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初めての熱


 



 二人《ふたり》は人目《ひとめ》を避《さ》けるように、小《ちい》さな小屋《こや》に身《み》を寄《よ》せていた。 


 茅葺《かやぶ》きの屋根《やね》の下《した》には、籠《かご》や木桶《きおけ》、束《たば》ねられた麻《あさ》が積《つ》まれている。


 土間《どま》の隅《すみ》に置《お》かれた小《ちい》さな灯火《ともしび》だけが揺《ゆ》れ、その淡《あわ》い明《あ》かりが粗《あら》い板壁《いたかべ》や積《つ》み上《あ》げられた道具《どうぐ》の影《かげ》を静《しず》かに映《うつ》していた。



 チガヤは壁《かべ》にもたれ、息《いき》を整《ととの》えていた。


 腕《うで》には先程《さきほど》の戦闘《せんとう》で負《お》った深《ふか》い切傷《きりきず》がある。


 その前《まえ》に、サクは膝《ひざ》をついていた。


 布《ぬの》と水《みず》を用意《ようい》し、傷口《きずぐち》をそっと拭《ぬぐ》う。


 手《て》つきはぎこちないが、丁寧《ていねい》だった。



「……しみる?」



「いや」



 短《みじか》い返事《へんじ》。


 チガヤは表情《ひょうじょう》を変《か》えない。


 痛《いた》みを隠《かく》しているのか、それとも本当《ほんとう》に平気《へいき》なのか、サクには分《わ》からなかった。


 ただ、血《ち》が乾《かわ》いていくたびに、胸《むね》の奥《おく》が少《すこ》しだけ落《お》ち着《つ》いていく。



(よかった……血《ち》は止《と》まりそう)



 小《ちい》さく息《いき》を吐《は》く。


 その様子《ようす》を見《み》て、チガヤはわずかに目《め》を細《ほそ》めた。



「――なんで、あんな無茶《むちゃ》な真似《まね》したの」



 珍《めずら》しく、チガヤの声《こえ》には責《せ》めるような響《ひび》きがあった。



「あいつが、もっとしつこい奴《やつ》だったら、殺《ころ》されてた」



 その言葉《ことば》に、サクの肩《かた》がぴくりと震《ふる》えた。


 傷口《きずぐち》を拭《ふ》いていた手《て》が止《と》まる。



 そんなことを言《い》われても――



「わ、わかんない……けど」



 あの時《とき》。


 チガヤが殺《ころ》される。


 そう思《おも》った瞬間《しゅんかん》、身体《からだ》が勝手《かって》に動《うご》いていた。


 何《なに》も考《かんが》えていなかった。



 怖《こわ》くなかったわけじゃない。


 むしろ、今《いま》になって足《あし》が震《ふる》えそうになる。


 それでも。



「そんなことより……」



 目《め》を伏《ふ》せ、ぎゅっと布《ぬの》を握《にぎ》りしめる。



「チガヤくんが傷《きず》つくのが嫌《いや》だった……から、かな」



 その言葉《ことば》に。


 チガヤが目《め》を見開《みひら》いた。



 そ(・)ん(・)な(・)こ(・)と(・)って。



 自分《じぶん》が死《し》ぬかもしれないのに。


 それより先《さき》に。


 俺《おれ》が傷《きず》つくのが嫌《いや》だなんて。



(なんだ、それ)



 理解《りかい》できない。


 理解《りかい》できないが。


 それでも。


 そういうものが、世《よ》の中《なか》にあることは知《し》っている。

 


「……」



 少《すこ》し考《かんが》えたあと、チガヤはふと顔《かお》を上《あ》げた。



「サク」



「はい?」



「――俺《おれ》のこと、好《す》きなの?」



 一瞬《いっしゅん》。


 時《とき》が止《と》まった。



「……え?」



 サクの思考《しこう》も止《と》まる。



 そして。


 遅《おく》れて。


 顔《かお》が一気《いっき》に赤《あか》くなる。



「わ、わわわわ……!」



 汗《あせ》が止《と》まらない。



「わ、私《わたし》……」



 口《くち》がうまく動《うご》かない。


 心臓《しんぞう》が暴《あば》れている。


 逃《に》げたい。


 穴《あな》があったら入りたい。


 けれど――


 ここで誤魔化《ごまか》したくない。



 サクはぎゅっと拳《こぶし》を握《にぎ》った。


 そして。


 意《い》を決《けっ》したように顔《かお》を上《あ》げる。



「……はい」



 声《こえ》は震《ふる》えていた。


 それでも。


 真《ま》っすぐに、チガヤを見る。



「チガヤくんが……好《す》きです」



 逃《に》げることなく。


 正面《しょうめん》から向《む》けられた言葉《ことば》。



 その瞬間《しゅんかん》。


 チガヤの胸《むね》の奥《おく》から、妙《みょう》な熱《ねつ》が広《ひろ》がった。



 異様《いよう》だった。


 普段《ふだん》、感情《かんじょう》が大《おお》きく揺《ゆ》れることのないチガヤにとって、これは初《はじ》めての感覚《かんかく》だった。


 心臓《しんぞう》が激《はげ》しく脈打《みゃくう》つ。



(……毒《どく》か?)



 真《ま》っ先《さき》にそう考《かんが》える。


 しかし。


 違《ちが》う。


 痺《しび》れ毒《どく》には、ある程度《ていど》耐性《たいせい》がある。

 


 そもそも。


 あの程度《ていど》の毒《どく》なら、もう峠《とうげ》は越《こ》えている。



(戦闘《せんとう》の後《あと》だからか?)



 やけに気《き》が立《た》っている。


 身体《からだ》が昂《たかぶ》っている。



 ――そういうことか。



 いや。


 何《なに》かが違《ちが》う。


 もっと妙《みょう》で。


 もっと落《お》ち着《つ》かなくて。


 そして。


 なぜか、嫌《いや》ではなかった。



 気《き》づけば。


 チガヤはサクの腕《うで》を掴《つか》んでいた。



「……!」



 サクの目《め》が丸《まる》くなる。


 自分《じぶん》でも、何《なに》をしているのか分《わ》からない。 



 ただ。


 触《ふ》れたい。


 その思《おも》いだけが強《つよ》い。


 思《おも》わず顔《かお》を近《ちか》づける。



「……!」



 サクは完全《かんぜん》に混乱《こんらん》していた。


 頭《あたま》の中《なか》が真《ま》っ白《しろ》になる。



 チガヤが近《ちか》い。


 近《ちか》すぎる。


 息《いき》がかかる。


 心臓《しんぞう》が壊《こわ》れそうだった。




 チガヤは動《うご》かない。


 少《すこ》し苦《くる》しそうな顔《かお》で、それでもサクを見《み》つめていた。



 そして――



「……俺《おれ》が、怖《こわ》い?」



 そう聞《き》いた。



 いつもの淡々(たんたん)とした声音《こわね》ではない。


 熱《ねつ》を帯《お》びた。


 どこか不安《ふあん》そうな声《こえ》。

 

 こんなふうに揺《ゆ》れているチガヤを見《み》るのは初《はじ》めてだった。



 それがなんだか――


 たまらなく嬉《うれ》しかった。



「……怖《こわ》くない」



 サクは、ふわりと笑《わら》った。


 赤《あか》いままの顔《かお》で、そっと手《て》を伸《の》ばす。


 チガヤの頬《ほお》に触《ふ》れる。



 その瞬間《しゅんかん》――


 胸《むね》の奥《おく》の熱《ねつ》は、もう抑《おさ》えきれなかった。



 名前《なまえ》のない感情《かんじょう》。


 けれど確《たし》かにそこにあるもの。



「……サク」



「うん?」



 近《ちか》い。


 サクは逃《に》げなかった。



 真《ま》っ赤《か》になりながら。


 恥《は》ずかしそうにしながら。

 

 チガヤを見《み》つめ返《かえ》し――


 そっと、目《め》を閉《と》じた。





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