第五十六話 リル
ゴブリンが三体。
悠真の前へ立ちはだがる。
その後ろ。
岩陰では、
傷付いたフェアリーが震えていた。
悠真は短剣を静かに構える。
「来い。」
最初の一体。
真正面から飛び込んでくる。
悠真は踏み込まない。
半歩だけ身体をずらす。
斧が空を切る。
その勢いを利用して、
手首へ短剣を滑らせる。
武器が地面へ落ちた。
返す刃で、
首筋を打つ。
ゴブリンはその場へ崩れ落ちる。
残る二体。
左右へ分かれ、
同時に飛び込んできた。
悠真は短剣へ魔力を流す。
刀身に、
淡い青い光が走る。
「ライト。」
掌へ生まれた光を、
短剣へ纏わせる。
一閃。
一体の肩口を切り裂く。
怯んだ隙に体勢を入れ替える。
最後の一体は、
仲間が倒れたことで戦意を失い、
そのまま奥へ逃げ去っていった。
悠真は追わなかった。
「十分だ。」
短剣を静かに鞘へ収める。
そして、
ゆっくりと岩陰へ近付いた。
フェアリーは、
まだ身体を震わせている。
悠真が近付くたび、
小さな身体をさらに縮めた。
「もう大丈夫。」
もちろん、
言葉は伝わらない。
それでも、
悠真は武器を置き、
ゆっくり膝をついた。
救急ポーチを取り出す。
「少しだけ我慢して。」
裂けた羽。
擦り傷だらけの腕。
細い足。
あまりにも軽い身体。
悠真は回復薬を少量だけ羽へ塗った。
淡い光が羽を包む。
完全には治らない。
それでも、
傷口は少しずつ閉じ始めた。
フェアリーは驚いたように羽を見る。
そして、
恐る恐る悠真を見つめた。
その瞳から、
ほんの少しだけ警戒が消える。
その時。
フェアリーのお腹が、
小さく鳴いた。
「……。」
悠真は思わず笑ってしまう。
「お腹空いたよな。」
干し肉を一切れ差し出す。
今度は逃げなかった。
小さな両手で受け取り、
夢中になって食べ始める。
その姿を見ながら、
悠真は静かに口を開いた。
「名前。」
フェアリーが顔を上げる。
「みんなは、お前のことをフェアリーって呼ぶんだろう。」
「でも、それじゃ誰のことか分からない。」
悠真は少しだけ考える。
小さな身体。
風に揺れる緑色の髪。
精一杯生きようとする姿。
「今日から。」
「お前はリル。」
「リルだ。」
その瞬間。
フェアリーの身体が、
小さく震えた。
初めて。
自分だけの名前。
大粒の涙が、
ぽろりと零れ落ちる。
悠真は少し慌てる。
「気に入らなかったか?」
リルは、
何度も首を横に振った。
今まで、
誰も自分の名前を呼んでくれなかった。
群れでは、
「飛べない子」
「役に立たない子」
そう呼ばれるだけだった。
薬草も見つけられない。
魔力も少ない。
羽も弱い。
いつも群れの後ろを歩いていた。
だから、
誰も探しに来なかった。
誰にも必要とされなかった。
それなのに。
目の前の人間は、
名前をくれた。
「リル。」
その一言だけで、
胸の奥が温かくなる。
震える小さな足で、
一歩。
また一歩。
悠真の前まで歩いてくる。
そして、
小さな両手で、
悠真の指をそっと握った。
その温もりに、
悠真は自然と笑顔になる。
その瞬間。
《契約条件を確認》
《対象との信頼を検知》
《契約を開始しますか?》
頭の中へ、
聞き慣れた機械的な声が響く。
悠真は少しだけ微笑んだ。
「契約なんて。」
「まだいい。」
システム画面へ手を伸ばす。
《保留》
表示が静かに消えた。
リルは不思議そうに見上げる。
悠真は優しく笑った。
「名前を付けたからって。」
「無理に一緒に来なくてもいい。」
「お前が決めればいい。」
リルは目を丸くした。
「選んでいい。」
その言葉は、
今まで一度も掛けられたことのない言葉だった。
しばらく悠真を見つめたあと、
リルは小さく頷く。
そして、
もう一度、
悠真の指をぎゅっと握った。
その瞬間。
《契約成立》
柔らかな光が、
二人を静かに包み込む。
同時に、
悠真の肩の上へ、
透明な身体がぴょこんと飛び乗った。
「ぷる!」
ポムだった。
リルは驚いて目を丸くする。
ポムは嬉しそうに身体を揺らし、
小さく跳ねた。
「ぷるぷる!」
まるで、
「おかえり。」
そう言っているようだった。
リルは少し戸惑いながらも、
おそるおそるポムへ手を伸ばす。
ポムは逃げない。
柔らかな身体が、
リルの小さな手へそっと触れた。
その温もりに、
リルは初めて笑った。
悠真も、
その笑顔を見て微笑む。
「帰ろう。」
「みんなが待ってる。」
その言葉と共に、
新しい家族は、
初めて"帰る場所"へ向かった。




