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チガヤだから




 陽射《ひざ》しが梢《こずえ》を透《す》かし、乾《かわ》いた土《つち》の匂《にお》いとともに柔《やわ》らかな木漏《こも》れ日《び》を地面《じめん》に落《お》としていた。


 穏《おだ》やかな昼下《ひるさ》がりの空気《くうき》を切《き》り裂《さ》くように、二人《ふたり》の小競《こぜ》り合《あ》いが続《つづ》いている。



 発端《ほったん》は他愛《たわい》のないことだったが、チガヤが淡々(たんたん)とした口調《くちょう》で並《なら》べ立《た》てる指摘《してき》は、どれも寸分《すんぶん》の狂《くる》いもなくモモジの痛《いた》いところを抉《えぐ》り抜《ぬ》いていた。



「ぐぬぬ……!」



 反論《はんろん》の言葉《ことば》を喉《のど》につまらせ、顔《かお》を真《ま》っ赤《か》にするモモジ。


 その悔《くや》しげな唸《うな》り声《ごえ》を背中《せなか》で聞《き》き流《なが》しながら、チガヤは何事《なにごと》もなかったかのようにすっと立《た》ち上《あ》がり、静《しず》かに背《せ》を向《む》けた。



 その無防備《むぼうび》に見《み》える背中《せなか》が、モモジの悪戯心《いたずらごころ》に火《ひ》をつけた。


 足元《あしもと》に転《ころ》がっていたのは、固《かた》く実《みの》った樫《かし》の木《き》の実《み》。



(喰《く》らえ……!)



 指先《ゆびさき》に力《ちから》を込《こ》め、ひゅっと鋭《するど》い風切《かざき》り音《おと》を立《た》ててチガヤの後頭部《こうとうぶ》へと放《はな》つ。



 だが、放《はな》たれた小石《こいし》ほどの実《み》は、標的《ひょうてき》に届《とど》くことすらなかった。


 振《ふ》り向《む》きもしないチガヤの左手《ひだりて》が、羽虫《はむし》を払《はら》うような滑《なめ》らかさで虚空《こくう》を泳《およ》ぐ。



 ぱしっ。



 乾《かわ》いた軽快《けいかい》な音《おと》が響《ひび》いた瞬間《しゅんかん》には、チガヤの親指《おやゆび》と人差《ひとさ》し指《ゆび》が寸分《すんぶん》の狂《くる》いもなく木《き》の実《み》の軌道《きどう》を挟《はさ》み留《と》めていた。



「…………」



「…………」



 木々(きぎ)のざわめきすら止《と》まったかのような静寂《せいじゃく》。


 モモジの顔《かお》は間抜《まぬ》けな驚愕《きょうがく》に凍《こお》りつき、チガヤ自身《じしん》もまた、掲《かか》げた自《みずか》らの左手《ひだりて》を見《み》つめたまま固《かた》まっていた。



 ぽろっ。

 


 やがて、チガヤの手《て》から木《き》の実《み》がこぼれ落《お》ちた。



「……びっくりした」



「こっちの台詞《せりふ》だ!」



 モモジが叫《さけ》ぶ。



「なんだ今《いま》の!?」



 チガヤは足元《あしもと》に転《ころ》がった木《き》の実《み》を見《み》つめた。

 


「……たまたま」



「たまたまであんな芸当《げいとう》ができるか!」



 モモジの声《こえ》が裏返《うらがえ》る。



「すげえ」



 傍《かたわ》らで見《み》ていたアオバが、目《め》を白黒《しろくろ》させながらぽつりと呟《つぶや》く。


 モモジは警戒《けいかい》を露《あら》わに一歩《いっぽ》後《うし》ろへ下《さ》がった。



「すげぇっつーか……怖《こえ》ぇよ! 人間《にんげん》ができる反応《はんのう》じゃねぇよ!」



 びしっと指《ゆび》を突《つ》きつける。



「なんなんだお前《まえ》!」



「……体《からだ》が勝手《かって》に」



「余計《よけい》怖《こえ》ぇよ!!」



 喚《わめ》き散《ち》らすモモジを前《まえ》に、チガヤは無表情《むひょうじょう》を貫《つらぬ》いていた。


 しかし、その胸《むね》の奥底《おくそこ》には冷《つめ》たい汗《あせ》が滲《にじ》んでいる。



 影《かげ》として生《い》きてきた時間《じかん》は、もう体《からだ》の奥深《おくふか》くまで染《し》みついている。



 考《かんが》えるより先《さき》に。


 危険《きけん》を探《さぐ》る。


 気配《けはい》を読《よ》む。


 幼《おさな》い頃《ころ》から。


 それが当《あ》たり前《まえ》になるまで、体《からだ》に叩《たた》き込《こ》まれてきた。

 


 だから。


 本人《ほんにん》にとっては、呼吸《こきゅう》をするのと変《か》わらないほど自然《しぜん》なことだった。


 けれど、普通《ふつう》の人間《にんげん》は、こんな動《うご》きはしない。


 だからこそ。



(……気《き》をつけてたのに)



 己《おのれ》の軽率《けいそつ》さに焦燥《しょうそう》が走《はし》る。


 平穏《へいおん》な日常《にちじょう》の空気《くうき》に、いつの間《ま》にか警戒《けいかい》が緩《ゆる》んでいたのかもしれない。


 正体《しょうたい》を悟《さと》られたか。


 あるいは気味悪《きみわる》がられて遠《とお》ざけられるか――


 胸中《きょうちゅう》で最悪《さいあく》の想定《そうてい》を巡《めぐ》らせた。



 だが、アオバが頭《あたま》を掻《か》きながら漏《も》らした苦笑《くしょう》が、張《は》り詰《つ》めた空気《くうき》をあっけなく弛緩《しかん》させた。



「まあ……チガヤが変《か》わってるのは、今《いま》に始《はじ》まったことじゃないしな」



「……まあなー」



 モモジも腕《うで》を組《く》む。



「なんか納得《なっとく》いかねぇけど……」



 唇《くちびる》を尖《とが》らせて渋々(しぶしぶ)といった様子《ようす》で頷《うなず》いている。



「変《へん》なとこも含《ふく》めてチガヤだしなぁ」



 彼《かれ》らにとってそれは、正体《しょうたい》を探《さぐ》るべき怪異《かいい》ではなく、単《たん》に風変《ふうが》わりな仲間《なかま》の突飛《とっぴ》な一面《いちめん》として片付《かたづ》けられていた。


「チガヤだから」という理屈《りくつ》のない信頼《しんらい》。


 その大雑把《おおざっぱ》で温《あたた》かい受容《じゅよう》に、チガヤは胸《むね》の内《うち》でそっと安堵《あんど》の息《いき》を吐《は》き出《だ》した。


 日《ひ》の当《あ》たらない場所《ばしょ》で孤独《こどく》に研《と》ぎ澄《す》ましてきた異質《いしつ》さを、彼《かれ》らは奇妙《きみょう》がりながらも当《あ》たり前《まえ》のように輪《わ》の中《なか》へと抱《だ》き込《こ》んでしまう。


 そのことが、ありがたかった。



 いや、でも。



「……モモジに変《へん》とか言《い》われたくないんだけど」



「んだとコラ!?」



 即座《そくざ》に噛《か》みつく。


 再《ふたた》びギャーギャーと騒《さわ》ぎ始《はじ》めるモモジ。


 呆《あき》れた顔《かお》をするアオバ。


 そんな二人《ふたり》を横目《よこめ》に。


 チガヤは、誰《だれ》にも気《き》づかれないように。


 ひっそりと苦笑《くしょう》した。





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