磯女の貝殻細工
「あら…イナリの旦那。お久しゅう」
濡髪に白い着物を身に着けた妖艶な女性が声をかける。
「磯女か。久しいね。この暑いのに地上は難儀じゃないかい?」
イナリがそう言うと磯女はしゅるり、と長い尻尾を持ち上げた。蛇の鱗がみっしりと生えた尻尾の先からも滴る水。よくよく見ると磯女は大きなたらいに水を張ってそこに座していた。
「こちらも商いなんでね。色々考えますよ。ところでそこのお嬢さんは?」
チラ、と視線を送られた紅葉は思わず萎縮する。
「コレかい?まあ神使見習いというところだ。此岸から来たばかりでね。」
イナリがそう言うと磯女は得心を得たように頷いた。
「道理で!人間臭いと思っていたんだ。お嬢さん、幸運だねぇ。イナリの旦那の神使だなんて。まぁ、色々揃えたんだ、見てっておくれよ。」
磯女はそう言うと、自らの髪をひと束かきあげる。
するとどうだろうか。その髪は鋭く尖り、シュッという音とともに貝に穴が開く。
カツン、と音を立てて落ちた破片を拾いながら
「お見事。相変わらずの器用さだね、磯女。」
イナリがそう言うと磯女はほんのりと頬を染めた。
「おだててもお代は負かりませんよ、旦那。さぁ、何をお求めで?」
赤い天鵞絨の敷かれた店先には、桜貝の腕輪、真珠の首飾り、そして牡蠣だろうか。キラキラとした真珠層で作られた簪が置かれていた。
「これ…買ってもいいの…?」
紅葉が小声で尋ねる。
「もちろん。ああ、ここの代金はね、対価か六文銭なんだ。つまりお前さんの体の一部か余三郎の六文銭。さあ、どうする?」
紅葉が躊躇いを見せる。
すると磯女がするり、と尻尾を伸ばして紅葉の髪に触れた。
「ああ…童女にしてはとてもいい艶だ…お嬢さん、その御髪一房ならこれと交換してもいいよ?」
磯女の手には桜貝の腕輪。ところどころ鱗のようなものが光っている。見るものを魅了する淡い桃色。儚く薄いその貝は手に取ればしゃらり、と小気味のいい音がする。
「食べ物じゃなきゃ…いいんだよね?」
紅葉が恐る恐る尋ねると、イナリは首を縦に振った。
「…ください。あと…」
紅葉は少し言い淀んだあと、はっきりと磯女にこう告げた。
「あんまりに素敵だから…せっかくなら二房…」
そう言って紅葉は前髪のすぐ脇の髪を手に取った。
「いいのかい!?こんなに艶々とした黒髪を二房も?」
磯女がそう言うやいなや、彼女の手が蟹のハサミのように変わった⸺刹那。
ショキン、ショキン。
音が二回したかと思うと磯女は満面の笑みで紅葉の髪を二房手にしていた。
「毎度ありがとう。これはおまけだよ。」
そう言って紅葉の手に握らせたのは蛤にちりめんを貼り付けた美しい根付。紅い紐は二重叶結びになっている。
「ウチの亭主⸺元此岸のモノなんだけどね。ちりめん問屋の主だったんだ。何をトチ狂ったか入水しようとしたからせっかくなら血を吸わせておくれと言ったら泣きだしてね…あんまり哀れだからしばらく一緒にいるうちに…まあそういうこと。」
照れ臭そうに笑う磯女をみてイナリはふっと笑みを零すと、
「あやつか。加西家の仁太。息災かい?」
と尋ねる。
「息災も何も…」
磯女は口元を隠しながら笑うと言葉を続ける。
「あたしと一緒に貝殻細工こさえてますよ。300年も夫婦やってりゃまあ、そこそこ食っていけますしね。」
(さ…300年!?)
紅葉は思わず声に出しかけたがぐっと堪えた。ここのモノたちは時間の流れが違うのだ。
「さて、次の店はどこにしようか。」
イナリが歩き出す。
紅葉は磯女にぺこりと頭を下げると磯女は柔らかな笑顔で手を振り返した。
桜貝がしゃらり、音を立てる。
紅葉はまっすぐに切り揃えられた髪を撫でるとイナリの後をついていった。




