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孤独の冠

翌朝の学園は、まるで別の世界のようだった。

 廊下を歩けば、昨日まで「エルゼ様!」とすり寄ってきた令嬢たちが、蜘蛛の子を散らすように道を開ける。扇子で口元を隠し、その影で交わされるのは毒を含んだ囁き声だ。


「……見た? 昨日の茶会。殿下を平手打ちしたんですって」

「ああ、恐ろしい。やはりあの高慢な本性が出たのね」

「最近のあの優しさは、男たちをたぶらかすための偽装だったというわけね……」


 冷たい視線が、針のように肌に刺さる。

 私は無表情を装い、ただ真っ直ぐ前を見て歩いた。心の中は、昨夜から降り続く涙で、もう感覚すら麻痺し始めている。


「エルゼ様……!」


 背後から響いたのは、震える、けれど真っ直ぐな声だった。

 振り返ると、そこにはクロエが立っていた。彼女の瞳には、周囲の冷淡さに対する怒りと、私への深い心配が滲んでいる。


「クロエ……。あなた、今はわたくしに関わらない方が……」


「そんなの、関係ありません! 私にはわかっています、エルゼ様があんなことをなさるなんて、絶対に何か理由が――」


「あら、クロエ様。そんな『疫病神』のような方とお話しして、よろしいのですか?」


 クロエの言葉を遮り、数人のモブ令嬢たちが割って入った。彼女たちは私を無視し、さも親切げな顔をしてクロエの肩に手を置く。


「ねえ、エルゼ様もそう思われますわよね? こんな身分違いの女、殿下に拒絶された今のあなたには、もう利用価値もございませんでしょう? さっさと捨ててしまいなさいな」


 彼女たちは、私がクロエを「駒」として使っていると決めつけ、私への当てつけにクロエを侮辱し始めた。

 昨日まで私の影に怯えていた者たちが、強者(王子)の寵愛を失ったと見るや、これほどまでに見苦しく牙を剥く。


「……お黙りなさい」


 私の喉から漏れたのは、低く、地這うような声だった。


「……な、なんですの? 私たちは、あなたの代わりにこの女を掃除してあげようと……」


「お黙りなさいと言っているのよ!!!」


 私は叫んだ。

 涙で潤んだ瞳に、激情を宿して。

 その気迫に、周囲の空気が一瞬で凍りついた。廊下の喧騒が消え、誰もが息を呑んで私を凝視する。


「この方を……クロエを汚い口で語るなと言っているのです! 彼女がどれほど……どれほど純粋に、あなたたちとは比べものにならないほど美しくあろうとしているか! それを土足で踏みにじるあなたたちこそ、この学園に必要ありませんわ! 消えなさい! 今すぐ!!」


 モブ令嬢たちは恐怖に顔を歪め、「ひ、ひっ……!」「やはり狂っているわ……!」と、動揺を隠すように他愛もない会話を無理やり口にしながら、逃げるように去っていった。


 静寂。

 クロエが、衝撃を受けたように私を見つめている。


「エルゼ様……。そんなに、私のために……」


 クロエが手を伸ばそうとした、その時。

 私は気づいた。遠くの廊下の角。影の中から、冷徹な瞳でこちらを凝視しているアルフレッド王子の姿を。


 王子と目が合う。

 彼の瞳には、もうかつての熱はない。ただ、「やはり君は暴力で人を支配する女だ」という、絶望的な確信だけが宿っていた。


「……っ」


 私はクロエの手を、激しく振り払った。

 彼女をこれ以上、私という「泥沼」に引きずり込むわけにはいかない。王子の冷たい視線が、私に向けられるだけでいい。彼女までターゲットにされてはならない。


「……ついてこないで。あなたも、あの方たちの言う通りよ。利用価値がなくなったから、もう用済みですわ」


「エルゼ様! 嘘です、そんなの――」


「うるさいわね! 消えなさいと言っているのよ!」


 私はクロエの顔を見ることさえできず、ただ視線を振り払って、走り出した。

 涙が溢れ、止まらない。

 「彼女を守るためだ。これが彼女のためなんだ」と、胸の中で呪文のように必死に繰り返しながら。


 逃げ込んだのは、旧図書室。

 今はもう誰も寄り付かない、埃と古書の匂いだけが立ち込める薄暗い迷宮。

 私はその奥にある、朽ち果てた机の陰にうずくまり、声を殺して泣いた。


【システム・ログ:記録】

[順調ですね。今、学園中があなたの話題でもちきりですよ。……『エルゼは悪魔に憑依されている』『あの美しい容姿は魔物が化けた偽物だ』。誰もあなたを助けに来ない。素晴らしい孤独です]


「……黙りなさいよ。もう、たくさんよ……」


[おや、寂しいのですか? 全てを壊したのは、他ならぬあなた自身なのに。さあ、次はどんな醜い姿を見せてくれますか? 私をもっと楽しませてくださいよ、エルゼ]


 システムの嘲笑が、暗い図書室に反響する。

 私は耳を必死に塞ぎ、冷たい床の上で震えていた。目を閉じて、現実から遠ざかるしかできなかった。

 外の世界では、私が「魔物」だという噂が、真実として語られ始めている。

 かつて愛した人たちの笑顔も、守りたかった絆も、すべてがこの暗闇の中に消えていくのを、私はただ泣きながら見送ることしかできなかった。

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