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二ツ家先輩のいるBar  作者: 叡 太郎
学内Barへようこそ
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学内Barへようこそ 4

家庭科準備室に戻ったわたしたちは、同じ席に着いた。

「おかえりなさい」と二ツ家先輩が出迎えてくれた。そして、声が聞こえたと、わたしは伝えた。白崎太陽は、後で吉岡がくる、と言った。それ以上は誰も口を開かなかった。

さっきはあまり気にする余裕がなかったが、この教室はかなり私物化されている印象を受けた。安楽椅子の向こうにはめ込まれている窓には遮光カーテンが引かれ、蛍光灯は全てをつけず、長机の上の縦列した二つのみ稼動している。家庭科準備室らしいのは、パイプ椅子の背中の壁一面の資料用の本棚や、広さのまちまちな棚くらいだろうか。

更に長机の向こうにあるカラーボックスが気になった。肌色の二段のカラーボックスが三つ並んでおり、そこにはお酒の瓶らしきものがたくさん詰まっていた。一番右手のカラーボックスには、何種類かのグラスが置かれている。

長机の上には、銀色に光る大きさの違う三角錐が背中同士でくっ付いた使い道の分からない道具が置いてある。同じく銀色の輪郭はラグビーボールと似ているが、上の方がUFOみたいな形の物も使い道がわからない。その横にはオレンジ色した四角いお酒の瓶が、蛍光灯の光を鈍く反射させていた。この瓶は知っている。お菓子を作るのに昔使った事がある。こいん……なんだっけ。


ドアが開かれる。制服姿の吉岡さんが「お待たせ」と入ってくる。わたしと渡良瀬さんの間に座る。

「いらっしゃいませ。ようこそバーストレイシープへ」二ツ家先輩が丁寧に挨拶をする。

「久しぶり、二ツ家君。やっぱり教室とでは雰囲気が違うね」そうなのか。ベストを着ているからって事だろうか。

「まどか、ここに来たって事は、やっぱり何か悩み事があったのね」

渡良瀬さんは申し訳無さそうに頷いた。

「それで、解決はしたの?」

「少しお話しをさせて頂いてもいいですか?」首を振る渡良瀬さんの前で、二ツ家先輩は聴衆を集めた。


「時に、どなたか、カクテルパーティ効果、という言葉をご存知ですか?」

二ツ家先輩は、一人ひとりの顔を伺いながらゆっくり訊いた。しかし誰も知らないようだった。もちろんわたしも。

「これは音響心理学の言葉なのですが、カクテルパーティなどの騒がしい場所でも特定の音を聞き分ける事の出来る事を指します」

「特定の音?」安楽椅子の支配者は、いい相槌を打つ。騒がしくする事以外も出来るらしい。

「えぇ、例えば、バスケットボールのプレイ中は必死な声援や、相手チームの掛け声もあるのに、何故か味方の声が鮮明に聞こえたりしませんか?」

バスケを略さないなんて、なんて丁寧な人だ。

「確かに、そう言われてみればそうかもね。いつもは聞こえていただけだけど」

吉岡さんは答える。しかし外から見ている分には、わーわー、としか表現の仕様の無い場面なのに、しっかりと聞こえているんだ。でもそれがないと連係プレイは出来ないか。

「自分の扱う楽器をオーケストラから聞き分ける人もいるそうですよ。そしてそれらは自分にとっての特定の音。つまりは、自分の興味のある音、自分が聞かなきゃいけない音」

二ツ家先輩はゆっくりと、句読点を意識しているように思える。

「くどいなぁ、なんだよ」やはり我慢が出来なかったか、白崎太陽の野次が入る。

「自分が聞かなきゃいけない音。試合中は仲間の掛け声、演奏中なら気になる楽器、先輩と居る雑談の中なら、自分の名前を呼ぶ声。など」

渡良瀬さんはピクリと動く。

「実際、騒がしい場所において、自分の名前を呼ばれると殆どの人が気付くものなのです。言い換えれば地獄耳と捉えることも出来ますね」

地獄耳。白崎太陽を見る。いや、ヤツの場合は、特別な何かだろう。

「きっと、誰かは雑談の多い女子更衣室の中で、渡良瀬まどかさんの名前を呟いたのでしょう。意図的か偶然かはわかりませんが。そして呼ばれた彼女は振り向いた。しかし誰も呼んだ形跡が無い。呼んだ本人はこれを利用しようとした。何故か。彼女へ嫌がらせする必要があった」

吉岡さん、渡良瀬さんの顔を見る。この話しを聞く心の姿勢はどうなっているのだろうか。わたしにはわからなかった。

「そうして連日、同じやり口で彼女の名前を呼び、とどめに噂話をした、存在もしない更衣室の霊を作り出した。そして見事その目論見は成功した」

バスケ部員共々はうつむいて聞いていた。網膜の端で安楽椅子が揺れているのが見えた。

「さて、誰がそんな事をしたのか。一つ考えたのは、バスケ部員が全員共犯だという事。彼女の才能が目について、全員で嫌がらせする。しかしこれはバスケ部にとって試合を勝ち進む上でデメリットでしかなく、そんな事を出来る心の冷たい人間ばかりが集まっているわけがない」

ここはバスケットボール部員ではなくバスケ部員なんだ。

「じゃあ誰か。才能ある彼女と同じポジションで困る人物であり、そして恐らく気付かれないように声色を変える事も出来たであろう人物。そして先ほどの更衣室で出会った人物」

二ツ家先輩は、声の抑揚を最小限に抑え、責め立てるというよりかは確認作業のように一つずつ手順を踏んでいった。

「吉岡さん。アナタじゃありませんか」

二ツ家先輩は、吉岡さんに目を向けた。吉岡さんは下を向いて、動かない。

わたしはやっぱりと思う。状況からみてそうとしか思えなかった。そして吉岡さんの垂れた首の向こうで、渡良瀬さんはやっぱりという表情をしていた。わかっていたんだろうな。でもその信じたくない気持ちが幽霊を作り出したのかも知れない。


「さて、皆さんに飲んで頂きたいカクテルがあります」

二ツ家先輩は、わたしから見て長机の奥にある教室で使う机に向かって心臓マッサージでもしているようにぐっぐっと何かを押し込んでいた。柑橘系の匂いが広がる。

それを終えた二ツ家先輩は、「これはシェイカーといいます」と、いびつなラグビーボール型のものを目の前に持ち出し、真ん中で開いた。

「これはメジャーカップ」そして背中合わせの三角錐のくぼんだ真ん中部分を左手の人差し指と中指で挟む。

「グラン・マルニエ。これは嫉妬心」二ツ家先輩はメジャーカップに、ずんぐりした瓶から液体を注ぎ、シェイカーに移し変える。

「コアントロー。これは猜疑心」さっきの四角い瓶はコアントローって読むらしい。

「レモンジュース。これは罪悪感」机の上から絞り機を持ち上げる。さっきの心臓マッサージは、レモンを絞っていたんだ。動きを見ながらわたしは不謹慎ながらもワクワクしていた。

二ツ家先輩は、メジャーカップを置き、柄の部分が螺旋になったスプーンを持った。

「グレデンシロップ。これは後悔」スプーンの腹に赤い液体をすりきり注ぎ、シェイカーに落とした。そして不思議な指使いでスプーンをくるくる回す。

足の長い逆三角形のカクテルグラスを三つ出し、シェイカーに、冷凍庫から出した氷を入れる。本当に私物化されているなぁ。

そして、二ツ家先輩はシェイカーの蓋を閉じて、胸の前で素早く美しく振り始めた。蛍光灯に煌く銀色のシェイカーに息をのんだ。


シャカシャカシャカシャカ――


わたしの聞いた音はこれだったんだ。やっと気になっていた音の正体を知ることが出来た。

美しい仕草に相応しい音だった。その音は徐々にフェードアウトしていき、二ツ家先輩はシェイカーからピンクに近い薄い赤い色の液体を、カクテルグラスに注いだ。

作りはじめから注ぎ終わるまでの動作が一つの動作に感じられるほど、無駄が無く滑らかだった。

なみなみと注がれたグラスは、わたしと、吉岡さんと、渡良瀬さんの前に差し出された。

「お待たせしました。グルームチェイサーというカクテルです。もちろん、ノンアルコールで代用していますが、お楽しみください」

二ツ家先輩は少しだけ頭を下げる。

零さないようにグラスを口に近づける。ふんわりとオレンジの匂いがする。グラスに口をつけて一口飲む。柑橘系の優しい甘さと爽快感が口の中を乱反射する。

「美味しい」言いたくて言ったわけではなくて思わず口からそう漏れた。

吉岡さんも渡良瀬さんも「美味しい」と言った気がした。

「グラン・マルニエ、コアントロー、お菓子にも使用される二つのお酒は、オレンジの果皮を用いて作られています。オレンジの香りは緊張をほぐす効果があるそうです。もちろんこれは僕が作ったノンアルコールの贋作ですが」

二ツ家先輩の声がゆっくりと説明をしてくれている。しかし、五感の神経の殆どは鼻と舌に集中されていた。

「そして、このカクテルの名前。グルームチェイサー。意味は『憂鬱な気持ちを晴らす』」

わたしたち三人は、意味を聞いて顔を上げた。

「ごめんね。まどか」吉岡さんは口を開いた。声が震えているので泣いているのであろうか。わたしは顔を見ることが出来なかった。

「まどかにレギュラーを取られるのが怖かったの。アナタの才能の前では、どれだけ努力したって無駄な気がして、あんな事をしてしまった。ごめんね。バスケを奪うような事をしてごめんなさい」

渡良瀬さんは何も言わなかった。でもそれは怒っているわけではなくて、全てわかっています。だからもう謝らないでください。そんな無言を作り出している気がした。二人には聞こえる言葉がそこにあるのかも知れない。


白崎太陽は、立ち上がって遮光カーテンを開けた。眩しさで目が開かない。

「まー、一件落着だな。雨降って地固まる。ってか」

目が慣れ始め窓の外を見る。人の気持ちを塞ぐ勢いのあった鈍雲はそこにはなく、カクテルと同じ色合いの赤い光が家庭科準備室に差し込んできた。

「空は晴れましたね。心も晴れましたか?」

二ツ家先輩は優しく問うた。照らされた吉岡さんの渡良瀬さんの笑顔がその答えだった。



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