眠れる影
特訓は夜明け前まで続いた。
宮へ戻るころには、東の空は、うっすらと白み始めていた。
眠れる時間は、ほんのわずか。
それでも朝になれば、宮兵見習いとしての一日が始まる。
訓練。
雑務。
見回り。
影であることは知られてはならない。
夜に影として動き、昼は何事もない顔で宮兵として過ごす。
休みたくても休めない。
当然――眠い。
昼前。
練武場には初夏の陽射しが降り注ぎ、乾いた土の匂いが風に乗って流れていた。
整然と並んだ見習いたちの前を、上官がゆっくりと歩く。
「――だから基本を疎かにするな!」
低く張った声が練武場いっぱいに響く。
「どれほど腕が立とうと、基本が崩れれば、その先はない!」
誰もが背筋を伸ばし、真剣な表情で耳を傾けていた。
その中で。
「……ぐぅ」
場違いな寝息が、小さく響く。
モモジの肩がびくりと震えた。
(……うそだろ)
恐る恐る隣を見る。
チガヤが完全に体重を預け、モモジの肩にもたれかかっていた。
目は閉じている。
口元は力が抜け、規則正しい寝息まで聞こえてくる。
モモジは顔を引きつらせる。
(起きろ、起きろ、起きろ……!)
肘でそっと小突く。
反応なし。
肩を揺する。
むしろ安心したように、さらに体重を預けてきた。
(なんで立ったまま熟睡できるんだよ!)
冷や汗が頬を伝う。
「そこォ!」
怒号が練武場を揺らす。
(チガヤァァァ!!)
心の中で、モモジが叫んだ――その瞬間。
こくり。
チガヤの首が前へ落ちる。
「……すぅ」
練武場が、水を打ったように静まり返った。
見習いたちの視線が一斉に集まる。
上官の額に、青筋が一本浮かんだ。
「モモジ!」
「チガヤ!」
「アオバ!」
「は、はい!」
モモジの背筋が、ぴんと伸びた。
「三人とも、武具庫だ!」
一瞬、時が止まる。
「ええっ!?」
遅れて、モモジの悲鳴に近い声が響く。
少し離れた列にいたアオバまで目を丸くした。
「なぜ俺まで!?」
「連帯責任だ」
上官は一切表情を変えない。
「そんなぁ!」
モモジの情けない声だけが、青空へ吸い込まれていった。
◇
武具庫の戸を開けた途端、木と油の匂いが鼻をくすぐった。
奥には束ねられた槍が積み上げられている。
上官はその山を指差す。
「今日中に全部磨け」
それだけ言い残し、さっさと出て行ってしまう。
静まり返った武具庫に、三人だけが残された。
「……終わるか? これ」
モモジは槍の山を見上げ、力なくつぶやく。
アオバも苦笑いしながら肩をすくめた。
「まぁ、やるしかないな」
「はぁ……」
モモジは大きく肩を落とす。
「全部、お前のせいだからな」
「……悪い」
短く謝ったチガヤは、その場へ腰を下ろした。
そして。
こくり。
頭が揺れる。
「……おい」
そのまま、すぅ……と寝息が聞こえ始めた。
「寝るな!」
モモジが叫ぶ。
だが。
チガヤの手だけは止まらなかった。
眠ったまま布を握り、槍を磨いている。
きゅっ。
きゅっ。
きゅっ。
穂先を丁寧に拭い。
柄を滑らせるように磨き上げ。
くるりと回して、次の一本へ。
その動きに迷いはない。
「……」
「……」
モモジとアオバは顔を見合わせる。
「……寝てるよな?」
「寝てるな」
間違いなく寝ている。
寝息まで立てている。
それでも布は止まらない。
一本。
また一本。
槍はみるみるうちに艶を取り戻し、差し込む昼の光を鈍く映し始める。
その手元だけは、寸分の狂いもなかった。
モモジは額を押さえ、大きく天を仰ぐ。
「器用すぎるだろ!!」
悲鳴にも似た叫びが、武具庫いっぱいに響き渡った。




