゴーラの「顔」だった。
それは、驚くほど落ち着いた、どこか知性すら感じさせる美しい女性の貌。
ゼストゥルゴーラは、まるで割れた高価なグラスの破片を無機質に見下ろすような、極めて無機質な眼差しで私を眺めていた。
そこには怒りも憎しみもない。あるのは、期待していたヴィンテージに致命的なカビが混入したことを悟った、プロフェッシュナル特有の――徹底して冷ややかな「失望」だけだった。
ただ、プロフェッショナルとして、自らの敗北を「正解」として受け入れた者の顔。
「……小賢しい小娘」
ゼストゥルゴーラは、静かに、けれど凛とした声でそう呟いた。
その瞳が、私という「素材」を、最後にもう一度だけ鑑定するように細められる。
「……でも、正しい」
その一言だけを残し、彼女の姿は霧が晴れるように、ゆっくりと白の世界へと溶け込んでいった。
自らの汚点を、自らの意思で消し去り、地獄の暗闇へと撤退していく。
ゼストゥルゴーラはただ、自身の汚れを拭い去るように消えた。敗北すらも完璧な処理の一部として。その傲慢なまでの潔さが、私にはひどく残酷に思えた。
彼女の姿が霧散した直後、耐え難いほどの「重力」が世界を襲った。
白く塗り潰されていた視界が、一気にあの悍ましい「赤と黒」の現実へと引き戻される。だが、それはもう「世界」の体を成していなかった。
天井が、壁が、彼女の意志という支えを失い、巨大な石塊となって私めがけて降り注ぐ。
ドゴォォォォン!! と鼓膜を揺らす轟音と共に、床を覆っていた赤い液体が、津波となって跳ね上がった。
宙に浮いていた無数の樽が次々と瓦礫に粉砕され、中から煮詰まった絶望の滓が、真っ黒な飛沫となって辺り一面を汚していく。
逃げなきゃ。そう思うのに、激しい揺れで足場は波打ち、立っていることすらままならない。
崩れ落ちる柱が、すぐ隣の床を粉砕し、逃げ道を塞いでいく。
――あ、っ……!
目の前に、視界を覆うほどの巨大な「天井の残骸」が迫っていた。
私は咄嗟に頭を抱え、床にうずくまる。
逃げ場などどこにもない。
数万の魂を漬け込んでいたこの巨大な「胃袋」そのものが、今、私という異物を飲み込んだまま、自壊して消えようとしているのだ。
死ぬ。押し潰される。
暴力的な振動と瓦礫の轟音、そして鼻を突く鉄錆の匂いの中で、私の意識は急激に闇へと引きずり込まれていった。
同時に、白い世界に無数の亀裂が走る。
彼女の維持していた空間が、その主の消滅と共に、ゆっくりと崩壊を始めた。
……ああ、そういえば。
最初は、ただ死にたくなくて、必死で「悪い人」の振りをしていたんだっけ。
紅茶をこぼして、台詞を噛んで、クロエを助けて……。
あんなに情けなくて、怖がりだった私が。
――まさか、本物の悪魔を「廃棄」してやるなんてね。
私は、崩れ落ちる世界の中で、初めて自分自身の意志で、ニッと不敵に笑ってみせた。




