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無能と虐げられ捨てられた調香師、敵国の冷徹公爵に拾われて極上に溺愛される 〜私が作った香水がないと、もう眠れないそうです〜  作者: 絹ごし春雨


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4話 愛情に包まれて

 目の前に並べられたのは、これまで見たこともないような、透明なガラスの瓶だった。

遮光のための深い青、透き通った琥珀色。どれも塵ひとつなく磨かれていて、リゼットがかつて使っていた、ひび割れて煤けた泥だらけの調合瓶とは何もかもが違っていた。


「……これで、足りるだろうか。もし欲しい道具が他にあるなら、何でも言ってくれ。すぐに国中から集めさせる」


背後からかけられたディードリヒの声は、とても静かだった。馬車の中で感じたあの圧倒的な威圧感は、今の彼からはほとんど感じられない。まるで、自分の存在がリゼットを脅かさないように、気配を精一杯小さく丸めているかのようだった。


城の、日の光が柔らかく差し込む一室を、彼はリゼットのための「調練室」として与えてくれた。

肌触りの良い純白のドレス、温かい食事、ふかふかのベッド。それらを与えられるたびに、リゼットの胸には「どうして」という戸惑いと、いつか「やっぱりいらない」と捨てられるのではないかという、消えない怯えがあった。


けれど、ディードリヒがリゼットに向ける眼差しは、バルト兄様が自分を見る時の「道具」を見る目とは、まったく違っていた。


(……また、酷い匂いがする)


リゼットは、振り返ってディードリヒの顔を見つめた。

その端正な輪郭が、微かに歪んでいる。真紅の瞳はどこか虚ろで、彼の大きな身体の奥から、焦げ付くような魔力の澱みがじわじわと染み出しているのが分かった。国を背負う彼の頭痛は、きっと普通の人間なら気が狂うほどのものなのだろう。


「ディードリヒ様……あの、お手数ですが、そこに、お掛けになっていただけますか」


「リゼット? ああ……すまない。私の気配が、また君を苦しめているな。すぐに席を外そう」


「違います」


慌てて身を引こうとする彼の、仕立ての良い上着の袖を、リゼットは無意識に指先で掴んでいた。

自分でも驚くほど、自然に手が動いていた。


「……痛みを、和らげさせてください。私に、そのための香りを、作らせてほしいんです」


ディードリヒは、驚いたように目を見開いた。それから、恐る恐るという仕草で、リゼットに促されるまま近くの椅子に腰を下ろす。


リゼットは小さく息を吸い、調合台に向き直った。

不思議と、指先はもう震えていなかった。バルト兄様には「地味で無能」と切り捨てられた自分の技術が、目の前の、この孤独に耐えている強い男の人を救えるかもしれない。そう思うと、胸の奥がじんわりと熱くなった。


すり鉢で、乾燥させた薄紫の花弁を静かに退かしていく。

トントン、と小気味よい音が室内に響く。カモミールに似た甘い野草の香りに、ほんの少しだけ、神経を鎮める冷涼な樹液をブレンドする。

バルト兄様が好んだような、人を惑わせる派手な薔薇の香りではない。けれど、傷ついた心を毛布のように包み込む、優しい緑の香り。


一滴、また一滴。

比率を脳内で正確に計算しながら、丁寧に油を馴染ませていく。


「……これを、手のひらに」


出来上がった小さな琥珀色の瓶から、リゼットは自分の指先にほんの少しだけ香油をとり、ディードリヒの大きな手のひらに、そっと 馴染ませるように 擦り込んだ。


ディードリヒは、じっと自分の手を見つめ、それからそれを覆うようにして顔を埋め、深く息を吸い込んだ。


「……ああ……」


彼の唇から、張り詰めていた糸が切れたような、低い吐息が漏れた。

険しかった眉間の皺が、見る見るうちに解けていく。真紅の瞳に、じわりと、潤んだような優しい光が戻っていくのを、リゼットは間近で見つめていた。


「驚いたな。……脳を抉られるようだった痛みが、嘘のように、静まっていく」


ディードリヒは顔を上げ、リゼットの、まだ少し香料で荒れている手を、自らの両手で包み込んだ。

馬車の時と同じ、火傷しそうなほどの熱。けれど今の彼の熱は、リゼットを怖がらせるものではなく、ただひたすらに、愛おしいものを慈しむような、深い優しさに満ちていた。


「リゼット.君は本当に、私の救い主だ。私の命も、この地位も、すべて君のためにある。……ここにいてくれて、ありがとう」


大きな手のひらから伝ってくる、確かな体温。

バルト兄様にすべてを否定され、誰もいない雨の中に放り出されたリゼットの凍りついた心が、彼の言葉と、その真っ直ぐな瞳によって、ゆっくりと、けれど確かに溶かされていくのが分かった。


この人のために、もっと良い香りを作りたい。

彼の安らかな寝顔を、もっと見ていたい。


ディードリヒを見つめるリゼットの胸の奥に、これまで知らなかった、小さくて温かい感情が、静かに芽生え始めていた。


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