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修羅場




「――ところでさ」



 ミツが急《きゅう》に声《こえ》の調子《ちょうし》を変《か》えた。



「ん?」



「……ヒシンは?」



「……」



「あんたたち、よく一緒《いっしょ》に見回《みまわ》りしてるじゃん。今日《きょう》は違《ちが》うの?」



 そう聞《き》くミツは、どこか落《お》ち着《つ》かない。


 そわそわしていて、妙《みょう》に顔《かお》が赤《あか》い。



 チガヤはじっとその顔《かお》を見《み》つめた。



「……ヒシンなら」



 団子《だんご》をごくりと飲《の》み込《こ》むと、顎《あご》で向《む》こうを示《しめ》す。

 


「あっちで捕《つか》まってる」



 木陰《こかげ》の下《した》に、二人《ふたり》の姿《すがた》があった。


 一人《ひとり》はヒシン。


 背《せ》が高《たか》く、涼《すず》やかな顔立《かおだ》ち。


 向《む》かいにいるのは、若《わか》い侍女《じじょ》。


 サクの同期《どうき》でもあるハヅキだった。


 アサの一件《いっけん》以来《いらい》、「次《つぎ》こそは自分《じぶん》が」と野心《やしん》を抱《いだ》いて宮《みや》へ集《あつ》まった若《わか》い娘《むすめ》たちのうちの一人《ひとり》である。


 美《うつく》しい顔立《かおだ》ちをしているが、その整《ととの》った顔《かお》には、どこか気《き》の強《つよ》さがにじんでいた。


 新人《しんじん》でありながら物怖《ものお》じせず、年長者《ねんちょうしゃ》にも臆《おく》することがない。



 そして――


 ヒシンに対《たい》しては、その性格《せいかく》がさらに露骨《ろこつ》になっていた。



「ヒシンさんって本当《ほんとう》に背《せ》が高《たか》いですよね」



 笑《わら》いながら、ハヅキの手《て》がヒシンの腕《うで》に触《ふ》れる。

 


「鍛《きた》えてるから、こんなに硬《かた》いんですか?」



「まあ、兵《へい》だからな」



 ヒシンが苦笑《くしょう》する。


 それでもハヅキは手《て》を離《はな》さない。


 むしろ、確《たし》かめるように指先《ゆびさき》を滑《すべ》らせる。


 どう見《み》ても距離《きょり》が近《ちか》すぎる。


 ヒシンもさすがに困《こま》った顔《かお》をしている。


 けれど、相手《あいて》が侍女《じじょ》ということもあって、強《つよ》く振《ふ》り払《はら》うこともできずにいるらしい。

 

 


「……へぇー……」



 空気《くうき》がすっと冷《ひ》えた気《き》がした。


 ミツの目《め》は据《す》わっている。


 口元《くちもと》は笑《わら》っているのに、端《はし》だけがぴくぴくと引《ひ》きつっていた。


 隣《となり》のサクは、思《おも》わず一歩《いっぽ》離《はな》れる。



「ミツさん……?」



「ちょっと……行《い》ってくる」



 ずんずんと大股《おおまた》で歩《ある》いていくミツ。



 サクは籾《もみ》の入《はい》った袋《ふくろ》を抱《かか》えたまま、おろおろとその背中《せなか》を見送《みおく》った。



(ど、どうするんだろう……)



 はらはらしながら見守《みまも》っていると。



「……」



 ふいに視線《しせん》を感《かん》じた。


 恐《おそ》る恐《おそ》る横《よこ》を向《む》く。


 すると。


 チガヤがじっとこちらを見《み》ていた。


 何《なに》を考《かんが》えているのかわからない、真《ま》っ直《す》ぐな目《め》。



 サクはびくっと肩《かた》を震《ふる》わせる。


 慌《あわ》ててぎこちない笑顔《えがお》を作《つく》った。


 そんなサクを見上《みあ》げながら――



「……ずいぶんと背《せ》が高《たか》い」



 ぽつり。


 あまりにも唐突《とうとつ》な言葉《ことば》だった。



 サクの笑顔《えがお》が止《と》まる。


 からかう様子《ようす》もない。


 悪気《わるぎ》もない。



 けれど――


 その言葉《ことば》は、サクの胸《むね》にぐさりと刺《さ》さった。


 胸《むね》の奥《おく》がずんと重《おも》くなる。



 サクは目《め》を伏《ふ》せた。



「……や、やっぱり……変《へん》、ですよね」



 ぽつりと呟《つぶや》く。



「でかい女《おんな》は……」



 そう言《い》って、しゅんと肩《かた》を落《お》とした。


 もともと丸《まる》めていた背中《せなか》が、さらに小《ちい》さく縮《ちぢ》こまる。



 そんなサクを見《み》て、チガヤは不思議《ふしぎ》そうに目《め》をぱちぱちさせた。



「いや?」

 


 きょとんと首《くび》を傾《かし》げる。



「なんで?」



 あまりにも当《あ》たり前《まえ》のように返《かえ》されて、サクは思《おも》わず顔《かお》を上《あ》げた。



「え……?」



「背《せ》が高《たか》いのって、いいことでしょ?」



 チガヤはそう言《い》うと、木皿《きざら》に残《のこ》っていた稗団子《ひえだんご》を口《くち》に運《はこ》ぶ。


 もぐもぐと噛《か》みながら続《つづ》けた。

 


「遠《とお》くまで見《み》えるし」



「物《もの》を取《と》るのも楽《らく》そうだし」



「足《あし》も長《なが》い」

 


「かっこいいじゃん」



 あっさりと。



「正直《しょうじき》、羨《うらや》ましいくらいだ」



 何《なん》の裏《うら》もなく、ただそう思《おも》っている顔《かお》で言《い》った。



 サクはぽかんとした。



 かっこいい。



 そんなふうに言《い》われたことなんて、一度《いちど》もなかったから。


 さっきまで胸《むね》を刺《さ》していた痛《いた》みが、嘘《うそ》みたいに消《き》えていく。


 代《か》わりに、じんわりとした温《あたた》かさが広《ひろ》がっていった。



「……あ、ありがとう」



 そう礼《れい》を言《い》うと、チガヤはまた不思議《ふしぎ》そうな顔《かお》をした。


 まるで、自分《じぶん》が特別《とくべつ》なことを言《い》ったとは思《おも》っていないようだった。



 その様子《ようす》がおかしくて――


 サクは、ふふっと笑《わら》った。



 すると。


 その笑顔《えがお》を見《み》たチガヤが、わずかに目《め》を見開《みひら》く。



「……その顔《かお》のほうがいいよ」



「え?」



「背筋《せすじ》を伸《の》ばして笑《わら》ってるほうが似合《にあ》ってる」



 さらりと。


 まるで当《あ》たり前《まえ》のことみたいに言《い》った。



 ――その時《とき》。


 ふわりと風《かぜ》が吹《ふ》き抜《ぬ》けた。


 揺《ゆ》れた髪《かみ》を押《お》さえながら、サクは目《め》を見開《みひら》く。


 胸《むね》の奥《おく》で。


 どくん、と。


 心臓《しんぞう》が大《おお》きく跳《は》ねた。


 思《おも》わず息《いき》を止《と》める。

 


「……あ――」



「別《べつ》に放《ほう》っておいてくれます?!」



 鋭《するど》い声《こえ》が、淡《あわ》い空気《くうき》を真《ま》っ二《ぷた》つに切《き》り裂《さ》いた。


 サクははっとして、慌《あわ》てて木陰《こかげ》へ目《め》を向《む》ける。



(そうだ……! ミツさん……)



 すっかり忘《わす》れていた。


 今《いま》は修羅場《しゅらば》の真《ま》っ最中《さいちゅう》だった。


 ミツと、ヒシンを狙《ねら》っている新人《しんじん》侍女《じじょ》、ハヅキが、真《ま》っ向《こう》から睨《にら》み合《あ》っていた。



「ミツさんって、ヒシンさんの恋人《こいびと》ってわけじゃないんですよね?!」



 ハヅキが声《こえ》を張《は》り上《あ》げる。


 先《さき》ほどまでヒシンに触《ふ》れていた手《て》は、今《いま》は胸元《むなもと》で固《かた》く握《にぎ》られている。



「私《わたし》たちに口出《くちだ》しする権利《けんり》なんてあるんですか?!」



 ぴくり、と。


 ミツのこめかみが引《ひ》きつった。



「……権利《けんり》、ねえ?」



 ぽつりと落《お》ちた声《こえ》は低《ひく》い。


 それだけで、周《まわ》りの空気《くうき》がぴんと張《は》る。


 少《すこ》し離《はな》れた場所《ばしょ》で作業《さぎょう》をしていた者《もの》たちまで、ちらちらとこちらを窺《うかが》っていた。



 ハヅキは怯《ひる》むどころか、さらに勢《いきお》いを増《ま》した。



「そうです! 関係《かんけい》ないなら引《ひ》っ込《こ》んでてください! ヒシンさんのことだって――」



「関係《かんけい》ない?」



 ミツが初《はじ》めて言葉《ことば》を重《かさ》ねた。


 その瞬間《しゅんかん》。


 空気《くうき》が変《か》わった。


 さっきまでの静《しず》かな圧《あつ》ではない。


 もっとはっきりした。


 刃《やいば》のように鋭《するど》い空気《くうき》だった。


 ミツの視線《しせん》が、ゆっくりと横《よこ》へ動《うご》く。


 ハヅキではない。


 その向《む》こうにいるヒシンへ。

 


「……今《いま》の話《はなし》、聞《き》いてたでしょ」



 低《ひく》い声《こえ》。


 責《せ》めるというより。


 逃《に》げ道《みち》をふさぐための問《と》いだった。


 風《かぜ》が木《こ》の葉《は》を揺《ゆ》らす音《おと》が、妙《みょう》に大《おお》きく聞《き》こえる。



「ねえ、ヒシン」

 


 ミツは少《すこ》しだけ顎《あご》を上《あ》げた。



「私《わたし》たちの関係《かんけい》って、何《なに》?」



 軽《かる》い問《と》いではなかった。


 逃《に》げることを許《ゆる》さない声《こえ》だった。


 そして、ミツは静《しず》かに続《つづ》ける。

 


「関係《かんけい》ない女《おんな》、ってことで終《お》わらせるなら、それでもいいよ」



 けれど。


 最後《さいご》の言葉《ことば》だけは、少《すこ》し冷《ひ》えていた。



「ただし、その代《か》わり――」



 ミツの目《め》がまっすぐヒシンを射抜《いぬ》く。



「今《いま》ここで、ちゃんと答《こた》えて」




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