先輩との壁を乗り越える
朝七時。
結衣は病院の更衣室で髪をまとめながら鏡を見た。
「よしっ。今日もあげ〜⤴︎⤴︎でいきますか♡」
新人の頃ほど周囲からジロジロ見られることは減った。
それでも病院内で結衣は相変わらず目立つ。
明るい茶髪。
ぱっちりした目元。
元気すぎる笑顔。
患者からは人気だが、真面目な職員の中にはまだ苦手意識を持つ人もいる。
そして何より。
結衣が一番認められたい相手。
高木明日香。
その人だけは、今もどこか距離があった。
「おはようございます」
高木が出勤してくる。
「おはようございまーす♡」
「今日は受け持ち六人。情報収集は済んでる?」
「もちろんです♡」
高木は頷くだけだった。
褒めもしない。
けなもしない。
結衣は少しだけ唇を尖らせる。
(もうちょい褒めてくれてもよくない?)
そんなことを思いながら病棟へ向かった。
午前中。
結衣は担当患者を回っていた。
高齢男性の山本さん。
術後三日目。
順調に回復しているはずだった。
「山本さん、おはよ〜♡」
「おう」
返事はある。
だが少し元気がない。
結衣は体温を測る。
血圧を測る。
数値はギリギリ正常。
だけど何か違和感があった。
顔色。
呼吸。
受け答え。
全部が少しだけおかしい。
(んー……気のせいかな?)
カルテを見る。
数字だけなら問題ない。
新人の頃ならそのまま通り過ぎていたかもしれない。
だが今の結衣は違った。
患者を見てきた。
たくさん話してきた。
だからわかる。
この違和感は無視しちゃいけない。
しかし。
報告するほどなのか。
もし間違っていたら。
また「騒ぎすぎ」と思われるかもしれない。
結衣は数秒迷った。
その時。
山本さんの顔がわずかに歪んだ。
「……苦しい?」
小さな声。
結衣の背筋が凍った。
「山本さん!?」
すぐにナースステーションへ走る。
「高木先輩!」
「どうしたの?」
「山本さんです!なんか変なんです!」
「変?」
「説明できないけど変なんです!」
高木は一瞬だけ眉をひそめた。
だがすぐ立ち上がる。
「行くわよ」
二人で病室へ向かった。
診察。
再測定。
観察。
結果。
術後合併症の初期症状だった。
発見が少し遅れていたら危険だったかもしれない。
医師が処置を行う。
患者は安定した。
病室の外。
結衣は壁にもたれた。
心臓がバクバクしている。
「よかった……」
その時だった。
高木が静かに言う。
「結衣さん」
「はい」
「よく報告したわね」
結衣は目をぱちぱちさせた。
「え?」
「正直、最初は気のせいかと思った」
「ですよね」
「でもあなたは患者を見ていた」
結衣は黙った。
高木が続ける。
「数字だけじゃなくて患者本人を見ていた」
その言葉は。
結衣がずっと欲しかった言葉だった。
「結衣さん」
「はい」
「あなた、いい看護師になるわ」
結衣は固まった。
数秒。
完全に停止した。
そして。
「え」
さらに数秒。
「ええええええええ!?」
病棟中に響きそうな声だった。
高木が呆れる。
「うるさい」
「だって先輩が褒めた!」
「褒めたわよ」
「明日雪降る!?」
「失礼ね」
結衣は思わず笑った。
高木も少しだけ笑う。
初めて見た。
先輩の自然な笑顔だった。
昼休み。
結衣は休憩室で大騒ぎしていた。
「聞いて!?」
杏奈がびっくりする。
「どうしたんですか!?」
「高木先輩に褒められた!!」
「ええ!?」
佐藤がコーヒーを吹きそうになる。
「マジか」
「マジ!!」
「幻覚じゃなくて?」
「失礼すぎるんだけど!?」
みんなが笑った。
病棟の空気もどこか柔らかい。
夕方。
業務が落ち着き始める。
結衣は窓の外を見ていた。
病院の向こうに夕日が沈んでいく。
「患者を見る、かぁ……」
高木の言葉を思い出す。
派手だから。
ギャルだから。
何度も偏見を受けた。
でも。
患者はそんなこと気にしていなかった。
必要なのは見た目じゃない。
寄り添うこと。
気づくこと。
守ること。
それが看護師なんだ。
「ふふ」
自然と笑顔になる。
そこへ高木が来た。
「何笑ってるの?」
「いやー」
結衣は振り返る。
そしていつもの笑顔を見せた。
「ギャルナース、まだまだ成長できそうだなーって♡」
高木は小さく笑う。
「そうね」
その瞬間。
結衣の中で何かが変わった。
新人としての不安。
認められたい焦り。
その一部が消えていた。
病棟には仲間がいる。
信頼できる先輩がいる。
そして自分を待っている患者がいる。
結衣は拳を握った。
「よーし!」
「何?」
「ギャルナース、もっと最強になります♡」
高木は呆れながらも笑った。
こうして結衣は、先輩との見えない壁を乗り越えた。
それは看護師としての大きな一歩。
そして病棟の仲間として認められた証でもあった。




