第2話:構造欠陥の宣告
第2話:構造欠陥の宣告
釜山の朝は、いつも通り活気にあふれているはずだった。
しかし、ハン家の食卓には、重苦しい湿り気がまとわりついていた。
「ジアン、昨日、ジュウォン君に送ってもらったんやってな。何があったんや?」
建設会社を一代で築き上げた父、ハン・ギテクが、新聞を置かずに問いかける。
ジアンは黙ってスープを口に運ぶ。
スプーンがカチカチと音を立てる。指先が、自分の意志に反してわずかに震えていた。
「……ちょっと、飲みすぎたんや。現場の連中と景気づけにな」
「嘘言いな。お前、酒には誰より強いやろ。ジュウォン君が言ってたぞ。『お嬢様、顔色が土色やった』って」
ジアンは箸を置いた。
「……ただの疲れや。次のプロジェクトの構造計算が難航しとるだけ。父さんには関係ない」
ガタン、と椅子を鳴らして席を立つ。だが、その足取りはどこか危うい。
昨日、地下鉄のホームで感じた「世界が剥がれ落ちる感覚」が、今も胃の底に沈殿している。
数日後。ジアンは父と、そして心配して駆けつけた叔母に半ば強引に車に押し込まれ、釜山大学病院の廊下にいた。
白い壁、消毒液の匂い。
ジアンにとって、ここは「最も非効率な場所」だった。
「うちは病気やない。設計図の引きすぎで目が霞んどるだけや」
待合室でそう毒づく彼女の手には、無意識に愛用のコンベックス(メジャー)が握りしめられている。それをカチカチと出し入れする音が、彼女の不安を代弁していた。
「ハン・ジアンさん、診察室へ」
診察室。モニターには、ジアンの脳の断層写真が映し出されている。
医者は淡々と、しかし残酷な事実を突きつけた。
「海馬の萎縮が見られます。若年性アルツハイマー型認知症……今の段階では、そう診断せざるを得ません」
一瞬、部屋の中の空気が止まった。
「……アルツハイマー?」
ジアンが乾いた声で繰り返す。
「先生、うちは建築士や。ミリ単位のズレも許されへん仕事をしとる。脳みそがボケるなんて、そんな冗談通用せえへん」
「ジアン、落ち着きなさい」
父が肩に手を置くが、ジアンはその手を強く振り払った。
「先生、これ、何かの間違いやろ? うちの脳みその構造計算、やり直してや。どこに欠陥があるんや? 補強すれば治るんか? 鉄筋を入れるか? コンクリートを流し込むか!?」
職人としての言葉が、悲鳴となって溢れ出す。
医者は静かに首を振った。
「これは、修繕できるようなものではありません。徐々に、あなたが築き上げてきた記憶という柱が、一本ずつ消えていくんです」
ジアンはモニターに映る、自分の脳の「影」を凝視した。
まるで、完成間近のビルが、土台から音もなく崩れ落ちていくような光景。
「……消しゴムや」
彼女はぽつりと呟いた。
「誰かが、うちの人生を消しゴムで消しにかかっとるんやな」
病院の外に出ると、釜山の青い海が見えた。
いつもなら「あそこにどんな建物を建てようか」と胸を躍らせる景色が、今はただ、果てしなく残酷に広がっている。
「ジアン……」
父が声をかけるが、ジアンは答えなかった。
ただ、手の中のコンベックスを最大まで引き出し、パチンと大きな音を立てて巻き戻した。
その音を聞きながら、ジアンは決意する。
(このまま消されてたまるか。全部消える前に、私は私の証を残さなあかん)
その夜、ジアンは一人、誰もいない夜の建築現場へと向かった。
そこには、重機に寄りかかってタバコを吹かしているチェ・ジュウォンの姿があった。
次回、第3話:現場が私の居場所
病を隠して現場に戻るジアン。しかし、仕事中に取り返しのつかないミスを犯してしまい……。
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