110 怒りのウサギさん
この学校の図書室は本の種類が豊富だ。聞くところによると、最近は漫画やライトノベルなどまで完備している学校も増えているらしい。
楓が通うこの高校も、例に漏れずに時流に染まっているようで、漫画目当てで通う生徒も多い。
コンビニ理論のようなものだろうか。「漫画を探しに行ったら偶然面白そうな小説を見つけた」といった方向に持っていくなら、取り敢えず悪くはないように思える。
そのおかげなのか図書室に通う生徒は多く、テスト前のこの期間は特にだが、混み合って席に座れない事も多々ある。
――教室はうるさいし、図書室か。
安易な考えで楓は現在進行系で図書室にいる。いつもは自宅で勉強するのだが、「たまには場所を変えてみるか」と足を運んでみた。
だが、いざ来てみたら室内には人も多く、机も相席が当たり前のようになっている。しかしながら、これだけの人がいながらも室内はかなり静かで、秩序が保たれているのには只々感心した。
(初めてきたけど、嫌いじゃねえなこの空気)
ちょうど窓際の席が空いているようで、四人掛けのテーブルに男女が二人並んで座っている。どうやら対面の席に座れそうだ。
室内の調和を乱さない程度の小声で、座っている男女に話し掛けた。
「ここいいか?」
「あ、どうぞどうぞ」
男子生徒は快く応じてくれて、隣の女子生徒もコクコクと頷いていた。
許可も取れたところで早速勉強を始める。まずはあずみに邪魔された物理からだろうか。ちなみに放課後はあずみに急用ができたらしく、説教タイムは運よく回避できた。後はそのまま忘れてくれる事を願うばかりだ。
(それにしても、マジでさっぱりだな。気合い入れないと赤点だぞこれ)
教科書と睨めっこしていると、ふと前方から視線を感じた。
「あ、あの。神代楓さんですよね?」
「ん? そうだが?」
「神代さんめちゃくちゃ男前ですよね。強いうえにカッコいいとか僕とは大違いで」
「いや、そんなんじゃねえよ」
小声でひそひそと男子生徒と会話する。隣の女子生徒はしきりに首を縦に振って男子生徒に同意していた。
「私も神代さん凄くカッコいいと思います。彼女さんが羨ましいです」
「……あぁ、夕月か。ていうかおまえらも付き合ってんだろ?」
「「まさか」」
どうやら腐れ縁の幼馴染らしく、恋人関係などとは無縁らしい。楓と響のような関係ではなく、純粋に仲のいい友達のようだった。
「今日は彼女さんはいないんですか?」
「さあ知らねえな。何してんだかな」
小声ながらトゲのある楓の言葉に、すぐに食いついたのは女子生徒だ。
「も、もしかして喧嘩ですか? 別れる寸前みたいな?」
「……」
「もしそうだったら彼女に立候補したいなあって。あ、もちろん友達からでも全然いいですので」
「おい、失礼だぞ」と制止する男子生徒を無視しながら話し続ける。
「よければ勉強も教えます。結構成績は良い方なので」
「…………いや、気持ちは嬉しいが遠慮しておく。彼女の件も諦めてくれ」
「……そうですか。で、ですよね。ていうか私どうしていきなり告白しちゃったんだろう。なんかごめんなさい」
「はは、なんか夕月と正反対だな。嫌いではねえよ、おまえみたいなタイプ」
名前も知らない女子生徒は、楓が夕月とうまくいっていないと感じたら、すぐさま行動に移してきた。
その行動力と度胸には脱帽だが、恋人になるかどうかは別の話だ。
『……浮気?』
『……嫌いに……ならない?』
楓の様子を伺いながら、不安そうに見つめてくる美少女。いつも自信なさげで、それでも変なところは強引で。
よく考えてみると言葉に出さないだけで、
――好きだ! 大好きだ!
と自身の全てで楓にぶつかってくる。
「正反対でもないな。考えてみるとあいつもかなり強引か」
自然と笑みが溢れた。
「彼女さんとは喧嘩中なんですか?」
「そんなとこだな」
「早く仲直りできるといいですね」
「なるようになるだろ。とりあえず今は勉強だ」
目の前の二人との会話を終えると、再び自身の勉強へと戻った。
◇ ◇ ◇
「…………来ない」
あれだけ怒ったのだから、放課後は教室まで迎えに来てくれると思っていた。だが、いつまで待っていても楓は来なかった。
こんな時スマホがあれば、メッセージの一つでも残せるのだが、残念ながら楓はスマホを持っていない。
やり場のない怒りを、とりあえずは交換日記に書き殴っていく。白いスペースを埋めるように怒りの表情のウサギ、ウサギ、ウサギだ。
「……怒りの……ウサギさん」
開いたノートのちょうど半分が埋め尽くされたところで、クラスメイトから声を掛けられる。
「夕月さん、呼んでるよー」
(……来た!)
夕月はパタパタと駆け足で教室の入口へと向かう。ドアを開けたその先、立っていたのは残念ながら楓ではなかった。
「ご、ごめんね楓じゃなくて」
「……響ちゃん」
あからさまに気を落とした夕月の様子を見て、響は申し訳なさそうに両手を合わせている。
「ほら、あのバカは鈍いうえに気が利かないから。夕月ちゃんはずっと教室で待ってるんだろうなーって思ったら、あまりに不憫でね」
「……私から……謝る」
「いや、今回はあいつが全面的に悪い! だから夕月ちゃんは気にしなくていいのよ? ……なんか考えてたらイライラしてきた。ねえもう帰ろ! なんか美味しいもの食べていこうよ!」
「ほら、帰る準備してきて!」と強引に響に背中を押された。
「…………」
どうやら、このまま待っていても今日はダメらしい。夕月は瞳を閉じて小さく息を吐くと、泣く泣く帰り支度を始めた。
◇ ◇ ◇
「あいつはさー! 夕月ちゃんに甘えすぎなのよ!」
「……」
「こんな可愛い子が彼女とか――。もっと大事にしなさいって話よね!」
「……」
「脳筋って本当に厄介だわ」
「……」
手元のアイスティーの氷は、ほとんどが溶けてしまって冷たさがなくなってしまった。夕月はストローをくるくると規則的に回している。
"心ここに在らず"の夕月の姿に、響は「こりゃダメだ」と話すのを一旦止めた。
響は三杯目の烏龍茶を飲み干すと、ゆっくりと夕月に語り掛ける。
「ねえ夕月ちゃん、楓と別れたい?」
「……死んでも……嫌……絶対……離れない」
「だよねえ」と響は顔をほころばせる。
「あいつって本当にバカだよね。融通は利かないし、すぐ怒るしね」
「……でも……優しい」
「んー、正確には優しくなったかなあ。夕月ちゃんの影響だよねこれ」
「……私の?」
「うん! あいつは夕月ちゃんと付き合ってから変わったよ。夕月ちゃんが大好きで大切なんだろうなあ」
夕月は顔を真っ赤にして、俯いたまま沈黙する。常温になってしまったアイスティーに口をつけた。
「そもそも神代楓に恋人ができた、ってだけでも大事件だったよ私には」
「……そうなの?」
「そりゃそうよ。あいつはいつだって自分ファーストで、周りなんか全く見てなかったし。取り憑かれたみたいにボクシングばーっかり!」
響は夕月の頭にそっと手を乗せると、少しだけ力を込めて撫でた。
「そんな楓を変えたのが夕月ちゃんなんだよ。多分他の人だとダメだったと思う。夕月ちゃんだからこそだったのね」
「……そうなの?」
「そうなの! 今回みたいに夕月ちゃんを怒らせる事は、これからもたくさんあると思う。もちろんほとんどはあいつが悪いんだろうけどね。……でもちょっとだけ寛大になってあげて。これは私からのお願い!」
「…………寛大……に」
「固い氷が溶けるみたいにね、多分あいつもゆっくりと変わってる。周りから見るとそうは見えないかもしれないけど、あいつもあいつなりに努力してるのよ」
何かを思い出しているかのように、響は目を閉じたまま無言になった。口元は緩み、少し楽しそうにさえ見える。
そんな響の姿を見て、夕月もつられたように小さく笑った。
「……響ちゃん……が……楓の……恋人みたい」
「まさか!! 勘弁してよ夕月ちゃん!!」
「無理無理!」と響は目の前で大袈裟に手を振っていた。
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