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夢現

「…おじいちゃ…」

ザラリとした感触が頬に当たる。

「え…?」

気がつくと紅葉は自分の部屋のベッドに横たわっていた。ベッドサイドのデジタル時計は20時過ぎを指している。あれからわずか1時間程度しか経過してない。

「夢…?」

目をこすろうと右手をあげる。

しゃらり。桜貝の腕輪が音を鳴らす。

紅葉はハッとしてポケットの中をまさぐると葉っぱに包まれた水琴窟の鈴と、ほんのりと濡れた蛤の根付が出てきた。

夢ではない。先刻まで自分は彼岸の夜市にいたのだ。

「あ、気づいた。おかえり。」

頬を舐めていたヨイチが口を開く。

「ねえねえどうだった?余三郎には⸺」

マズルをぷっくりと膨らませ尋ねるヨイチを紅葉はぎゅっと抱きしめる。瞳からは次々と涙が溢れ落ちる。

ヨイチは黙り込んでショリショリと紅葉の頬を舐めていたが、やがて一言。

「お風呂してきなよ。疲れたでしょ。」


紅葉はトボトボとバスルームに向かうと鏡に向き合う。

そして自分の顔をまじまじと見る。泣き腫らして充血した目。

赤く染まった頬。

そして⸺前髪の両サイドで短く切り揃えられた髪の毛。

「あ…。」

紅葉は髪を触りながら思い出す。磯女の妖艶ながらも優しい笑み。算盤の苦手な平太のふわふわとした毛並み。お調子者の獺。そして⸺

おぞましい死神の落ち窪んだ目。自分を見据えていたそれを思い出しその場にしゃがみこむ。カタカタと震えが止まらない。

「わたし…生きてる…んだよね…?」

そう独りごちると脱衣所の扉が勢い良く開く。

「あら紅葉。まだお風呂してなかったの?…どうしたのその髪。」

母親の幸子が心配そうに顔を覗き込む。

紅葉は慌てて立ち上がると無理に笑顔を作りこう言った。

「気分転換。姫カットにしてみた…変?」

「変じゃないわよ。かわいい。ほら、さっさとお風呂入ってきなさい。」

幸子に髪を撫でられまた涙がこみ上げるが⸺紅葉はそれをぐっとこらえてバスルームへと消えていった。


湯に浸かりながら深いため息をつく。

湯の中に獺の飴細工が泳いでいるような⸺錯覚。

じわり、また涙がこみ上げてきたが紅葉は両頬をパシンと叩くと、

「しっかりしなさい!明日も朝練!」

そう言って勢い良くシャワーを捻った。

パジャマに着替えて部屋に戻るとヨイチが葉っぱに包まれた鈴をちょいちょいといじっている。

「待って。付け替えてあげる。コレおみやげだからね?無くしちゃだめよ?迷わずの鈴って言うんだって。必ず帰ってこれるん…だって…。」

ヨイチの頭にぽたり、ぽたりと落ちる水滴。

「あのね…?おじいちゃんに会えたと思ったら…偽物で…でもね…?夜市のみんなと…イナリが助けてくれて…」

震えながら話す紅葉の膝にヨイチはそっと前脚を置くと一言。

「無理して喋らなくていいよ。今日はもう寝よう。僕も一緒にいるから…。」

子どものようにしゃくりあげる紅葉をベッドに促すとヨイチは紅葉が泣きつかれて眠るまでその場を動かなかった。


静かな街の静かな秋の夜。

イナリは如月家の屋根の上で猫の目のように細い月を見上げていた。

「余三郎…。お前さんは何処にいるのかね…。」

月を掴むかのように手を伸ばす。

しかしそれはただ虚空をかすめるだけだった。

そうしてイナリは早秋の生ぬるい風にただ吹かれていた。

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