淡き心
「紅葉?寝ちゃった…?」
ヨイチがそっと声をかける。
すうすうと規則正しい呼吸。どうやら深い眠りに落ちたようだ。
ヨイチはふう、とため息をつくと丸くなり自らも眠りについた。
(試合、応援してるからニャ…)
そう思いながら長く艶々とした尻尾を二、三回パタパタと動かす。
それが紅葉の素足に当たる。
「ふふ…」
深い眠りの中でもこそばゆさは感じたようで紅葉の口から小さな笑いが溢れる。
頭にはてなマークがいくつも浮かんだ神を除いて、秋の平和な夜が過ぎていった。
翌朝。
アラームの音で目を覚ました紅葉がもそもそとベッドから這い出てくる。
「…?なんか、体…軽い気がする…。」
「起きたかい?」
イナリが紅葉の学習机に座りながら笑いかけてくる。手にはクッキーの缶。
紅葉の宝物入れ。
「何…勝手に触ってるの!?返して!」
紅葉は飛び起きるとイナリの手から缶を奪い返す。
「これ…おじいちゃんが好きだったクッキーの缶…私の大事なものばかり入ってるの!勝手に触らないで!」
紅葉がイナリをキッと睨みつけるとイナリは得心をしたような顔でこう言った。
「道理で…余三郎の匂いがしたものでね。つい。勝手に触れたことは詫びる。」
(謝った…?あのノンデリバカ神が…。)
紅葉がそう思ったのも束の間。
「で、その宝物とやら、わたしに見せてはくれぬかな?」
好奇心を隠そうともしない顔。
紅葉は溜息をつきながら缶をそっと開く。
押し花。ビー玉。部活仲間とのチェキ。そして家族写真。磯女の腕輪もそこに仕舞われていた。
家族写真の真ん中には生前の余三郎がまだ赤子同然のヨイチを抱いて笑っている。
「ふむ…。差し支えなければでいいのだが…この硝子の玉を一つおくれでないかい?」
その目には懇願に近い色が滲んでいる。
「構わないけど…どうするの…?」
紅葉の問いにイナリは一言。
「夜半にちょっとした頂きものを受け取ったのでね。返礼さ。」
「ふうん?まあいいけど…もうこれは触らないでよね!」
紅葉はそう言うとクッキーの缶を鍵付きの引き出しに仕舞い込んだ。
イナリはビー玉を部屋に差し込む朝日に透かして見ている。透き通るほどに白い肌。薄紅を塗ったような紅い唇。長いまつげが朝日に照らされてその造形の良さを際立てている。
ふいに昨夜の出来事が思い返される。
(⸺ッ!!あいつ…私の髪に…)
忽ちに紅葉の顔に赤みが差してゆく。
階下から幸子の呼び声がする。
紅葉は朝餉に向かおうとして立ち止まり、イナリの襟を掴むと左の頬に掠めるかのような軽い口づけを落とした。
「…おあいこだからね…」
真っ赤な顔のまま階段を降りていく紅葉を見送ると、イナリは左の頬に手を当てる。
「くっ…ふふふ…なんともうぶなことよの…」
朝日差す部屋に立ち尽くすイナリの顔がほんのりと紅潮しているのは、おそらく朝日のせいだけではないだろう。
(なんだかニャ…)
一部始終を見ていたヨイチは大きな欠伸をすると、自らも朝食を貰いに階下へと降りていった。




