↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
112/237

111 お返しに抱き締めてみます

「いるわけない、か」


 ぽつりと自然に溢れた言葉に、楓は呆れたように自嘲した。


 時刻は朝の四時半。


 怠い身体をゆっくりと起こし、カーテンを開けると空には群青色の幕だ。日の出前のこの時間は、普通の高校生であればまだ夢の中であろう。


 手早く身支度を済ませると、炭酸水をコップに注いで一気に飲み干す。乾いた身体に染み渡る感覚が心地良い。


 玄関のドアを開けて、静かに閉めると鍵をかけた。


「寒いな」


 吐く息は当然のように真っ白で、吸い込んだ空気は冷たすぎて、身体の芯から熱を奪われるように感じる。地面に張った氷の上で軽くステップを踏むと、パリパリと足元から音が聞こえてきた。


 道には車どころか誰一人として歩いていない。ほんの一ヶ月前までは犬の散歩している主婦などを見かけたが、寒さも増したこの時期にはそんな姿はめっきり減った。


(よし、じゃあ行くか!!)


 色々と悩んでいる事があっても身体は正直で、一度熱を帯び始めると一瞬で沸点だ。「ボクシングよりマラソンのほうがいいんじゃないか」と言われてもおかしくないぐらい、最近はひたすら走っている。


「きついな、さすがに――」


 今日はいつもより余分に走ってしまった。最初は雑念を消すつもりで、「ちょっとペース上げてみるか」程度だったのだが、走っていると思いのほか気分が乗ってきて、結局は限界以上に追い込んでしまった。


 脚がガクガクと震えているが、クールダウンも必要なので、止まらずにスローペースで走りながら息を整えていく。


 そうして自宅に着いたのが午前六時半。共用部の階段を登っていき、自宅のドアに鍵を入れて回す。


 なんの引っかかりもなく空回りした鍵を、元の位置まで回すと引き抜く。


(……)


 ドアを開けると、もう見慣れた小さな靴が一組。玄関の隅にちょこんと並べられている。


「……お……おはよう」

「よう」


 壁から顔を半分だけ出して、夕月は控えめに朝のあいさつをする。楓から見えるのは顔半分だけだが、不思議と夕月の気持ちが伝わってくる気がした。


 玄関で靴を脱ぐと同時に、夕月は楓の視線から逃げるように姿を隠す。楓はゆっくりと部屋へと入る。


 テーブルに並べられた朝食、作ってくれた人の姿はそこにはない。ふと横を向くと、部屋の隅でオロオロしている夕月がいた。エプロン姿で胸にはウサギさんのワッペンがついている。


「…………あ……あの」

「作ってくれたんだろ? 座れよ、食おうぜ」


 夕月はきょとんとしていたが、楓に促されるがままに定位置に座る。


 そのまま二人とも無言で食事を終えると、ようやく楓が話し始めた。


「その、なんだ。あれだ」

「……?」

「悪かった。朝食も助かる」

「……怒って……ない?」


 不安そうな瞳は今にも泣き出しそうに潤んでいて、楓の様子を恐る恐る伺っている感じだろうか。手荷物から交換日記を取り出すと、目の前で広げて見せた。


 無数のウサギ(クマ)さんの絵で埋め尽くされているページを見て笑いそうになる。だが、よく観察してみると下の方に小さな文字で何か書いてあるようだ。


『昨日はごめんなさい。勉強、私が教えてもいい? 条件なんてつけません』


 夕月らしい気弱な文章だが、その上にある怒っている(?)であろうウサギ(クマ)さんの絵を見ると、感じる印象が正反対だった。


(怒りまくった末に諦めて謝った、って感じか)


「だったらウサギ(クマ)消しとけよ」と思ったが、謝る事だけを考えて他は見えていない、というのが夕月らしいなと思った。


「俺は何をすればいい?」

「…………え?」

「勉強教えてくれるんだろ?

「……いい……私が……教えて……あげたい…………だけ」

「別に嫌々じゃねえよ。おまえの望みだろ? だったら可能な限りは叶えてやりたい」

「――っ!」

「昨日は悪かった。教えてもらう立場だ俺は。そこは響の言う通りだった」


 夕月はこれ以上ないぐらい顔を真っ赤にして、あわあわと視線を泳がせている。何かを伝えたいんだろうが、上手く言葉にできないといったところか――。


 本人は大真面目なのだろうが、慌てふためく様子は見ていて飽きないし可愛らしい。


「……えっと…………えっと」

「それ、ちょうどいいから書けよ。話すより早いだろ?」


「それだ!」といった感じで夕月は交換日記に向かい合う。少し間を置いて何やら書き始めた。


「…………じゃあ」


 五分ほど経って、夕月は再びノートを開いて楓に見せてくる。


『今日、泊まりたい。それとぎゅってして欲しい。息ができないぐらい強めに』


「さりげなく希望が二つ書いてあるぞ?」

「……うむ」

「うむ、じゃねえよ」


 わざとらしく「はあ」と大きめの溜息ついてみるも、夕月はニコニコと笑顔のままだ。楓が折れるのを確信しているのだろう。


 今回の喧嘩は主に楓に原因があっただろう。それは楓自身も自覚したし、きっちりと反省もしている。


(まあ、仕方ねえか)


「仕方ない」と心の中で思ってみても、勿論本心から嫌な訳ではない。ただ若干恥ずかしいというか、柄じゃないというか――。


 "好きな女性には意地悪をしたい"というあの現象に近いかもしれない。


「他人との繋がりは煩わしい」というのが元々の性分の楓にとっては、「意地悪をしたい」というのはニュアンスが異なるが、自発的に誰かを想うとすれば、それは夕月だけなのだろう。


 やはりというか、あらゆる面で夕月は特別だった。





「分かった、明日休みだしな。よく考えたら勉強するんだから泊まってもらうのはありがたいか」

「……うむ」

「で、あと一つだな。こっち来い夕月」


「抱き締められたい」と条件をつけたものの、まさか今、この場所でとは思っていなかったのだろう。夕月は混乱したままで、それでも楓の手招きに従って近寄っていく。


「それにしても、そのエプロンのワッペン。相変わらず間抜けなクマだな」

「……ウサギさん!」

「はいはい、そうだったな。ウサギな」

「……むう……。――っ!!」


 夕月の全身を包み込むように、いきなり強く抱き締めた。()()()()()()()のではなく、一方的に楓が夕月を抱き締める形だ。両腕の上から抱いているため、夕月は身動き一つ取れない。


「……ん」

「苦しくないか?」

「……苦しい……幸せ……すぎて」

「そうかよ、そりゃよかったな」


 触れ合った身体から柔らかさが伝わってくる。甘ったるい夕月特有の匂いは、ずっと嗅いでいると頭がおかしくなりそうだ。嬉しそうに顔を胸板のあたりに擦り付けてくる。


「……心臓……動いてる」

「当たり前だろうが。俺はロボットか?」

「……この音……好き」

「変わってるな」


 色々と柔らかい部分に触れていると、さすがに理性が崩壊しそうになってきたため、「そろそろか」と夕月から離れようとした、が――。


「おい、何してる」

「……」

「おい」

「……抱きついて……いる」


「楓から抱き締めてもらったから、次は私の番」という事らしい。夕月からすると一度で二度美味しい。当然のように全力で楓にしがみつく。


「離れろ!」

「……うぎぎぎ!」

「離れろ!」

「……断る!」


 必死に引き剥がそうと試みるも、夕月は腕だけでは不十分と感じたのか、あろう事か両脚も使って必死に絡みついてきた。


「……離れぬ!」

「離れろ! 胸! 当たってるから離れろって!」

「……胸の……一つや……二つ!」

「お、おい危ねえって!!」


 結局、楓と夕月は密着したまま床に倒れてしまった。楓が夕月に覆い被さる形で、夕月は相変わらず楓に抱きついたままだ。


「……これ……いい」

「いい、じゃねえよ。俺の理性ぶっ壊すつもりかおまえは」

「……壊れれば……いいのに」


 そうこうしていると、玄関のドアが開いた。


「楓ー!! 今日は夕月ちゃん来たー!?」


 遠慮なく玄関を開けた響は、目の前の光景を見てぽかんとしていた。数秒後、その顔がみるみる紅潮していく。


「あ、あああああんた!!!! 朝から何やってんのよ!!!!」

「何って、見ればわかるだろうが」

「そういう事をするなら鍵を閉めてよ!! 夕月ちゃんもよ!! 止めはしないけど気を付けなきゃ!!」


「はあ? 何言ってんだこいつ?」と思った楓と、首を傾げた夕月。二人は不思議そうに響を眺めていた。


よろしければ下記から評価PTをいただけますと、とても嬉しいです!


モチベがガンガン上がります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。