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初恋

 

 


 サクの生家(せいか)には、いつも焼(や)けた鉄(てつ)と炭(すみ)の粉(こな)が混(ま)ざり合(あ)う、息苦(いきぐる)しいほどの熱気(ねっき)が立(た)ち込(こ)めていた。



 父(ちち)は頑固一徹(がんこいってつ)な鍛冶職人(かじしょくにん)。



 四人(よにん)の兄(あに)たちもまた、物心(ものごころ)つく頃(ころ)には赤々(あかあか)と燃(も)え盛(さか)る炉(ろ)の前(まえ)に立(た)っていた。


 男(おとこ)たちは一様(いちよう)に岩(いわ)のように分厚(ぶあつ)い肩幅(かたはば)と、怒声(どせい)にも似(に)た地声(じごえ)の太(ふと)さを持(も)っていた。


 槌(つち)が金床(かなとこ)を激(はげ)しく叩(たた)く金属音(きんぞくおん)が朝(あさ)から晩(ばん)まで響(ひび)き渡(わた)り、空気(くうき)が震(ふる)えるその場所(ばしょ)は、サクにとって決(けっ)して安(やす)らげる場所(ばしょ)ではなかった。



『女(おんな)のくせに図体(ずうたい)ばかりでかくなりやがって。邪魔(じゃま)だ』



『もっとさっさと動(うご)け。鈍(のろ)い』



『何(なに)を突(つ)っ立(た)ってんだ、炭(すみ)を運(はこ)べ』



 明確(めいかく)な害意(がいい)ではない。


 それがこの家(いえ)における男(おとこ)たちの「日常(にちじょう)の雑音(ざつおん)」に過(す)ぎないのだと分(わ)かってはいても――


 投(な)げ捨(す)てられる粗野(そや)な言葉(ことば)の端々(はしばし)に、ひとかけらの労(いた)わりも存在(そんざい)しなかった。



 同年代(どうねんだい)の娘(むすめ)たちよりも頭(あたま)ひとつ分(ぶん)飛(と)び抜(ぬ)けて伸(の)びてしまった己(おのれ)の背丈(せたけ)は、サクにとって恥(はじ)であり、呪(のろ)いだった。


 気(き)づけばサクは、男(おとこ)という存在(そんざい)そのものが苦手(にがて)になっていた。


 家族(かぞく)のことを避(さ)けるように、身(み)を縮(ちぢ)こませ、いつも隅(すみ)に身(み)を置(お)いていた。




 チガヤは、兄(あに)たちとは、まるで違(ちが)っていた。


 彼(かれ)は、サクの背(せ)の高(たか)さをからかいもしなければ、見下(みくだ)したような目(め)を向(む)けることもない。


 不必要(ふひつよう)に声(こえ)を荒(あら)らげることも、男(おとこ)であることを傘(かさ)に着(き)て力(ちから)でねじ伏(ふ)せようとすることもなかった。



 最初(さいしょ)は、冷(つめ)たい人(ひと)なのかもしれないと思(おも)っていた。


 表情(ひょうじょう)は乏(とぼ)しく、どこか周囲(しゅうい)と距離(きょり)を置(お)いているように見(み)えた。


 だから、なんとなく。


 他人(たにん)にまるで興味(きょうみ)のない、乾(かわ)いた少年(しょうねん)なのだろうと。



 けれど――


 淡々(たんたん)と紡(つむ)がれるその言葉(ことば)は、不思議(ふしぎ)といつも的確(てきかく)だった。


 時(とき)には厳(きび)しく聞(き)こえることもある。


 ぶっきらぼうで、言(い)い方(かた)も優(やさ)しくはない。


 でも。


 よく聞(き)いてみれば、その言葉(ことば)はどれも相手(あいて)を見(み)ているからこそ出(で)てくるものだった。



 相手(あいて)の癖(くせ)。


 考(かんが)え方(かた)。


 困(こま)っていること。


 言葉(ことば)にしない悩(なや)み。


 そんなものまで、いつの間(ま)にか見抜(みぬ)いている。



 そして、それとなく手(て)を貸(か)したり。


 遠回(とおまわ)しに助言(じょげん)したり。


 誰(だれ)にも気付(きづ)かれないように、さりげなく助(たす)けていた。



 それは、他人(たにん)に無関心(むかんしん)な人間(にんげん)には絶対(ぜったい)にできない芸当(げいとう)だった。


 表立(おもてだ)って言葉(ことば)にしないだけで、その奥(おく)には、ちゃんと思(おも)いやりがある。



 ――優(やさ)しい人(ひと)。



 そして何(なに)より、サクの胸(むね)をどうしようもなく締(し)めつけるのは、ふとした拍子(ひょうし)に彼(かれ)が見(み)せる表情(ひょうじょう)だった。


 普段(ふだん)の無表情(むひょうじょう)の隙間(すきま)から、まるで春(はる)の陽光(ようこう)が差(さ)し込(こ)むように、微(かす)かに口元(くちもと)を緩(ゆる)める瞬間(しゅんかん)がある。


 最近(さいきん)になって、その信(しん)じられないほど柔(やわ)らかな光(ひかり)が、自分(じぶん)に向(む)けられることが増(ふ)えていた。


 それが、たまらなく嬉(うれ)しい。


 なんだか勘違(かんちが)いしてしまいそうになる。



 もしかしたら。


 彼(かれ)も、自分(じぶん)と同(おな)じ気持(きも)ちなんじゃないか――と。



 ……いや。



 たぶん。


 きっと。


 せいぜい、ただの差(さ)し入(い)れ係(がかり)だとしか思(おも)われていないだろう。


 いつも何(なに)かしら食(た)べ物(もの)を持(も)って近寄(ちかよ)ってくる大柄(おおがら)な女(おんな)。


 それ以上(いじょう)の特別(とくべつ)な意味(いみ)など、あるはずがない。



 それでもいいと思(おも)った。


 たとえ餌付(えづ)けみたいなものでも。


 あの淡(あわ)くほどけるような表情(ひょうじょう)が、ほんの一瞬(いっしゅん)でも自分(じぶん)に向(む)けられるのなら、それだけで胸(むね)がいっぱいになる。



 サクは今日(きょう)も炊事場(すいじば)に立(た)つ。


 湯気(ゆげ)の立(た)つ鍋(なべ)の前(まえ)で、少(すこ)しだけ嬉(うれ)しそうに笑(わら)いながら。


 チガヤのための差(さ)し入(い)れを、黙々(もくもく)と作(つく)り続(つづ)けていた。




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