狂気への対抗馬
図書室へ向かう石畳の廊下を歩きながら、私は冷めた頭で思考を巡らせていた。
このまま王子が「自称・岩石」として学園のオブジェ化するのは、流石に寝覚めが悪い。けれど、私の言葉はもはや彼に届かない。……なら、私以外の「誰か」に動かしてもらうしかない。
「……そうよ。こういう時のためのヒロインじゃない」
物語の主人公。彼女の純真な涙や、真っ直ぐな言葉こそが、狂った男たちの目を覚ます唯一の手段……クッキーの件で少しあれだけど、毒には毒よ。
私は足を止め、システムのパネルを虚無の目で見つめた。
「システム。クロエちゃんの居場所を。……あと、ギルバート様の筋肉量に関する余計な注釈は省きなさい」
【システム・ログ】
[承知しました。ヒロインは現在、中庭で小鳥と会話(物理)しています]
[備考:ギルバート卿は、担いでいた岩が重すぎて廊下を沈没させたため、現在修復作業に従事しています。……尊い]
「……あの騎士も、一度精神鑑定を受けた方がいいわね」
私は中庭へと急いだ。
そこには、私の予想通り、花の妖精か何かのように小鳥と戯れるクロエの姿があった。
「クロエ・フォン・ルミナス。ちょっといいかしら」
「あ、エルゼ様! ごきげんよう! 今日もお美しい――」
「お世辞はいいわ。……今すぐ、廊下の真ん中で置物になっているアルフレッド王子を、元の『人間の男』に戻してきなさい」
私は単刀直入に命じた。
クロエは一瞬きょとんとしたが、私が「王子が滝に打たれて自分を岩だと思い込んでいる」という、説明しているだけでIQが下がりそうな現状を伝えると、彼女は悲しげに瞳を潤ませた。
「そんな……。殿下が、そんなに深く悩んでいらしたなんて! 私、行ってきます! 殿下の心に、私の祈りを届けに!」
「ええ、祈りでもパンチでも好きなものを届けてきなさい。……頼んだわよ」
クロエが弾かれたように走り去る。
よし、これで解決だわ。ヒロインの愛の力で、王子は正気を取り戻し、私はまた平和な「地味な悪役」に戻れる。
……はずだった。
「……何よ、その沈黙。システム」
【システム・ログ:緊急予測】
[警告:高確率で逆効果の予感。クロエの純粋すぎる言葉は、現在『無』になろうとしている王子にとって、高濃度の栄養剤(=さらなる暴走)になる可能性があります]
「……は?」
[予測台詞:『殿下! 岩になっても私はお慕いしています!』→ 王子:『そうか。ならば私は、彼女を守る強固な岩壁として一生を全うしよう』]
「……待て。それ、さらに状況が悪化するだけじゃない」
私の脳内に、石化したまま「愛」という名の苔を纏った王子の姿が浮かんだ。
しかも、その横でギルバートが「……ならば私は、その岩を支える地盤になろう」とか言い出す未来まで見える。
「……やだ。そんな不気味な学園生活、耐えられないわ!」
私は再び、走り出した。
一度は切り捨てたはずの、あの「石」の元へ。
冷静なツッコミ役として。あるいは、この地獄のような展開に終止符を打つ唯一の「常識人」として。
「どきなさい! 迷走するバカどもを止めるのは、結局わたくしの役割なんですの!?」
私の高笑いは、もはや「悪」というよりは、崩壊しそうな学園の治安を守る「風紀委員」の悲鳴に近かった。




