苛立ち
寒蝉のがまばらに鳴く道を紅葉は猛スピードで自転車を漕いでゆく。
かすかに触れた冷たい頬。
思い出して思わず鼓動が高鳴る。
赤信号で止まった紅葉は両手で両頬をパシン!と叩く。
信号待ちの人々が驚いたような顔をしていたが、紅葉は気にも留めず、信号が変わるとまた猛スピードで自転車を漕いで行った。
駐輪場に自転車を止めると真っ直ぐに弓道場へ。
今日は一年生たちも早くに来ていた。
「毎日そのくらい早く来てくれればいいんだけど。」
口をついて出る本音。
その声に一年生たちはビクリ、と肩を震わせる。
やや遅れてやってきた弥生がその様子を見て一言。
「紅葉…アレの日?なんか機嫌悪い?」
不安げな弥生の顔を見て紅葉ははっと我に返る。
(自分の気持ちもコントロールできないなんて…先輩失格だ…)
紅葉は二、三回頭を振ると、
「なんでもない。ごめん。みんなもごめんなさい」
と頭を下げた。
紅葉は弓矢を手に取り足踏み。
両腕を高々と上げ的を見据える。
キリキリとカーボン製の弓が音を立てる。
絶対的な集中力。
そしてゆっくりと両腕を下ろすと矢を放った。
タンッと小気味良い音がして矢は的中。
残心まで崩さないその姿勢に一年生たちは見入っている。
(ほら…別にあんなことあっても…普通にできるんだから!)
遠藤が近づいてきて紅葉を褒める。
「相変わらず素晴らしい。けど…今朝の一射にはやや感情が乗りすぎてる。なにかあったか?」
デリカシーのない神にキスをしたとも言えず紅葉はたじろぐ。
「すみません…。少し顔洗って出直します。」
そう言うと紅葉は弓道場を後にした。
水飲み場で顔を洗う。冷たい水が火照った顔を冷やしていく。
紅葉が目をつぶったままタオルに手を伸ばしたその時だった。
「ほい。如月。」
何度も耳にした声。
制服姿の隆がそこに立っていた。
隆はタオルを紅葉に手渡すと照れ臭そうに頭を掻いて、一言。
「こないだの…如月の気持ち、嬉しかった。あれってまだ有効だったりする…?」
そういえばあれだけベタベタとひっついていた友理奈の姿が見えない。
紅葉はタオルを受け取ると一言。
「先輩。可愛い後輩の決断を踏みにじるようなこと、しないでください。それに…」
紅葉は自覚していた。隆を見るたびに高鳴る胸の鼓動がないことを。そして心の中にイナリの影がよぎることを。
「わたしたち、これから試合控えてるんです。お願いだからもう来ないで。」
そう言って踵を返す紅葉の姿を隆は暫し呆然としながら見送ったあと、
「強く…なったんだな。」
と独りごちてその場を後にした。
「受験かー。だるいけどあいつらが頑張ってるなら俺も頑張らないとな。」
隆が空を見上げると高い高い秋の空に一筋の飛行機雲。
空をツイ、ツイとアキアカネが飛んでいる。
季節も心も移ろいゆく。
それぞれの思いを胸に時間がゆっくりと過ぎて行った。




