勝利と重圧
「勝負あり。私立上岡学園!」
審判の大きな声が響き渡る。
杏奈は当然、といった顔で額の汗を拭った。これでベスト4まで勝ち上がり。
次に当たるのは都立清新高校。
「待ってなよ。ウチは今年はひと味もふた味も違う。」
弓道場の壁に大きく張り出された試合スケジュールの紙を睨みつけながら杏奈は呟いた。
(次確実に当たる…。それまでに成すべきことを成すだけ。)
敗退した相手のすすり泣きを背に私立上岡の部員たちはその場をあとにした。
上岡の勝ち上がりはすぐに清新にも伝えられた。
皆が動揺する中、紅葉一人が冷静であった。
(やっぱり…。)
紅葉は目を伏せて杏奈の姿を思い返す。
余裕綽々と言ったような表情。
紅葉は伏せていた目を開くとパン、と手を叩いて
「動揺しない!そういうのはすぐに所作に出る!あっちが勝ち上がってきたなら私達は私達のやれることをやりきりましょう」
と部員たちを鼓舞した。
薄暗い夕暮れの道を杏奈が歩いていく。
耳にはBluetoothイヤホン。ガムをクチャクチャと噛みながら住宅街を抜けていく。
突き当たりにある他の家よりも大きな邸宅。そこが高橋家だった。瀟洒な門の前で杏奈は大きなため息をつく。が、足取り重く門を開けると家の中へと入っていった。
「見てたぞ。今日のニ射目。あれは良くない。勝ったからいいものの…」
玄関を開けてすぐ父親の拓郎からの説教。
杏奈は苦虫を噛み潰したような顔でイヤホンを外すと、
「はいはい。でも成果は出したでしょ?」
と軽く父親をいなす。
「杏奈!お父さんに向かってなんなの!」
ヒステリックな声を上げたのは母親の陽子。
「うるっさいなぁ!!稽古すればいいんでしょ!?」
杏奈はスクールバッグを床に叩きつけると庭にあつらえた小さな弓道場へと向かった。
(何なんだよ…クソ…)
杏奈はジャージに着替えると胸当てだけ着けて稽古を始めた。
苛立ちが募る。ムカムカとした感情を抑えながらも一射ずつ確実に的中させていく。
(勝ったのに…褒められない…なんでよ…)
頭ではわかっている。父親は元国体選手。
母親もまたインターハイ経験者。
エリートの血を引いた自分がそう簡単に褒めてもらえるはずなどないことを。
(解ってくれるのは…麻生さんだけ…)
チクリと胸が痛んだその刹那⸺弦が杏奈の頬を掠めた。
「…ッた…。初心者でもやらねーことやって…何やってんだ私…」
もう日も落ちた弓道場で杏奈は独りごちる。
頬が赤く腫れている。
ため息をつきながらタオルを濡らしに行こうと振り返ると、弓道場の隅に置かれた棚に光るトロフィーの数々が目に入る。
杏奈はそれを睨みつけると、
「わたしは…わたしだから…。」
そう呟いて頬を冷やしに行った。
(私の存在意義って何?そもそもわたしは…)
そこまで考えて杏奈は首を横に振ると再び稽古へ。
月が高く高く上がって、弓道場にはライトが灯る。ライトに誘き寄せられたヤママユが秋を知らせる。しばらくの間、静かな住宅街には矢を射る音が響き続けていた。




