3.手放せるのか(リーデック視点)
「失礼致します。」
王太子の執務室に入室すると、クリストファー殿下は執務机に向かってさらさらとサインをする為にペンを走らせていた。
「あぁ、来たか。」
俺が入ってきたことに気がつくと、「しばらくリーデックと二人にしてくれ。」と側近に指示して、執務室にいる皆を護衛を含めて全て部屋の外へと出した。
二人きりになると、俺の顔を見てニヤリと笑う。
「それで?薔薇は喜んで貰えたか?」
「はい、とても。」
今朝、薔薇を見つけた瞬間にパァァァっと瞳を輝かせていたシャルルローズを思い出して、口元が思わず緩みそうになる。一生懸命引き締めたが、完全にはうまくいかなかったようで、殿下には見抜かれてしまった。
「お前はシャルルローズ嬢のことになると、本当に表情が豊かになるな。」
「茶化さないでください。」
「いいじゃないか。うまくいっているようで、安心してるんだよ。結婚の経緯が、経緯だからな。」
「………………シャルルローズの本心は分かりませんが。」
俺の言葉に殿下の眉がぴくりと動いた。
「好きになったと、正直に伝えれば良いじゃないか。」
「それを私から伝えてしまえば、シャルルローズは私を受け入れるしかなくなります。」
そっと、目を伏せる。
本来ならば、美しく聡明なシャルルローズには相応しい縁談が引く手数多にあっただろう。
それなのに、姉の元婚約者という、訳ありの相手に嫁がなければならなかった不運。
誰からも盛大に祝福される幸せな花嫁になれるはずだったのに、あまりにも酷な話だ。
シャルルローズ本人には何も瑕疵がないのに、ただ、相手が姉の元婚約者というだけで色々と勘繰られ、憐れまれて。それがどれだけ彼女を苦しめ傷ついただろうと思うと、胸がとても痛い。
そして自分自身の気持ちも、急なミュゼとの別れのダメージは想像以上に大きくて、どことなくミュゼに似たところがあるシャルルローズを受け入れるには、時間があまりにもなさ過ぎた。
彼女もそれはきっと同じ。初夜の時、「気持ちの整理がつかぬまま、君を抱くのは君に対して失礼だと思うんだ。」と伝えると、明らかに彼女もホッとしていた。それはそうだろう。ずっと姉の婚約者としてしか見ていなかった男が相手なのだから。
「ミューゼット妃の婚姻が落ち着いた頃に離縁して、シャルルローズを自由にすると心に決めていたのです。白い結婚であることを申し立てれば、婚姻自体が無効になって彼女にキズは残らない。その後、彼女には相応しい相手との縁談も、世話するつもりでした。」
それまでは、彼女をしっかりと妻として大切にしよう。
彼女が出来るだけ傷つくことがないよう、フォローしていこう。
そう思いながら、最初は義務感で理想的な夫を演じていたように思う。
だが、彼女と過ごすうちに、次第にそれは義務ではなく、「シャルルローズを喜ばせたい。」「笑顔が見たい。」と心の底からの願いへと変わっていった。
「ああ、結婚前に確かにそう言っていたな。…………だが、今は迷いがあるのではないか?」
「迷いばかりです。……自分がこんなにも情けない男だったとは。」
実際に、その時が訪れた時に素直に彼女を手放せるのだろうか。彼女が他の男と笑い合う姿を、祝福できるのだろうか——。
「難儀なものだな、恋とは。」
「殿下と妃殿下が羨ましいですよ。」
「私から見れば、お前とシャルルローズ嬢も十分思い合っているように見えるがな。」
「そうなれると、良いのですが。」
そうであれば、何の迷いも躊躇いもなく永遠にシャルルローズと共に生きていけるのに。
ギィ
殿下は両手両足を組むと、椅子の背もたれに背を預けた。
「そんな状況のお前たちを動揺させてしまうかもしれないが、近頃アスニア国の後継者争いが激化している。」
アスニア国とは、ミューゼットが嫁いだ国だ。
「何があったのですか?第一王子殿下の地盤は盤石だと思っておりましたが。」
「どうやら第一王子が他国の令嬢を娶ったことに反発した勢力が、第二王子派に寝返ったようだな。それらが一部、過激な行動を起こそうとしているらしい。今、陰の者を潜り込ませ、詳しい状況は探らせている。」
「…………ミューゼット妃が危険なのですね。」
「あぁ。だから秘密裏に我が国に逃すので匿って欲しい、と。」
「なるほど。」
「彼女は、こんな時だからこそ、尚更国を離れるわけにはいかないと拒んでいるらしいがな。」
責任感が強い彼女らしい。
幸せであって欲しい、と願っていたが、そんなことになっていたとは。
シャルルローズとは時折手紙のやり取りをしているようだが、ミューゼットがこのような状況に置かれていることは知らないはずだ。知ればまた、心を痛めるに違いない。
「かしこまりました。今後に備えて、必要な体制を整えます。」
「早急に、頼む。」
頭の中で今後の算段をつけながら、しばらく家に帰れそうにないな……と、シャルルローズの顔を思い浮かべた。




