二度目の
その後、宮の外れに、小さな小屋が用意された。
子猫たちのための場所だった。
風がよく通り、静かで、落ち着いた場所。
サクは、そこでせっせと世話をしていた。
三匹の子猫たちは、もうすっかりサクに懐いていた。
足元にとことこと寄ってきては、
「みゃあ」と小さく鳴く。
「よしよし、全部食べられたねぇ」
サクはしゃがみこみ、器を片付けながら笑った。
子猫たちは、その周りで好き勝手に動いている。
一匹は藁の山に登ろうとして、途中でころんと落ちる。
一匹は自分の尻尾を追いかけて、くるくる回っている。
もう一匹は、サクの膝の上で丸くなって眠りかけていた。
サクはその一匹をそっと抱き上げる。
鼻先を軽く合わせると、子猫は目を細めた。
その光景のそばに、チガヤがいた。
柱にもたれ、静かに見ている。
いつもより、少しだけやわらかい目だった。
「チガヤくんが上の人に話してくれたおかげだね」
サクがふと顔を上げて笑う。
「ありがとう」
「……別に」
チガヤは短く返し、ふいっと視線を横に逸らした。
けれど、その目はすぐにサクへと引き戻される。
子猫を優しく包み込む指先。
陽光を浴びてほんのりと透ける桃色の頬。
(……きれいだな)
素直な憧憬が胸をかすめたその瞬間だった。
サクがふと思い出したように口を開く。
「そういえば――ミナギ様が言ってたんだ」
ミナギ様。
その名前が出た瞬間、纏っていた温もりが霧散し、チガヤの、もともと表情の変化が少ない顔から、さらに感情の色が抜け落ちていく。
「猫は小さいうちは体が冷えると弱っちゃうから、寝床の藁はふかふかにして、風が直接当たらないようにしてあげるといいんだって」
子猫の顎を、指でそっとなでる。
「あと、急にたくさん食べさせるのも駄目みたい。少しずつ、何回かに分けて食べさせる方がいいって」
すると子猫が、ぺろりとサクの指を舐めた。
「ふふ」
くすりと笑う。
少しだけ嬉しそうな顔だった。
「ミナギ様、猫のことよくご存知だよね。好きなんだね」
あのとき見た、ミナギの姿がふと頭に浮かぶ。
落ち着いた声。
子猫を抱く、やさしい手つき。
静かに微笑んでいた横顔。
ほんのりと、サクの頬がゆるむ。
その表情は、本人が意識していないほど自然で、やわらかくて、隙があった。
それを見た瞬間、チガヤの目がすっと細くなった。
その奥から、静かに熱が引いていく。
「……ミナギ様のこと、好きなの」
不意に、言葉が落ちた。
サクは瞬きをしたまま固まる。
「……へっ?」
間の抜けた声が、部屋の静けさに溶けていく。
チガヤはむすっとした顔のまま、サクを見ていた。
「……」
沈黙が、一瞬だけ重くなる。
「あ、あのね、チガヤくん……」
サクは慌てて言葉を探す。
舌がうまく回らない。
手の先まで落ち着かない。
「た、例えば……すごくかっこいい槍とか、剣とかが、目の前にあるでしょ」
脈絡のない話に、チガヤの眉が微かに動く。
サクはそのまま、うまくまとまらないまま続ける。
「かっこよくて、つい見ちゃうけど……抱きしめたいとか、く、口づけたいとか……」
言いながら、自分で顔が熱くなる。
「そ、そういうふうには思わないじゃない?」
チガヤは、わずかに目を細めたまま、何も言わない。
その沈黙の中で、ふと頭によぎる。
本槍支給のときのこと。
モモジが新しい槍を抱きしめて、頬ずりしていた姿。
『俺の槍ちゃん』
そう言って、ニヤニヤ笑っていた顔。
(……いや)
チガヤは心の中でつぶやく。
言いたい本質はそこではないと理解しつつも、チガヤはあえて、
「……そういう奴もいるんじゃないの」
そのまま低く、投げるように言った。
「え、ええっ?」
サクが目を丸くする。
完全に想定外の顔だ。
沈黙が落ちる。
「と、とにかく……私にとってミナギ様は……」
気まずさを振り払うように、サクは言葉を続ける。
「すごくきれいで、かっこいい、槍、みたいな……」
「……」
チガヤは、ほんの少しだけ肩の力を抜いて、呆れたように息を吐いた。
そして。
「例え、下手だね」
きっぱりと言う。
「う……」
サクは小さくうなだれる。
「でも……そうか」
チガヤは一人で納得したように、少しだけ頷く。
何かを確かめるような顔だった。
「……じゃあサクは」
チガヤが一歩、近づく。
「俺とは、抱き合ったり口づけたりしたいってこと?」
一瞬、空気が止まる。
サクの顔が、一気に赤くなる。
「チ、チガヤく――」
言い切る前に、足元から小さな声がした。
「にゃあ」
見ると、子猫がチガヤの足にしがみついていた。
「……」
チガヤはしゃがみ込み、何も言わずにその子猫を抱き上げる。
子猫は安心したように喉を鳴らし、その腕の中で丸くなった。
その不器用な優しさに、サクの緊張がふっと解けた。
そっと隣にしゃがむ。
「ほら。この子もチガヤくんのこと好きだよ」
「……」
チガヤは子猫を見たまま、何も答えない。
少しの間があって。
サクは小さく息を吸う。
頬を赤く染め、
「私も、好き」
ぽつりと、そう言った。
その一言で、空気が変わる。
チガヤの胸の奥に、熱いものが広がる。
どうしてそうなるのか、自分でも分からない。
ただ、静かに満ちていく。
「サク」
「……ん?」
チガヤは子猫をそっと地面に下ろす。
「みぃ」
小さく鳴いて、子猫は離れていった。
サクが不思議そうに首をかしげる。
その頬に、チガヤはそっと手を添えた。
逃げる間もないまま、サクの目が見開かれる。
一瞬、時間が止まったようだった。
最初は、触れるだけの口づけ。
確かめるように、もう一度。
今度は少しだけ長く。
サクは目を開いたまま、息を止めていた。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
(チガヤくん……)
声にしようとしても、出てこない。
チガヤの指が、サクの頬に残る。
まるで、そこにいていいか確かめるように。
サクは小さく息を吐いて、目を閉じた。
その反応に、チガヤの動きが止まる。
もう一度だけ。
今度は迷いのない、短い口づけ。
やがて、ゆっくりと顔を離す。
ほんの少しの距離を残して向かい合ったまま、二人とも何も言えなくなった。
「……」
サクは頬を真っ赤に染めたまま、胸の前で指をもじもじと絡ませた。
心臓がうるさい。
嬉しくて。
恥ずかしくて。
どうしようもなく幸せで。
恐る恐る顔を上げると、目の前のチガヤと視線が合った。
「……ッ」
途端にまた頬が熱くなる。
けれど逸らさない。
代わりに、ふにゃりと力の抜けたような笑みがこぼれる。
「……えへへ」
自分でも抑えきれない。
そんな顔だった。
その笑顔を見たチガヤは、一瞬だけ目を見開く。
「……」
そして、いつものように平静を装うように表情を引き締めた。
だが。
わずかに頬が赤い。
しかも、視線が泳いでいる。
どう見ても平然とはしていなかった。
サクは思わずくすりと笑う。
――ああ、この人も同じなんだ。
自分だけがどきどきしているわけじゃない。
そう思ったら、胸の奥がじんわりと温かくなる。
言葉はない。
けれど。
沈黙は気まずくなかった。
むしろ、胸の奥がくすぐったくなるような、甘酸っぱい空気が小さな小屋いっぱいに静かに満ちていた。




