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104 豪雨の日、憎悪は増して

 文化祭も終わり、十一月も半ばを過ぎた。


 霜月とはよくいったもので、由来通り朝・夕は霜が下りるほどの寒さだ。地面に薄く張った氷は、踏んでも割れないぐらいの厚みがある。


 キツネ目の男の一件以来、基本四人は行動を共にしている。だがやはり四六時中一緒にいる訳ではないので、どうしても楓の手の届かない時間は存在しており、それが唯一の気がかりとなっていた。


 今は登校中だが、響は気になる事を話し始めた。


「最近、見られてる気がするの。具体的には文化祭の二日後ぐらいから」

「俺もそう思ってた。決まって視線を感じるのは楓がいない時だけど」

「……」


 ――奴だ。


 楓は直感でそう思った。


 響と陽の話を聞いていた夕月は、手元のカバンから手紙らしきものを取り出した。全部で四通ほどだ。全ての手紙には差出人が書かれておらず、「夕月様」とだけ書かれている。


 夕月の顔は若干青ざめている。こんな表情は楓も久しく見ていない。


 楓はすぐに中を確認する。


「なんだよこれ……」


 口にするのを躊躇うほど卑猥な文言が、白い空白を塗りつぶすようにびっしりと書かれている。文末にはメールアドレスと電話番号が書かれていたが、差出人の名はやはりそこにも書かれてはいない。


『神代楓とすぐに別れるんだ。夕月ちゃんを幸せにできるのは僕だけだよ』


 読み終わった楓は、その手紙を無意識に握り潰した。響が慌てて「見せなさい!」とクシャクシャになった手紙を強引に奪う。


 響と陽はそれを見てしばらく絶句していた。


「な、なによこれ! 異常よ!!」

「やばいなこれ。頭おかしいよこれ書いた人」

「夕月、どうしてすぐに見せなかったんだ?」

「……前にも……同じようなの……あって……その時は……少ししたら…………止まった……の」


 今にも泣き出しそうな夕月の表情を見て、楓は夕月の頭に手を乗せると、腰を折って視線を同じ高さに合わせる。


「とりあえず無事で良かった。次からはすぐに俺に言え」

「…………楓……怒ってる?」


 不安そうに見つめてくる夕月は、小動物のように小刻みに震えている。


「怒ってねえよ。おまえは何も悪くないだろ。まぁ差出人には殺意しかないが」

「……うん」


 しかし、これではっきりした。あのキツネ目の男は手紙の差出人と同一人物であり、ご丁寧に連絡先まで記載されてある。準備を整えたうえで連絡する必要はあるが、これで先手が打てそうだ。


(覚悟しろよデカブツ。泣かせてやるからな)


 だが、この楓の考えは甘かった。





 ◇ ◇ ◇





 いつも通りに授業を終えた四人は、一緒に帰路につく。今日は皆で楓のジムに寄る予定だった。


「あら、今日は皆さんお揃いで?」

「こんにちは結さん!」


 ジムに入るとすぐに、結は四人の姿に気が付いたようで、両手のミットをはずしながら近寄ってきた。タオルで汗を拭いながら、楓に準備するよう促している。


「早く準備してください。いつも通りのメニューで」

「わかってるよ! 毎日同じ事言いやがって! おまえは母親か!」

「うーん、神代くんみたいな息子は嫌ですね。お断りします」

「ちっ」


 文句を言いながらも拒否する気はない。基本的に結のメニューは過酷なものばかりだが、それは全て楓に足りないからこそ、余計にキツく感じる訳で――。


 それが分かっているので、基本的には楓も結には黙って従う。実際効果を実感できているのだから、むしろ感謝すらしていた。


 楓の練習も終盤に差し掛かった頃、突然電子音が鳴った。


「ん? 陽、スマホ鳴ってるわよ」

「本当だ。げ、母さんかよ!」

「無視はダメでしょ。出なさいよ」

「わかったよ……はぁ、買い物だろうなぁ。人使い荒いんだよな、うちの母親」


 陽の予感は的中したようで、要件は母親からのおつかいだった。「スーパーで食料品を買ってこい」との指令があったらしい。


「楓、じゃあ俺は今日は帰るぞー。はぁ……買い物怠いなぁ」


 ドアを開けると外は大雨だった。


 窓から見えていたので、雨が降ってきたのは分かっていたが、どうもこの時間になって本降りになったらしい。轟々と叩きつけるような雨は、一向に止む気配もない。


「あちゃー、結さん。ジムの傘借りていっていいですか?」

「構いませんよ。一時間五百円でいいです」

「まさかの有料!?」

「ふふっ、冗談です。はいどうぞ。気をつけて帰ってくださいね」


 陽は「じゃあまた明日」とドアを閉めようとしている。


「陽!!」

「ん? どうした楓? いきなり大声出して」

「……一人で大丈夫か?」

「大丈夫大丈夫! 例の男の狙いは夕月さんだろ? 俺なんかを狙うメリットないだろ」

「…………そうか。いや、そうだな。おまえの言う通りだ。引き止めて悪かったな」

「気にすんな! あ、やべ!! 店閉まる!! じゃあ皆また明日なー!」


 笑顔で手をひらひらと振りながら陽は出て行った。


(……)


 ――言いようのない不安、とてつもなく嫌な感じだ。


 だが、確かに陽の言う通りで、キツネ目の男がわざわざ陽を狙う理由がないとも思った。


 楓は「心配しすぎか」と自嘲気味に笑うと、不安を振り払うかのように拳を振った。





 ◇ ◇ ◇





 練習が終わると、夕月・響と共にジムを出る。まずは響を家まで送っていき、その後で夕月を送り届ける。


 今ではこのルートも慣れたもので、最後は楓と陽の二人が残されるのが定番だ。男二人で夜道を歩くのもそれなりに楽しかった。


 陽は持ち前の明るい性格で、誰とでも難なく打ち解けてしまう。太陽のような笑顔を見ていると、"名は体を表す"というのは本当だなと実感する。


 以前響が言っていた。


『あんた達って太陽と月みたいね』


 太陽が陽で、月が楓――。


 月は太陽の光を浴びて輝く。


(あいつの光は眩しすぎて、時々ウザいけどな)


「でも嫌ではねえな」と楓は小さく呟いた。豪雨に掻き消され、その声は夕月や響には届かない。


「あんたなんで笑ってんの? 気持ち悪っ!」

「うるせえ!!」

「…………オルゴール? ……電話?」


 誰かのスマホが鳴っている。設定されているのはオルゴールの音色だろうか、豪雨の中でも何故か澄んで聞こえた。


「あ、私のスマホだわ。え? 陽から?」


 嫌な予感がした。悪寒を感じるのは冷たい雨のせいなどではない。


「え!? 陽……いえ、陽くんのお母さんですか!?」


 電話の相手は陽の母親らしかった。


「え…………な、なんで!!!! そんなっ!!!!」

「……ひ……響ちゃん!」

「響。何があった?」


 楓はそう響に聞きながら、何が起こったのかを瞬時に理解していた。それと同時に自身の判断を後悔した。可能なら自分自身を殴り倒してやりたいぐらいに。


「よ、陽が!! 陽が!!」

「落ち着け響」

「そんな! どうしてよ!!」


 楓は響の顔を両手で包むように触れると、真正面から響と視線を合わせる。涙と鼻水でぐちゃぐちゃに歪んだその顔は、事態の深刻さを伝えてきた。普段の勝ち気な響とはまるで別人のようだ。


 じっと目を見ながら、再度ゆっくりと話し掛けた。


「響、頼む。落ち着いてくれ。状況を説明して欲しい」

「……響ちゃん……ゆっくりで……いいから」

「…………陽が……襲われたみたい」

「容態は?」

「病院に搬送されて、すぐに手術が必要って」

「命に関わるのか?」

「分からない。陽のお母さんもまだ詳細知らないみたいで……」

「病院はどこだ? すぐ行くぞ。夕月、タクシー呼んでくれ!」


 夕月はすぐに電話をする。ふらつく響の肩を支えながらタクシーを待った。


(そうかよ……そういう事までするかよ。分かったぞ……よく分かった!!)


 噛み締めた唇からは血が流れ、口の中に鉄の味が広がった。


 豪雨に晒された身体は、冷えるどころか熱を帯びていく。震えるのは武者震いなどではなく"怒り"だ。


 陽を襲った犯人への怒り。そして、甘い考えで陽を一人にした自身への怒り――。


(徹底的にやる。泣いて詫びても……もう許さねえぞ)


 思い出すのは胸糞悪いキツネ目の男だ。あの顔面に拳を入れるまで楓はもう止まらない。




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