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恋の痛み




 夜(よる)の闇(やみ)が深(ふか)まり、灯火(ともしび)の明(あ)かりがゆらめく侍女(じじょ)の宿房(しゅくぼう)の共同部屋(きょうどうべや)。


 部屋(へや)の隅(すみ)では、同室(どうしつ)の新米侍女(しんまいじじょ)三人組(さんにんぐみ)がキャッキャと恋話(こいばな)で盛(も)り上(あ)がっていた。


 その中(なか)の一人(ひとり)が、最近(さいきん)鍛冶場(かじば)の下働(したばたら)きの青年(せいねん)と恋仲《こいなか》になったらしく、残(のこ)りの二人(ふたり)の侍女(じじょ)も身(み)を乗(の)り出(だ)すようにして集(あつ)まっている。



 彼(かれ)に髪飾(かみかざ)りをもらったこと。


 仕事中(しごとちゅう)に遠(とお)くの作業場(さぎょうば)から目(め)が合(あ)うと小(ちい)さく手(て)を振(ふ)ってくれたこと。


 彼《かれ》の低(ひく)い声(こえ)がとても好(す)きなこと――



 そんな初々(ういうい)しい恋(こい)の話(はなし)が、部屋(へや)の隅(すみ)から絶(た)え間(ま)なく流(なが)れていた。


 その楽(たの)しげな笑(わら)い声(ごえ)や、恋(こい)に胸(むね)をときめかせる甘酸(あまず)っぱいやり取(と)りは、どこまでも平和(へいわ)で、そして眩(まぶ)しい。



 しかし、その賑(にぎ)わいもサクの耳(みみ)には、どこか水底(みなそこ)の音(おと)のように遠(とお)かった。


 彼女(かのじょ)の頭(あたま)の中(なか)は、いまだに昼間(ひるま)の穀物庫(こくもつぐら)での出来事(できごと)に染(そ)まったままだった。



(明日(あした)、ミツさんの顔(かお)……どうやって見(み)ればいいんだろう……)



 ミツとヒシンの、そういう場面(ばめん)に遭遇(そうぐう)してしまい、普段(ふだん)さばさばとした彼女(かのじょ)の「あられもない声(こえ)」をうっかり聞(き)いてしまったサクは、気(き)まずさと申(もう)し訳(わけ)なさで、寝床(ねどこ)の中(なか)で何度(なんど)も身(み)をよじっていた。



「――ねえ、聞(き)いてる? サクってば」



 不意(ふい)に名前(なまえ)を呼(よ)ばれ、サクはビクリと肩(かた)を跳(は)ねさせた。



 顔(かお)を上(あ)げる。


 いつの間(ま)にか、三人(さんにん)の侍女(じじょ)がこちらを覗(のぞ)き込(こ)んでいた。


 好奇心(こうきしん)を隠(かく)しきれない目(め)。


 どうやら、恋話(こいばな)の矛先(ほこさき)が、いつの間(ま)にか自分(じぶん)へと向(む)いていたらしい。



「サクはさ、あの宮兵(みやへい)の男(おとこ)の子(こ)といい感(かん)じなんでしょ?」



「えっ?!」



 思(おも)わず裏返(うらがえ)った声(こえ)を上(あ)げて寝床(ねどこ)から飛(と)び出(だ)す。


 話題(わだい)の「男(おとこ)の子(こ)」が誰(だれ)を指(さ)しているのかなど、考(かんが)えるまでもない。



 チガヤだ。



「あー、あの小柄(こがら)な……あの子《こ》って 幾《いく》つなの?」



「なんか彼(かれ)、いつも無愛想(ぶあいそう)じゃない? サク、あんなのと喋(しゃべ)ってて楽(たの)しいの?」



 次々(つぎつぎ)と飛(と)んでくる質問(しつもん)に、サクはたじたじになる。


 すると、その中(なか)の一人(ひとり)――同期(どうき)のコハナが、もじもじしながら口(くち)を開(ひら)いた。



「……でも、ちょっとかっこいいよね……」



「へ」



 サクは間(ま)の抜(ぬ)けた声(こえ)を漏(も)らし、固(かた)まった。



「えっ……ち、チガヤくん……?」



 コハナの頬(ほお)が、灯火(ともしび)に照(て)らされてほんのりと紅潮(こうちょう)していた。



 彼女(かのじょ)が語(かた)るには、数日(すうじつ)前(まえ)の昼下(ひるさ)がり、仕事(しごと)の最中(さいちゅう)に編(あ)み草履(ぞうり)の鼻緒(はなお)がプツリと切(き)れて途方(とほう)に暮(く)れていたところ、たまたま通(とお)りかかったチガヤが手早(てばや)く直(なお)してくれた、らしい。



「それでね……直(なお)し終(お)わったら、何(なに)も言(い)わずに渡(わた)してくれて。そのまま行(い)っちゃったの」



 コハナは胸(むね)の前(まえ)で手(て)を組(く)み、遠(とお)い目(め)をする。



「…………」



「だから……その、なんていうか……ちょっと、いいなぁって思(おも)ってて……」



(――なにそれ知(し)らない!)



 サクは愕然(がくぜん)とした。


 いつも淡々(たんたん)として無愛想(ぶあいそう)なチガヤの、知(し)られざる優(やさ)しい一面(いちめん)。


 それを、自分(じぶん)だけが知(し)っている――そんな妙(みょう)な自負(じふ)がどこかにあったのかもしれない。



 だが。


 実(じつ)は他(ほか)のところでも、彼(かれ)はそれなりに女(おんな)の子(こ)の心(こころ)を揺(ゆ)さぶっていたという、事実(じじつ)。


 胸(むね)の奥(おく)から、ちくりとした波紋(はもん)が広(ひろ)がる。


 変(へん)な対抗心(たいこうしん)と、言(い)い知(し)れない焦(あせ)りがむくむくと頭(あたま)をもたげた。



 しかも、考(かんが)えたくもないのに想像(そうぞう)してしまう。


 小柄(こがら)で可愛(かわい)らしいコハナと、チガヤ。


 二人(ふたり)で並(なら)んでいる姿(すがた)を思(おも)い浮(う)かべると、身長差(しんちょうさ)も雰囲気(ふんいき)も妙(みょう)にしっくりくる。


 悔(くや)しいほど、お似合(にあ)いだった。



 それに比(くら)べて、自分(じぶん)はチガヤよりも大《おお》きくて、不器用(ぶきよう)で。


 可愛(かわい)らしさなんて、どこにもない。



(私(わたし)なんかより、ずっと……)



 一人(ひとり)で勝手(かって)に劣等感(れっとうかん)の沼(ぬま)にハマり、落《お》ち込(こ)んでいく。


 顔色(かおいろ)は、みるみるうちに青(あお)ざめ、どんよりと曇(くも)っていった。



 そんなサクの激(はげ)しい内面(ないめん)など知(し)る由(よし)もなく、コハナは不安(ふあん)そうに小首(こくび)を傾(かし)げ、おずおずと尋(たず)ねた。



「あの……サクは、チガヤ……くんと、付(つ)き合(あ)ってるの?」



「…………」



 その問(と)いは、今(いま)のサクにとってあまりに鋭(するど)く、そして重(おも)かった。



 サクは黙(だま)った。


 答(こた)えは決(き)まっている。


 そんな関係(かんけい)ではない。


 けれど、その言葉(ことば)を口(くち)にするのが、ひどく寂(さび)しかった。




 しばらくして。


 サクは視線(しせん)を落(お)とし。



「……付(つ)き合(あ)ってないです」



 その声(こえ)は、自分(じぶん)でも驚(おどろ)くほど、力(ちから)なく響(ひび)いた。





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