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穀物庫にて




 昼下(ひるさ)がりの穀物庫(こくもつぐら)の奥(おく)は、高(たか)く積(つ)み上(あ)げられた麻袋(あさぶくろ)が外(そと)からの木漏(こも)れ日(び)を遮(さえぎ)り、ひやりとした薄暗(うすぐら)がりに包(つつ)まれている。


 乾燥(かんそう)した藁(わら)と穀物(こくもつ)の香(かお)りが静(しず)かに立(た)ち込(こ)める中(なか)、サクは在庫確認(ざいこかくにん)の木札(きふだ)を指(ゆび)でなぞりながら、静(しず)かに数(かず)合(あ)わせの作業(さぎょう)を進(すす)めていた。



「チガヤくん、そっちの三列目(さんれつめ)、籾(もみ)を入(い)れた袋(ふくろ)が二十(にじゅう)であってるかな?」



 サクが積(つ)まれた麻袋(あさぶくろ)を指差(ゆびさ)す。



「――ああ、二十(にじゅう)ちょうどだ」



 たまたま農具(のうぐ)を取(と)りに来(き)ていたチガヤが、手際(てぎわ)よく作業(さぎょう)を手伝(てつだ)ってくれていた。



 順調(じゅんちょう)に終(お)わるはずだった。


 ごくありふれた午後(ごご)の仕事(しごと)。


 その平穏(へいおん)が途切(とぎ)れたのは、唐突(とうとつ)なことだった。



 板壁(いたかべ)一枚(いちまい)を隔(へだ)てたすぐ外側(そとがわ)。


 建物(たてもの)の死角(しかく)になる狭(せま)い裏手(うらて)から、衣擦(きぬず)れの音(おと)とともに微(かす)かな吐息(といき)が忍(しの)び込(こ)んできた。


 チガヤの手(て)がぴたりと止(と)まる。



「……んっ、ヒシン、待(ま)って……誰(だれ)か来(き)たら……」



「……誰(だれ)も来(こ)ねえよ。昼休憩(ひるきゅうけい)の間(あいだ)は、皆(みんな)あっちの詰所(つめしょ)にいる」



 乾燥(かんそう)した板壁(いたかべ)の節穴(ふしあな)や隙間(すきま)は、あられもない熱(ねつ)を孕(はら)んだ音(おと)を鮮明(せんめい)に通(とお)した。



「……あっ……ちょっと、そんな触(さわ)り方(かた)……ッ」



「だめな声(こえ)じゃねぇだろ……ミツ」



 押(お)し殺(ころ)したミツの頼(たよ)りない抗議(こうぎ)は、低(ひく)く掠(かす)れた男(おとこ)の声(こえ)に容易(たやす)く呑(の)み込(こ)まれた。


 かつての煮(に)え切(き)らない態度(たいど)が嘘(うそ)のように、ヒシンの声(こえ)は積極的(せっきょくてき)で、情欲(じょうよく)に濡(ぬ)れている。



 倉庫(そうこ)の内部(ないぶ)は、まるで時間(じかん)が凍(こお)りついたかのように静(しず)まり返(かえ)った。



 サクの顔(かお)が一気(いっき)に耳(みみ)まで朱(しゅ)に染(そ)まる。


 ひゅっと喉(のど)の奥(おく)で息(いき)を呑(の)み、逃(に)げ場(ば)のない生々(なまなま)しさに視線(しせん)を泳(およ)がせながら、石(いし)のようにその場(ば)へ縫(ぬ)い止(と)められてしまった。


 呼吸(こきゅう)の仕方(しかた)すら忘(わす)れたように肩(かた)を震(ふる)わせ、気(き)まずそうに、助(たす)けを求(もと)めるように、視線(しせん)をチガヤへと彷徨(さまよ)わせた。



 一方(いっぽう)のチガヤは天井(てんじょう)を見上(みあ)げ、深(ふか)い溜(た)め息(いき)をひとつ零(こぼ)した。



(……極端(きょくたん)すぎるだろ、あいつら)



 今(いま)まで曖昧(あいまい)な関係(かんけい)だった反動(はんどう)ゆえなのか。


 一度(いちど)堰(せき)を切(き)った想(おも)いは歯止(はど)めを失(うしな)い、完全(かんぜん)に二人(ふたり)だけの熱(ねつ)へとなだれ込(こ)んでいた。



「あっ……だめ、そこ……痕(あと)になるって……」



「隠(かく)せばいいだろ……もう我慢(がまん)できねぇ……」



 壁(かべ)の向(む)こうでは――


 さらに切迫(せっぱく)した衣擦(きぬず)れの音(おと)。


 甘(あま)く乱(みだ)れた吐息(といき)。


 ちゅ、と小(ちい)さく重(かさ)なる水音(みずおと)までが、恐(おそ)ろしいほど鮮明(せんめい)に漏(も)れ聞(き)こえてくる。


 いよいよ本格的(ほんかくてき)な領域(りょういき)へと踏(ふ)み込(こ)もうとする気配(けはい)に、サクは白目(しろめ)を剥(む)きそうになりながら、極限状態(きょくげんじょうたい)で泡(あわ)を食(く)っている。


 純情(じゅんじょう)な彼女(かのじょ)にとって、それはもはや致死量(ちしりょう)の刺激(しげき)だった。



 連(つ)れてこっそり抜(ぬ)け出(で)るか――



 そう思案(しあん)したチガヤだったが。


 ふと理不尽(りふじん)さに眉(まゆ)をひそめる。



(いや……仕事(しごと)してるのはこっちだろ。なんで俺(おれ)たちがコソコソ気(き)を利(き)かせてやらなきゃならないんだ)



 じわじわと湧(わ)き上(あ)がる苛立(いらだ)ちのまま、チガヤは半眼(はんがん)で後頭部(こうとうぶ)を掻(か)くと、無音(むおん)の足取(あしど)りで板壁(いたかべ)へと近(ちか)づいた。


 すうっと深(ふか)く息(いき)を吸(す)い込(こ)む。



 ――ドゴンッ!



 硬(かた)い拳(こぶし)が爆音(ばくおん)とともに板壁(いたかべ)を打(う)ち鳴(な)らした。



「おい! こんなところで盛(さか)るな! 馬鹿者(ばかもの)がッ!」



 同時(どうじ)に放(はな)たれたのは、鼓膜(こまく)を震(ふる)わせるほど厳格(げんかく)でドスの利(き)いた怒声(どせい)。


 抑揚(よくよう)、かすれ具合(ぐあい)、威圧感(いあつかん)――そのすべてが、彼(かれ)らの指導教官(しどうきょうかん)そのものの声(こえ)であった。



 影(かげ)の技(わざ)を応用(おうよう)した、完璧(かんぺき)な声色(こわいろ)の模倣(もほう)。



「「きゃあっ!? / うわあっ!?」」



 壁(かべ)の向(む)こうから、重(かさ)なり合(あ)った体(からだ)がもつれて転(ころ)がる派手(はで)な物音(ものおと)と、悲鳴(ひめい)が響(ひび)いた。


 直後(ちょくご)、衣服(いふく)を乱暴(らんぼう)に整(ととの)えながら、恐慌状態(きょうこうじょうたい)で遠(とお)ざかっていく慌(あわ)ただしい足音(あしおと)が響(ひび)き渡(わた)り、やがて遠(とお)くへと消(き)えていく。




 再(ふたた)び穀物庫(こくもつぐら)に戻(もど)ってきた静寂(せいじゃく)の中(なか)、チガヤは何事(なにごと)もなかったかのように肩(かた)をすくめ、サクに向(む)き直(なお)った。



「――さ。もう少(すこ)しだから、とっとと終(お)わらせよう」



 いつもの淡々(たんたん)とした調子(ちょうし)に戻(もど)ったチガヤに対(たい)し、サクはその場(ば)に力(ちから)なく膝(ひざ)から崩(くず)れ落(お)ちていた。


 真(ま)っ赤(か)にのぼせた顔(かお)のまま、弱々(よわよわ)しく呻(うめ)くことしかできないサクを後(あと)に、チガヤは再(ふたた)び静(しず)かに木札(きふだ)へと手(て)を伸(の)ばした。




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