魔術師の深淵
昼食後の西庭園。人影のない東屋に、ルカ・ヴァレンタインは既にいた。
彼は古めかしい魔導書をめくりながら、私が近づく足音に合わせて顔を上げた。
「……来たか。悪魔の愛し子」
「……はい? 何ですの、その不吉極まりない二つ名は」
私は冷めた視線を送った。
王子や騎士の「野生化」には慣れたが、目の前の男が纏うのは、理知的で鋭利な刃物のような威圧感だ。
「とぼけても無駄だ。私は見た。君が誰もいない空間に向かって語りかけ、時には怯え、時には憤慨している姿を。……そして、その直後に起こる不可解な事象の数々を」
ルカが立ち上がり、私との距離を詰める。
「君の魂の周りには、この世界の理から外れた未知の魔力が漂っている。……隠さなくてもいい。君は、高位の『悪魔』と契約し、その力で王太子や騎士団長を魅了しているのだろう?」
「……。…………はあ?」
私はあまりの飛躍ぶりに、扇子を閉じるのも忘れて口を開けた。
悪魔? 魅了?
あのアホな男たちが勝手に自爆している原因が、私の「魔力」だと思われているなんて。
「魅了してあのザマ(石化)なら、わたくしの魔術は失敗作もいいところですわ。……ルカ様、残念ながらあなたの推論は外れています。わたくしはただ、独り言が多いだけですのよ」
「嘘を。君が空間に向けて発した言葉に、空中のマナが反応しているのを私は術式で観測した。……君が『システム』と呼んでいるその存在こそ、君の魂を食らう代わりに奇跡を与える悪魔の名だろう?」
【システム・ログ:困惑】
[え、私、悪魔扱いですか? ちょっと心外ですね。どちらかと言えば、あなたの運命を管理する『愛のキューピッド(物理)』なのに]
(黙ってなさい。……でも、マナが反応してるっていうのは本当なの?)
[……否定はしません。私のログが更新される際、ごく微弱な次元振動が発生しています。それを彼は『悪魔の囁き』と誤認したのでしょう]
「黙り込んだな。図星か」
ルカが勝ち誇ったように片眼鏡を光らせた。
彼は懐から、魔法陣が刻まれた契約書を取り出した。
「悪魔との契約は、最終的に君の存在を消滅させる。……国益の観点から、君を放置するわけにはいかない。提案だ、エルゼ・フォン・シュタイン」
「提案?」
「その悪魔を私に解析させろ。君が何を代償に捧げているのか、どのような術式で王子たちを狂わせているのか。……協力するなら、この秘密は私と君だけのものにしておいてやる」
私は、彼の真剣な瞳を見つめた。
この男は本気だ。本気で「私を研究対象にしよう」としている。
しかも、彼の中で「エルゼ=悲劇の悪魔契約者」という設定が完結してしまっている。
「……ルカ様。一つだけ言っておきますわ」
私は一歩踏み出し、冷徹なツッコミを叩きつけた。
「わたくしに憑いているのが悪魔だろうが何だろうが、あなたの手に負えるような代物ではありませんわ。……そして、王子たちが狂っているのは彼らの地頭の問題であって、わたくしのせいではありません。わかって?」
「強がりを。……いいだろう、ならば実力で行使させてもらうまでだ」
ルカの手元に魔力光が収束する。
……が、その瞬間。
「エルゼ!! そこを離れろ、危険だ!!」
庭園の茂みをなぎ倒し、滝行帰りでさらに筋肉がキレッキレになった王子と、巨大な鉄アレイ(特注)を両手に持ったギルバート様が乱入してきた。
「……またしても悪魔の所業……」
ルカが舌打ちし、私はその隙に大きくため息をついた。
「(小声)システム。これ以上『悪魔設定』まで加わったら、わたくしの属性が渋滞して死ぬんだけど。……どうにかしなさい」
【システム・ログ:受付】
[……了解しました。では、少しだけ『悪魔的な演出』を加えて、この場を収めましょうか?]
(え、ちょっと、何する気――!?)
次の瞬間、私の周囲から禍々しいほどの漆黒のオーラが立ち昇った。




