105 親しい友
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市立病院に着いた三人は、這い出るようにタクシーから飛び出すと、すぐに中へと入る。
時刻は二十二時を回ったところだ。救急での患者も少ないようで、思っていたよりも院内は静かだった。
受付カウンターに走り出すと、捲し立てるように陽の事を聞いた。真っ先に口を開くのはやはり響だ。
「救急で運ばれた人がいて!! 藍原陽って言います!! どこにいますか!?」
響らしくない慌て方で、断片的で一方的に情報を伝えようとしている。必死な様子は受付の人にも伝わったようで、「落ち着いてください」となだめられていた。
「夕月、響を頼む」
「……任せて」
夕月は響の手を取ると、優しく引っ張りながら待合室へと促す。納得のいかない様子の響だったが、結局は夕月に従っていた。
二人の姿が遠くなったところで、楓はゆっくりと順序立てて話し始める。
「こちらの病院に緊急搬送された患者で、藍原陽っていう人はいませんか? 俺達は陽のクラスメイトです。彼の母から連絡を受けて来ました」
「少々お待ちください」
受付の人は受話器を手に取ると、どこかへ連絡をしている。頷きながら会話している様子から、どうやら伝わったようだ。
場所を説明されたが、それなりに大きく新しい病院のため、楓にとってはまるで迷路だ。困惑する楓の様子を傍から見ていた看護師が、案内を申し出てくれた。
「それでは案内しますね」
「はい、お願いします」
夕月と響を連れると看護師についていく。案内を頼んで正解だった。慣れていないとすんなりは着かないだろう。
手術室の前の長椅子に女性が座っている。四十歳前後だろうか、陽の母親だろう。
両手を強く握って、まるで祈るように額につけたまま下を向いていた。
楓達の気配に気付いたのか、ゆっくりと顔を上げた。陽とよく似ており、整った優しそうな顔だ。だが、その顔も今は悲しみで酷く歪んでいる。
「響……さん? それに楓くんに夕月さんね。いつも陽が楽しそうに話していたわ。はじめまして。陽の母親です」
「あ、あの!! 陽の容体は!?」
「響! 落ち着け!」
「いいのよ」と陽の母は楓に笑いかけた。
「お医者様の話だと、命に別状はないらしいわ。酷いケガには変わらないけども」
「よかった……本当によかった」
緊張の糸が切れたのか、響はその場にへたり込んでしまう。夕月に支えられながら長椅子へと腰を下ろした。
安心からだろうか、堰を切ったようにぼろぼろと流れる大粒の涙は、顎を伝って太ももを濡らしていた。
「あなたが響さん。陽のお付き合いしてる人ね。綺麗で優しい人なのね。あの子には勿体ないわ」
「……そんな事ありません」
「あなたに会いたかったの。あの子ったら恥ずかしがってるのか、何度言ってもあなたに会わせてくれないのよ?」
「ふふっ、陽らしいですね」
話していてようやく落ち着いてきたのか、響にも平静が戻ってきた。
そうこうしていると、目の前のドアが開き始めた。移動式のベッドに乗せられた陽の姿が現れる。
「陽!!」
慌てて駆け寄る。
片目は包帯のようなもので覆われ、もう片方の目も閉じたままだ。皆の呼びかけにも反応はない。
病室へ運ばれて行くのを皆が追いかけ、続けて現れた執刀医らしき人物が説明を始める。
「大丈夫ですよ。眠っているだけです」
全身にいくつもついた打撲傷、左目の眼窩底骨折、肋骨の骨折による気胸、右肩甲骨骨折。目を背けたくなるような状況を淡々と説明された。
「一体何があってこんな……」
陽の母親は、理不尽に傷つけられた我が子の頬にそっと触れた。目尻には涙が溜まっていて、それでも気丈に振る舞う様子は見ていていたたまれない。
楓は陽の母親の正面に立つと、深々と頭を下げた。
「すみません。全て俺の責任です……どうか気の済むまで殴ってください。俺にはそれしか思い付きません」
硬く瞳を閉じたまま、硬く拳を握ったまま、ただ楓は頭を下げたまま動かない。まるでそこだけ時間が止まったかのように。
――いっそ泣いて楽になってしまいたい。
だが、そんな事は許されない。やるべき事があるのだ。
楓の行動に驚いたのは響と夕月だ。初めて見るその姿は、普段の傍若無人な態度など皆無で、許しを乞う罪人のような姿は見ていて痛々しい。
小刻みに震える楓の拳を、陽の母親は優しく両手で包み込む。
「事情は分からないけど、きっとあなたは悪くないのね。だってこの子が選んだ友達だもの」
「俺は……俺が!! 俺がこいつを一人にしなかったら!!」
「違うわ楓くん。悪いのはこの子を襲った人よ」
「違う!! 俺は予見できたんだ!! 一人で行くのを止める事だってできたんだ!!」
陽の母親は、何も言わずに楓の話に耳を傾けている。時折何かを納得したかのように頷き、楓から決して目を逸らさない。
柔らかに微笑んだ表情は慈愛に満ちていて、その優しげな瞳で見つめてくる。
その温かみがどうしようもなく辛い。まるで鋭い刃で心臓を切られるような、そんな痛みだった。
「俺が……俺が」
「本当に……聞いていた通りの人だわ楓くんは。一本気で、どこか古臭くて。なんだかんだで優しい」
「陽が、そんな事を?」
「えぇ、毎日のようにね。ふふっ! 響さんには申し訳ないけど、まるで恋人の事を話すようにあなたの事を話すの」
「……」
「あいつはとにかく凄いんだ! ってね」
「陽がそんな事を、あなたに?」
「そうよ」
「……」
響と夕月はじっと二人の会話を聞いているだけだ。皆が押し黙ったまま時間は過ぎていく。チッチッと時間を刻む音がやけに大きく聞こえた。
「あなたが一番落ち着いているのね」
「……私……ですか?」
夕月にも大きな罪悪感はある。
――陽は自分のとばっちりでこんな事になったのではないか。
そんな考えばかりがずっと消えない。それでも、それを嘆いてばかりでは何も解決しないと夕月は思った。辛そうな楓と響を見ていると「自分が支えないと!」と強く感じる。
――だから今日は揺れない。虚勢だろうが構わない。
夕月の瞳はいつになく強い。
「……状況が……どれだけ……悪くなっても……きっと…………大丈夫……だと」
「え?」
「……だって……楓が……います」
「だから大丈夫」と夕月は笑って見せた。命を救ってくれた楓だから、夕月は楓を疑わない。
――きっと大丈夫。楓ならどうにかしてくれる。
無条件の信頼があるから、この場で夕月にだけは迷いがない。陽は酷く傷付けられ、まさに悪夢のような状況だ。
それでも最悪ではない。陽は生きているし、楓だって響だっている。
「あなたは楓くんを信頼しているのね」
「……はい!」
夕月は力強く頷いた。
「聞かせてくれるかしら。何があったのか」
三人は頭を整理しながら陽の母親に説明を始めた。
◇ ◇ ◇
「こいつ不気味だな。殴られて笑ってるぞ」
(ははっ! 黙れバーカ! ブサイク!)
心の中で陽はそう叫んだ。それが火に油を注いだようで、暴力は一層に激しさを増す。
すでに全身ボロボロで、指一本満足に動かない。それでもバカにしたような笑みは止めない。これが精一杯の抵抗だ。
(俺は弱いけどさ、あいつは強いぞー?)
陽は言うまでもなく交友関係が広く、友人と呼べる者は数多くいる。だが、その中で親友と呼べる者は意外にもただ一人だった。
最初の印象は最悪だった。いつも顔を傷だらけにした不良みたいな男で、どこか危ない雰囲気があった。
それでも話してみると意外にも楽しくて、自分とは正反対のような男に興味が湧いてきた。「あぁこいつは不器用なだけなんだ」と理解するのに時間はかからなかった。
そこからは早かった。神代楓という男は知れば知るほど面白い男で、同性から見ても魅力的だった。何より一緒にいて楽しかった。全く気を遣わなくていい友達など初めてで、家族にも楓の話ばかりした気がする。
薄っぺらい関係などではなく、それは本物の絆で――。
そしてその絆はこれから先、きっと死ぬまで消える事はなくて――。
そんな友に出会える確率はどのぐらいなのだろう。きっとそれは奇跡的な事だ。少なくとも陽にとってはそうだった。
だからこそ陽は楓を信じている。どれだけ傷付けられても、蔑まれても、それでも心は決して屈しない。
(今に見てろよ。俺の親友はとんでもなく強いんだからな!)
意識の途切れるその瞬間まで、陽は楓を想った。




