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109 仲裁人の必要性

 陽の回復は順調で、今ではきちんとした会話も可能になった。折れた骨がすぐにくっつく訳ではないが、それでも医師もびっくりの回復ぶりらしい。


 "病は気から"と言ったりするが、陽ほど"気"が充実している者も珍しい。明るい性格は怪我の回復にも良い影響があるのかもしれない。


 響はほぼ毎日見舞いに訪れているようで、その甲斐あってか、陽の両親ともかなり仲良くなれたようだ。陽が入院して良かったとは思わないが、響と陽の両親の距離が縮まったのは、響にとっては思わぬ収穫だろう。


 楓はというと、ロードワークの途中で病院に寄っていたりする。毎日ではないが、それでも頻度は高いほうだろう。隣にはいつも夕月の姿もある。


 陽の見舞いには連日たくさんの人が訪れているらしい。見舞いの品の中には飲料も多く、ロードワークで汗を流した楓にはちょうどいい水分補給場だ。


 苦笑いしている陽だったが、「飲んでいいよ」と承諾も貰ったため、遠慮する理由もなかった。




 そんな日常はあっという間に過ぎていく――。




 さて、今日は十二月一日。


 下旬にクリスマスを控え、即席カップルが多発するのもちょうどこの時期だ。次はおそらくバレンタインあたりか。


 クリスマスイブが終業式のため、その日が早く来ないかと皆が心待ちにしていた。学校全体が冬休み前の浮わついた雰囲気に包まれている。


 そんな雰囲気に流される余裕などない、楓は今窮地に立っていた。


 期末試験だ。


 基本的に楓は勉学もそれなりに進めていて、赤点など取った事もない。だが今回は別だ。


 例の陽襲撃事件から始まり、金田兄弟へのリベンジ、そして並行してボクシングの練習。過密なスケジュールだっため、勉強する時間を確保できなかったのだ。


 その遅れを取り返すべく、楓はひたすらに追い込み中である。


 結に全てを話すと、


『では、テストが終わるまでジムに来なくていいです。怪我もしてますしちょうどいいです。ですが、ロードワークだけは欠かさないでくださいね』


 ――来なくていいけども、死ぬ気で走れ。


 微量の飴と特大の鞭が返ってきた。実に結らしい。


(やべえ。全く分からねえ。これは本気で勉強しないとやばいな)


 今はあずみの授業中で、いつもなら楓は夢の中にいる時間帯だ。だが今日の楓は違い、寝る事なく机に向き合っている。


「「か、神代くんが起きてる」」


 クラスメイト達は不思議そうに楓を観察していた。あずみは「感心感心」と楓の席に近付いていく。そして楓の机の上を見て、呆れたように溜息をつく。


「神代」

「はい。ちょっと今忙しいんで後にしてください」

「神代」

「だから、なんですか!?」

「……寝なかったのは褒めよう。でもおまえ、現代文の私の授業で何をしている。物理の教科書とか喧嘩売っているのか?」

「は? 現代文なんて感覚でなんとかなるでしょう」

「おまえ……いいから現代文の教科書を開け! たまには私の授業を聞け!」

「……ちっ」

「教師に舌打ちするんじゃない。放課後生徒指導室へ来い。みっちり指導してやろう」


 ちょうど授業終了のチャイムが鳴ると、「必ず来いよ?」と念を押してあずみは退室した。





 ◇ ◇ ◇





「あんた今回やばいの?」

「あぁやばい。このままだと赤点だらけになりそうだ」

「奇遇ね。私もよ」

「おまえと一緒にすんじゃねえ。俺はいつもなら余裕なんだよ。おまえは毎回ギリギリじゃねえか」

「うるさいわねー、細かい男は嫌われるわよ」


 昼休み。机を挟んで対面に座った響は「大袈裟ね」と危機感がない。隣の夕月はもしゃもしゃとサンドイッチを頬張っている。


 もはや恒例になった夕月作製弁当を口に運びつつ、「どうしたもんか」と宙を仰ぐ。


「……むふふ」

「なんだそのドヤ顔。なんかイラッとするな」

「……学年……首位……私…………崇めよ」

「くっ……」


 仮に陽がいたのなら、休み時間等を使ってなんとかなっただろう。実際分からない問題は陽に聞いてほぼ解決していた。だが、今は残念ながら陽はいない。したがって、目の前のドヤ顔美少女に頼らざるを得ない状況だ。


「おい! おまえがもっときちんと勉強すればよかったんだよ! てめえはバスケしか取り柄ねえのかよ!」

「はぁ!? なにむちゃくちゃ言ってんのよ!!」


 むちゃくちゃな楓理論はさすがに理不尽だったようで、響は両腕を組んで「殴られすぎて頭壊れた?」と挑発を繰り返す。


「……まったく……世話が……焼ける……ぜ」

「ちっ」

「夕月ちゃーん!! お願い助けて!!」


「任せよ」と夕月は胸を張っている。


「なに? 神代くん勉強教えて欲しいの? 私が教えましょうか?」


 横槍を入れてきたのは泉だった。たしかに、"音無泉"の名前は毎回五番以内でよく見かける。いかにも勉強ができそうな見た目だが、どうやらその通りだったらしい。


「お、マジか。じゃあ頼m」

「……ダメッ!」


 夕月は楓の腕にしがみついたままで泉を睨んでいる。


「なーんて、冗談よ。夕月さんは本当に可愛いわね」

「……楓には……私が……教える!」

「ごめんなさいね。面白そうだったからからかってみただけよ。ふふ」

「おい、あまり夕月を煽るなよ。全部俺に返ってくるんだぞ?」

「あら、それはそれは。こんな可愛い子に嫉妬されるなら本望でしょう?」

「お、おまえなぁ!」


「じゃあね」と泉は逃げるように退散した。荒らすだけ荒らして瞬時にいなくなる。一体何がしたかったのだろうか。


 とはいえ、これで八方塞がりだ。拝み倒せばあずみなら教えてくれそうだが、いちいち無意味な嫌味が飛んできそうなので、できる事ならそれは避けたい。


(屈辱だ)

 

「…………て……くれ」

「……何? ……聞こえない」

「だから教えてくれ!! って言ってんだよクソ!!」

「……条件……が……ある」

「嘘つけ! 絶対今思い付いただけだろそれ! さっきまで無条件だったじゃねえか!!」

「……状況は……刻一刻と……変わる…………変わった」

「うるせえ!!」


 もはや恒例になりつつある夫婦漫才は、クラス内で一種の見せ物になっている。止めようとする者などいないし、口を挟む者もいない。ただ「いつものやつだ」と眺めているだけで、むしろ微笑ましいとまで思っている。


 嫉妬なんていう感情が湧かないぐらいのバカップルぶりだが、当人達にその自覚はあるはずもなかった。本来であれば、頃合いを見て陽からツッコミが入るのだが、現状ではそれも望めない。


 そうこうしてると、なにやら雲行きが怪しくなってきた。


「いいから無償で教えろ! 一応彼女だろうが!」

「……()()……とは?」

「楓さあ、教えてもらう立場なのにそれってどうなの?」

「……あぁそうかよ。じゃあもういい頼まねえよ。そもそも一人で余裕だ」

「……()()……とは?」

「しつけえな。彼女だよ彼女。これでいいだろ?」

「…………」


 夕月は沈黙したまま荷物を手早く片付けると、静かに立ち上がって、そのまま教室の入口へと向かう。


「ゆ、夕月ちゃん!?」

「……私……自分の……教室……戻る」

「え!? ち、ちょっと!! 楓!! あんた謝りなさいよ!!」

「は? なんで俺が謝るんだよ。勉強も一人でやるって言ったろ? 教室戻りたいんなら戻ったらいい、それだけだ」

「……楓の…………バカ!!!!」


 今まで聞いた事のないような夕月の大声に、教室内は驚きで静まり返ってしまった。皆が「やっちまったな」と微妙な表情を作っている。泉は額に手を当てたまま呆れていた。


 夕月が去った教室内は、何とも形容し難い重苦しい空気に包まれた。そんな中でも楓は我関せずで、淡々と次の授業の準備をしている。


「あんたねえ……あれはないでしょ」

「知らねえよ、俺は悪くねえ。頼んだけど条件付けられたから断った。一人でやる。以上だ」

「はぁ……いや、私も変に誘導しちゃった感あるから悪かったと思ってるけど。それでもあんたは少し頭冷やしなさいよ」

「俺は冷静だ。別に怒ってねえし、あいつが勝手に怒って出てっただけだろ」


「いやいや怒ってるでしょあんたも」と思った響だが、余計に悪化しそうなので言葉に出すのは控えた。


(あぁもう! 陽! 早く帰ってきなさいよバカ!)


 陽のありがたみを感じた響であった。



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