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106 嵐の前に

「そういう事だったのね」


 陽の母親は楓達の話を聞くと、静かに目を閉じて沈黙する。その様子に合わせたように皆が沈黙した。


「ちょっと電話してくるわね。主人にも伝えないといけないから」


 陽の父親は一週間ほどの出張で家を離れているようで、急いでこちらに向かっているらしいが、それでもまだまだ時間はかかるらしい。


 場に残された三人はじっと陽を見つめていた。すると、陽の片目がゆっくりと開き始める。


「陽!! 楓! ナースコール!」


 急いでナースコールのボタンを押す。


 陽の視線は上下左右を行ったりきたりしており、どうやら病室に自分がいる事を把握しているように見えた。肺に折れた骨が突き刺さるほどのケガで、やはり即座に声を出すのは難しい。


 もぞもぞと何かを伝えようとしているが、声が出ない事がわかったらしく、ゆっくりと右手を楓の方に向けるとVサイン、あるいはピースだろうか。指を二本立てて見せた。


「なによ陽。大丈夫だって言いたいの?」

「……」


 陽は響の顔を見た後、楓をじっと見つめてきた。


(なんだ? 何が言いたい?)


 楓が口を開こうとしたその時、陽は再び目を閉じた。どうやら眠ってしまったらしい。途端に看護師が二人室内へ入ってきた。隣には陽の母親の姿もあった。


「さっき少しだけ目を覚ましたんですが、また眠ってしまいました」

「目を覚ましたのね。よかった!」

「麻酔が切れたみたいですね。目を覚ましたのなら、今は疲れて眠っているだけだと思います」


 看護師の言葉に陽の母親は心から安堵したようで、大きく息を吐くとゆっくりと楓達を見渡す。


「私が残るのであなた達は帰りなさい」

「私も残ります!!」


 響が食い下がるが、陽の母親は首をゆっくりと横に振る。


「心配なのは分かるけどダメよ響さん。親御さんが心配するでしょうし、それに明日も学校でしょ?」

「で、でも!」

「もう心配ないのは分かったでしょう? 明日学校が終わってから来なさい。この子もきっとそう言うわ」

「……分かりました」


「家まで送る」と楓は響の背中を押しながら退室する。部屋から出る時に軽く肩を叩かれた。


「ありがとうね楓くん。これからも陽の友達でいくれると嬉しいわ」

「……はい」


 伝えたい事は沢山あるはずなのに、何故か言葉がうまく出てこない。絞り出すように一言だけ返した。





 ◇ ◇ ◇





 翌朝。


 朝のSHRであずみはクラスの皆に説明を始める。その表情は普段よりも固く、生徒達も何かを察したのだろう、無駄話をしている者は誰一人いない。


 陽の席をじっと見つめると重々しい口を開いた。


「藍原陽は諸事情によりしばらく入院する事になった。何者かに暴行されたのが原因だ」


 クラスの皆は一斉に陽の席に視線を向ける。そこに陽の姿はない。


「警察も動くだろう。皆登下校には十分注意するように。一人にならずに最低でも二人以上で行動してくれ。それが難しい者は私に言ってくれ。何らかの対処をしよう」

「先生。藍原くんは大丈夫なのですか?」


 重苦しい空気の中で質問をしたのは泉だ。あずみは首を縦に振って肯定する。


「一度意識は戻ったらしく今は疲れて眠っているようだ。まぁ大丈夫だろう。可能な者は見舞いに行くと喜ぶかもしれないな」


 若干緊張の解けた空気となり、「よかった」とう声があちこちから聞こえる。皆は本気で心配していたようで、それだけでも陽がどれだけ慕われているのかが分かる。


 SHR終了のチャイムが鳴ると同時にあずみの説明は終わった。続けて一時限目は現代文であずみの授業だ。


「今日は自習とする。動揺している者もいるだろうから、各々頭を整理するといい。神代はちょっと話があるのでついてこい」


 楓はすぐに頷いた。要件は察している。





 -------





 いつものように生徒指導室へ入ると座るように促され、目の前にコーヒーの入ったカップが置かれた。授業中なのにこの状況はいかがなものかと思うが、あずみに気にする様子はない。


「飲め」と言われるがままにカップに口をつけた。あずみはしばらくの間無言で、自身もコーヒーを口に運ぶ。


 五分ほど経ったところで、ようやくあずみは口を開いた。


「大丈夫か?」

「俺は被害を受けていません」

「強がるな。顔色が悪いぞ、寝ていないのだろう」

「……」


 あずみの言う通りで、眠れるはずなどなかった。目を閉じても浮かんでくるのは傷だらけの陽の姿で、それを思い出す度に怒りが込み上げてくる。犯人への怒りは勿論、自身のふがいなさを思うと頭がおかしくなりそうだ。


「例の件だな」

「はい。おそらくは」

「警察には連絡してある。藍原の意識が戻ったら色々分かるだろうが、犯人は間違いなく逮捕されるだろう。だから……そんな顔をするな」

「そんな顔?」

「鏡見ろ。今にも誰かを殺しそうな顔だ」


 思えば今日は自分の顔をしっかり見ていない気がする。どうやって身支度を整えて学校に来たのか。それすら記憶にない。


「こうなってしまってはもうダメだ」

「ダメ? 何がですか?」

「おまえ、犯人に仕返しするつもりだろう? ダメだ」

「……分かりました」


「あぁもう!」とあずみは額に手を当てながら宙を仰ぐ。少し間を置くと、どこか諦めたように口を開いた。


「止めても無駄か?」

「はい。もう無理です」

「それならおまえが今考えている事を全て話せ。最善の道を探そう。犯人を懲らしめて、尚且つ神代が警察の世話にならない道だ。これが私にできるギリギリの譲歩だ」


「どうだ?」とあずみは苦笑いをしている。


 あずみも重々理解していたのだ。陽がやられて楓は何を思うのか、どう行動するのか


 一本の芯が入った男で、そうと決めたら考えはなかなかに変えられない。それならば楓の意思をなるべく尊重しながら可能な道を探る――。これがあずみの答えだった。


「……わかりました」

「まったくもう!! 次から次へと厄介事を。困った奴だよおまえは! さあ話せ」


 あずみに促されるままに、楓は自身がどう動くつもりなのかを説明していく。






 -------





「なるほどな……教師の本音としては止めたいが、理解した。決してやりすぎるな、それは守れ。それとおまえは大丈夫なのか?」

「大丈夫です。全部見えるはずですから」

「気を付けろよ?」


 計画の大筋は決まっているのだが、一つだけ気になるというか、引っかかる事がある。それはあずみには伏せた。


「いいか? 繰り返すが気を付けろ。危ないと思ったら全力で逃げるんだ。これは約束だ」

「はい」


 短くそう返すと、一礼をしてから部屋を出た。





 ◇ ◇ ◇





 一つ確かめなければいけない事があった。


 校内では、所謂”不良”と呼ばれる知り合いはいないのだが、今はそういった連中からの情報が必要だった。昼休みに入るとすぐに楓は屋上へと向かう。それらしき連中がそこにいるのは聞いていた。


 屋上のドアを開けると冷たい風が流れ込んでくる。楓はパン! と両手で自身の顔を叩くと歩を進める。


 入口からは見えない位置、死角になっているスペースに目当てのグループを見つけた。


 そこにいたのは三人で、着崩した制服に自己主張をするような奇抜な髪形、手にもっているのはタバコだろう。意外にも風の方向まで考えているようで、入口側に煙は流れて来ない。


 楓の姿に気が付いたようで、その内の一人が話し掛けてくる。


「なんで一年がいるんだよ。どっか行けや。……ん? おまえ神代楓か」


 喧嘩を売られる事を覚悟していたのだが、意外な反応が返ってくる。


「この前の駿河慧とのやつ見たぜ! スカッとしたわ! 駿河ってスカしてるみたいで気に入らなかったんだわ」


「凄かったな!」と言いながら楓を真似て拳を振っている。


「おまえプロボクサーになるんだろ? がんばれよ! 俺らも応援してっからよ!」

「ありがとうございます先輩方。ちょっと聞きたい事があって来ました」

「ん? なんだ? 言ってみろよ」


 情報が出てくる事を祈りながら、例の男の特徴を伝えていった。


「あぁ、金田だなそれ。他校の三年だよ。深夜に遊んでる時に何回か見たな。喧嘩っ早くて危ない奴だよ」

「あいつやべえよな。躊躇なかったし。あれ、たしか金田ってさ……」

「――。」

「――。」

「やっぱりそうですか」


 引っかかっていた事が解消された。もしかしてとは思っていたがビンゴだったようだ。


「ありがとうございました」

「気にすんなって! 今度はボクシングの話でも聞かせてくれや」


 三人に一礼をしてから教室へと戻る。「あとはやるだけだ」と拳を強く握りしめた。

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