entertainer(NE)
街の片隅、掲示板の雑多な書き込みの中で囁かれていた――“entertainer”という名の男が現れた、と。
誰も本気にはしていなかった。都市伝説みたいなもんだろ、と。けれど動画は現実にあった。
黒い仮面、スーツとピエロの奇妙な融合衣装、赤く長い鼻の天狗風仮面。滑稽なのか恐ろしいのか、見る者の感覚を翻弄する顔。画面の向こうで意味不明なステップを踏みながら、言葉を吐いた。
entertainer「ようこそ、欺瞞と退屈の舞台へ。今宵の道化は私だ」
その瞬間、政治家の不正、芸能人の秘密、あらゆる“立派な人間”の裏の顔が匿名で暴かれた。
entertainer「我が国のためにと言う政治家の別荘が税金で買われていたら…なんてのはどうだい?」
ニュース「政治家の〇〇氏の裏金問題が…」
entertainer「私を否定する自称ヒーローの芸能人の裏の顔は私とさほど変わらない…なんてのはどうだい?」
ニュース「芸能人の△△氏のDV問題について…」
社会は騒然となり、権力者は顔をしかめ、大衆は笑い、ネットでは真似をする動画が溢れかえった。誰も止められない。目的は誰も理解できない。ただ、この奇妙な道化は舞い続けた。
教室の窓際、地味な制服に沈んだ女子学生は、画面の光に目を輝かせていた。返事は小さく、意見は言えず、流されるままに生きてきた自分とは真逆の存在。
どうして私は、こんなふうに生きられないんだろう……。意味不明の踊り、無遠慮な毒舌、社会を揺るがす力。彼女にとって、それは自分の代わりに叫んでくれる存在だった。
夜中、鏡の前でピエロスーツに手を通し、仮面を試着する。鏡の中の自分はぎこちなく、ただの痛々しい少女にしか見えない。しかし瞳だけは光っていた。
やがて憧れは暴走へ変わる。最初は同級生の秘密を暴露し、通学路で無差別に人を痛めつけ、快感とともに自分の存在を確認する。胸の奥で芽生えた思いは、認知欲求と暴力性と化した。
私「これできっと、entertainerも私に気づいてくれる」
仮面と衣装を買い、鏡の前で踊り、笑いながら無関係の人々を傷つける日々。だが、その夢はあっけなく潰える。逮捕され、支離滅裂な発言しかできず、精神病棟へ送られた。
退院した彼女はもう別人だった。笑い、踊り、意味不明の言葉を口にし、誰かが傷つくと歓声を上げる。彼女の会話はギャグと狂気が入り混じり、不良に絡まれても、言葉の端々にentertainerへの執着が滲む。
不良「いいじゃんヤろうよー」
私「えぇ?でもぉ?あたしぃ、憧れてる人が居るンでぇ?そんな事できませぇん」
不良「いいじゃんかぁ、その人も見てないって」
私「……その人に見られたいんだよ!!」
拳が飛び、鼻血が舞う。不良は吹き飛び、残った仲間は言葉を失った。笑いと恐怖の混ざった彼女の目が、夜の街を支配していた。
ある夜、裏路地でついに彼と出会う。ピエロとスーツを混ぜた奇妙な衣装、天狗風の仮面、意味不明の笑顔。彼女の胸は跳ね、興奮で震えた。
私「……ほん、もの……!」
私「わ、わたしっ、ずっとファンでっ……! あんたの配信も、言葉も、ぜんぶ! 大好きで! だから、わたしも……!」
言いかけたところで彼のため息がそれを遮る。そして彼はこう言った。
entertainer「……私のエンタメを妨害するのは、いつだって無関係な人間達だ」
理解するのに一瞬の時間が必要だった。気づいた頃には、彼は闇に溶けて消えていた。頬を伝う涙を押さえ、嗚咽混じりに笑うしかなかった。
その瞬間、何かが決定的に壊れた。彼女は悟った――entertainerは拒否する、だが、私だけが彼を否定する権利を持つ。
街を徘徊し、entertainerを否定する人間を見つけると、理由もなく襲い、命を奪った。「私だけが彼を否定していいの」それ以外の全ては無関係。警察も社会も、誰も彼女の暴走を止められなかった。
街角で見かけた人を蹴飛ばし、泣き叫ぶ通行人に笑い声を響かせる。通学路で騒ぐ子どもに向かって踊りながら奇声をあげる。
誰も理解できず、誰も止められない。狂気の舞踏は止まらず、下はピエロ姿で上はスーツ姿、天狗の仮面に隠された顔は、永久に笑い続けていた。
もはや少女だった頃の面影はない。
奥手で地味だったあの自分は、街の暗がりに溶けた。
残ったのは、狂気に満ちた道化の存在。
笑いと暴力、狂気と皮肉が混ざり合った。
誰も近づけず、誰も理解できず、ただ噂が広がるだけ。しかし彼女を語る人間の顔はentertainerを語る顔と違い、青ざめ震えていた。
「夜道であの仮面を見たら、笑いながら殴られるかもしれない」
「街角で奇妙なダンスを見たら、気を失うかもしれない」
それでも彼女は歩き、踊り、笑い続ける。
entertainerが道化というのなら、彼女はただの暴力
――しかしそれが、彼女残された唯一の道だった。




