5話 故郷の異変 SIDEバルト
「おい! なぜあの『奇跡の香水』と同じ匂いにならないんだ!」
バルト工房の調練室に、バルトの怒号が響き渡った。
ガシャ、とガラスの割れる鋭い音がして、高価な香料の混ざり合った、酷く毒々しい匂いが床から立ち上る。
目の前で青ざめ、怯えきった顔で震えているのは、大金ではたいて雇った国内最高峰の調香師たちだ。誰も彼も、バルトが突きつけたレシピを前に、冷や汗を流している。
「そ、それが……バルト様。レシピ通り、寸分違わず最高級の薔薇とアルコールを調合しているのですが……どうしても、魔力を安定させるあの『清涼感』が出ないのです。ただ、香りが強いだけの、普通の香水になってしまい……」
「黙れ! 無能どもめ!」
バルトは机を激しく叩いた。手のひらにジンジンと鈍い痛みが走る。
おかしい。何かがおかしかった。
あのリゼットとかいう、地味で陰気な義妹が残していったレシピだ。一滴の狂いもなく書き写させ、材料もすべて一番高いものを用意した。それなのに、出来上がるのは鼻を突くような下俗な香水ばかり。
(あいつ、小賢しい真似を……! レシピに嘘を書き残したな!?)
脳裏に、あの雨の日に追い出してやったリゼットの、 涙に濡れた顔がよぎる。
いや、そんなはずはない。あの場でレシピを奪った時、あいつは確かに絶望していた。あいつのような無能に、そんな大それた嘘がつけるわけがないのだ。
だが、現実はバルトの首をじわじわと絞め続けていた。
王室御用達の内定が決まり、すでに国を代表する高官や、強力な魔力を持つ公爵家から、大量の先行注文と莫大な前金を受け取っている。
「魔力暴走を完全に抑える、奇跡の薔薇」
そう大々的に宣伝したせいで、工房の門前には、今か今かと納品を待つ貴族たちの馬車が列をなしていた。
その時、調練室の重い扉が、遠慮のない力でバンと開け放たれた。
「バルト! どこだ、バルト!」
入ってきたのは、工房の番頭だった。いつもは小綺麗にしている男の額にはべっとりと嫌な汗が浮かび、服の襟元はだらしなくはだけている。その血走った目が、バルトを捉えた。
「大変です、バルト様! 先ほど、第一騎士団の副団長様が直々に……! 納品された試作の香水を使ったところ、団長様の魔力暴走が全く治まらず、それどころか悪化して暴れ出されたと……!」
「な……っ」
「『詐欺の疑いがある、即刻説明に来い』と、外に兵が押し寄せています! 前金を返せと暴れる他家の使者も後を絶ちません。バルト様、どうするのですか、あの香水は本当にあなたが……!」
番頭の、疑惑の混じった視線がバルトの顔に突き刺さる。
耳の奥で、ドクドクと不快な心臓の音がうるさく鳴り響いた。
調練室に充満する、失敗作の薔薇の匂いが、急に吐き気を催すほどに不快なものに感じられる。
(なぜだ。なぜあんなゴミのような女が作れたものを、この私が作れない!?)
外からは、ドンドンと工房の門を激しく叩く、無数の足音と怒号がここまで響いてきている。
バルトの額から、タラリと冷たい汗が流れ落ち、石畳の床へと吸い込まれた。手の中に握りしめた「王室御用達」の書面が、じっとりと手汗で湿っていく




