鳴りやまないナースコール
朝七時。
結衣はいつものように病院の更衣室で髪をまとめていた。
「よーし♡今日もあげ〜⤴︎⤴︎でいきますか!」
鏡の前で気合いを入れる。
しかし更衣室を出た瞬間、違和感を覚えた。
病棟全体が妙に慌ただしい。
看護師たちが走っている。
電話が鳴り続けている。
ナースステーションでは高木が険しい顔でカルテを確認していた。
「おはようございまーす♡」
結衣が声をかける。
高木は顔を上げた。
「結衣さん、今日は覚悟して」
「へ?」
「病棟、満床よ」
結衣は固まった。
「え?」
「救急も受け入れ中」
「え?」
「発熱患者も増加」
「え?」
「しかも人手不足」
「ええええええええ!?」
病棟中に響く大声。
佐藤が呆れたように言う。
「朝からうるさい」
「だって無理ゲーじゃん!?」
「だからみんな必死なんだよ」
結衣は周囲を見回した。
確かに空気が違う。
いつもより張り詰めている。
冗談を言う人もいない。
笑う余裕もない。
そこへナースコール。
ピンポーン。
ピンポーン。
ピンポーン。
一つ終わる前に次が鳴る。
「結衣さん!三〇五号室お願い!」
「はい!」
走る。
患者対応。
戻る。
また呼ばれる。
走る。
戻る。
また呼ばれる。
「なにこれぇぇぇ!?」
午前中だけで何十回ナースコールが鳴ったかわからない。
車椅子介助。
点滴交換。
検査搬送。
食事介助。
清潔ケア。
報告。
記録。
確認。
やることが終わらない。
「あげ〜⤴︎⤴︎とか言ってる場合じゃないんだけど!?」
結衣が叫ぶ。
杏奈が泣きそうな顔をしていた。
「結衣先輩ぃ……」
「どうした!?」
「点滴終わらないですぅ……」
「わかる!!」
二人で半泣きになる。
そこへ高木。
「泣いてる暇があったら動く!」
「はいぃぃぃ!」
即復活。
昼過ぎ。
ようやく休憩に入れると思った瞬間だった。
救急搬送。
病棟が一気に緊張する。
ストレッチャーが運ばれてくる。
医師たちが集まる。
「患者さん入ります!」
「バイタル!」
「酸素準備!」
怒号のような指示が飛び交う。
結衣も駆け寄った。
「私やります!」
患者は高齢男性。
呼吸状態が悪い。
苦しそうだ。
結衣はすぐ酸素を準備する。
「大丈夫ですよ!」
患者の手を握る。
震えている。
怖いのだ。
当然だ。
突然病院へ運ばれたのだから。
「ちゃんといますからね」
結衣は笑った。
患者も少しだけ落ち着く。
その姿を見ていた橘医師が言う。
「結衣さん」
「はい?」
「患者さん安心してる」
結衣は少し照れた。
「そりゃナースですから♡」
忙しい。
苦しい。
余裕もない。
だけど患者はもっと不安だ。
それだけは忘れたくなかった。
午後三時。
ナースステーション。
全員疲れていた。
高木も。
佐藤も。
杏奈も。
もちろん結衣も。
だが休めない。
ナースコールが鳴る。
電話が鳴る。
患者が呼ぶ。
病院は待ってくれない。
「看護師ってすごいなぁ……」
結衣がぽつりと呟く。
佐藤が聞き返した。
「今さら?」
「いやさ」
結衣はカルテを見つめる。
「学校の時はわかんなかったじゃん」
「まあな」
「命預かるって、こんな感じなんだね」
少しだけ真面目な声だった。
佐藤も頷く。
「そうだな」
その時。
再びナースコール。
ピンポーン。
結衣は立ち上がった。
「よし!」
「どこ行くんだよ」
「呼ばれてるし!」
「休憩中だぞ」
「患者さん待ってるじゃん!」
結衣は笑う。
疲れている。
足も痛い。
腰も痛い。
それでも。
患者のために動きたい。
そんな気持ちが自然に湧いてくる。
夕方。
窓の外が赤く染まる。
しかし病棟はまだ終わらない。
むしろここからが本番だった。
発熱患者が増える。
検査が増える。
入院が増える。
スタッフは限界に近い。
高木が全員を集めた。
「みんな聞いて」
病棟が静まる。
「今日が山場よ」
誰も喋らない。
「乗り切るわよ」
その一言で空気が変わった。
疲れていても。
辛くても。
みんな同じだった。
結衣は拳を握る。
「よっしゃ」
杏奈が見る。
「先輩?」
結衣はニッと笑った。
「病棟がピンチなんでしょ?」
「はい」
「じゃあギャルナースの出番じゃん♡」
杏奈が吹き出す。
佐藤も笑う。
高木まで少しだけ笑った。
病棟はまだ戦いの途中。
本当の大騒動はこれから始まる。
結衣はまだ知らない。
この数日後、自分たちが病棟最大の危機に直面することを――。




