王命
――その頃の私は、そんな大騒ぎになっているなんて知る由もなかった。
後になって聞いた話だけど、あの地震の日、とある山奥では山崩れが起きていたらしい。
――その日、わたしは完全に休日モードだった。
たまには鎧なんて脱ぎ捨てて、好きな格好で酒でも飲む。
それの何が悪いっていうのよ。
異国で買った紺碧の大判の布を身体に巻き付け、首元で結ぶ。
耳元では深い蒼の宝石が揺れ、胸元には涙型のネックレス。
窓を開け、夜風を感じながら蜂蜜酒を傾ける。
最高!
今日は仕事しない。
依頼も受けない。
面倒事も起こらない。
誰にも会わない。
……そのはずだった。
コンコン、と扉が叩かれる。
「入ってー」
適当に返事をすると、扉が開いた。
そして。
私は固まった。
「……なんであんた達なのよ」
そこに立っていたのは、綿の服に身を包んだアジノとレオニスだった。
いや、服装の問題じゃない。
「なんで休日に来るのよ!」
「いやー、エミリウス。会いたくなっちゃってさ」
「帰れ」
「即答!?」
アジノが悲鳴を上げる。
その隣で、レオニスは部屋に入った瞬間、ぴたりと動きを止めていた。
顔が赤い。
目が泳いでる。
何よ。
「開けっぱなしにしないで。扉を閉めて2人とも中入って」
「お、おう!」
慌てて扉を閉める脳筋王子。
一方、アジノは目を輝かせていた。
「エミリウス、その服すごいよ! 炎の大陸の着こなしだ! 綺麗だ! 最高だ!」
そこで、アジノは腕に肘をつき、私を見ながら首を傾げた。
「でも、骨格から言って君は風の大陸出身だと思ったよ」
「うっさいわね!風の大陸出身の炎の大陸育ちよ!それが何か?」
アジノは妙に鋭い。
……まぁ別に。
褒められて嫌じゃないけど。
そんな真っ直ぐ言われると調子狂うじゃない。
「……ありがと」
小さく呟いて蜂蜜酒を煽る。
すると今度はレオニスが椅子ごと近寄ってきた。
「お前、風の大陸出身なのか!?炎の大陸にもいたのか!?期間は?彼の地はどのような……」
「近い近い近い!」
カップで顔を押し返す。
「顔が近いって!」
『出たよ。不粋王子……』
アジノが頭を抱えている。
私は二人をじろりと睨んだ。
「……で? 何の用?まさか面倒事じゃないでしょうね?
今日はオフなの。面倒なら帰って」
すると、アジノが珍しく困った顔をした。
「悪いんだけど……その格好じゃなくて、いつもの装備に着替えてくれないかな」
「やーよ」
即答。
「今日は休み!」
しかし。
レオニスの声だけが妙に真剣だった。
「すぐに登城する」
「は?」
「国王命令だ」
「……はぁ?」
間抜けな声が出た。
「誰が?」
「お前だ」
「なんで?」
「知らん」
「知らないの!?」
「命令だったからな!」
「この脳筋が!」
「脳筋とは何だ!」
頭を抱える私の横で、アジノが苦笑した。
「ちなみに王様直々のご指名」
「…………」
「あと、古代遺跡の調査」
その瞬間。
私の手が止まった。
王都に現れた古代遺跡。
挑んだ冒険者はほとんど帰ってこない。
帰還した者も、まともな精神状態ではなかった。
そんな場所へ。
よりにもよって。
「……なんで私?」
するとアジノがニヤリと笑った。
「僕が推薦した」
「アジノォォォォ!!」
クッションを全力で投げつける。
「余計なことしかしないわね!」
「ははは!」
「笑うな!」
数時間後。
私はいつもの装備に身を包み、王城へ連行されていた。
その頃――。
王都から遠く離れた山奥。
地震によって崩れた山肌の奥から、巨大な石造りの建造物が姿を現していた。
ぽっかりと開いた闇。
長い年月を眠っていた古代遺跡。
そして同じ頃。
王宮では。
「何!? 古代遺跡が現れたとな!?」
王国の第二権力者。
『王冠の影』と呼ばれる宰相アグナス・ヴァルドが声を上げていた。
「加えて……調和の塔がわずかに傾きました」
「何じゃと!?」
調和の塔。
王国全土の魔力を安定させる古代の大魔法構造物。
それが傾くということは――世界の均衡が崩れ始めているということだった。
さらに、王立中央図書館の調査では。
目に見えない時空の裂け目――『歪み』。
その周辺に異常な魔力反応が観測され始めていた。
王位継承問題。
古代遺跡。
世界の均衡の崩壊。
重なる問題に頭を抱える宰相。
だが。
病床の王だけは違った。
穏やかな声で笑っていた。
「ふむ……レオニスと相性の良い女性か」
衝立の向こうに控える人物。
アジノが笑う。
「ええ。面白い女性ですよ」
「ははは! あのレオニスについていける女か! それは愉快だ!」
一人だけ笑えない男がいた。
宰相アグナスである。
「まさか……王様……その得体の知れぬ女を?」
そして王は、穏やかに告げた。
「エミリウス・レイヴェル。この者とレオニスに任せよう。アジノも同行せよ。他の人選はアグナス、お前に任せる」
そう言った直後。
王は激しく咳き込んだ。
土気色の細い腕。
痩せた身体。
近づこうとする二人を手で制し、王は静かに微笑む。
「よい。いつもの癪じゃ」
しかし、その背中は。
まるで命の灯火が消えかけているように弱々しかった。
もちろん。
そんな大事になっているなんて。
王城へ向かう馬車の中で、文句しか言ってなかったわたしが知るはずもない。
「なんで休日がこんなことになるのよ……」
「楽しそうじゃないか!」
脳筋王子が笑う。
「楽しくないわ!」
「冒険だぞ!」
「だから脳筋なのよ!」
アジノが笑いながらスケッチを取る。
「いやぁ、この構図いいなぁ」
「描くな!」
道中、こんなやり取りをして王城へと進んでいた。
そして城に着いてから。
――そして、わたしは一人取り残された。
「……なんでこうなるのよ」
王城に着いた途端、アジノとレオニスは「すぐ戻る!」とか言い残して正装に着替えに行ってしまった。
残されたのは、私一人。
しかも場所は、よりによって国王陛下の御前。
重厚な扉の前で、わたしは落ち着かずにうろうろしていた。
「もう……こういう時くらい一緒にいてくれてもいいじゃない……」
別に寂しいわけじゃない。
ただ、王様なんて会ったことないし。
ちょっとだけ。
ほんのちょっとだけ心細いだけ。
……うん。
ほんのちょっとだけ。
そんなことを考えながら足元を見ると、妙なものが目に入った。
「ん?」
床一面に刻まれた複雑な魔法陣。
しゃがみ込み、指先でなぞる。
「これは……武器検知の魔法陣ね」
王族を守るための防犯用。
でも、剣を立てかける場所もないし、宮人の姿も見当たらない。
「……ってことは、中で全部やるのね」
面倒くさ。
というか緊張するんだけど。
いやいや、エミリウス。
特急Sランクのヒドラを一撃で倒した女が、王様ごときでビビってどうするのよ。
……王様ごときって失礼かしら。
などと一人でブツブツ言いながら、意を決して扉を叩いた。
コンコン。
「――入れ……」
中から聞こえてきたのは、しゃがれているのに妙に威厳のある声。
まるで岩が軋むような低い声だった。
「し、失礼します」
扉を開けた瞬間。
思わず息を呑んだ。
広い謁見の間。
玉座の前にはすでに三人の人物が控えている。
そして、その中心に立っていた男に、わたしは思わず目を見開いた。
「……でっか」
大柄。
いや、大きいなんてもんじゃない。
熊みたい。
深紺の長衣に黒いローブ。
白銀のマント。
長い髭を撫でながら、琥珀色の瞳が鋭くこちらを見据えている。
うわ。
怖っ。
すると、一歩踏み出した私の足がピタリと止まった。
「あれ?」
前に進めない。
見えない壁。
どうやら魔法陣の効果範囲から出られないらしい。
すると、宮人が静かに進み出た。
「武器をお預かりいたします」
「はい」
私は素直に長剣と短剣をソードホルダーごと外した。
続いて別の宮人が近付いてくる。
「お身体を検めさせていただきます」
「へ?」
「失礼いたします」
「ちょ、ちょっと!」
ライトアーマー。
レイド・ブレイザー。
フェイズ・トレッド。
隠し武器や毒の確認。
隅から隅まで徹底的に調べられる。
「うぅ……恥ずかしいんだけど……」
でも、相手は仕事だ。
ここで暴れたら本当に不審者扱いされる。
「異常ございません」
魔法陣が淡く消える。
「前へお進みください」
「はい……」
緊張する。
すごくする。
足が重い。
できれば帰りたい。
できれば宿で蜂蜜酒飲みたい。
そんな現実逃避をしていると――
「――お主が、エミリウス・レイヴェルか?」
低くしゃがれた声が響いた。
ビクッと肩が跳ねる。
でも、ここで失敗したら終わりだ。
私は膝を折り、礼を取った。
「エミリウス・レイヴェル。国王命令により参りました」
すると、大男が長い髭を撫でながら唸る。
「儂はアグナス・ヴァルド。この国の宰相を務めておる」
(うわぁぁぁ!!)
心の中で叫んだ。
『王冠の影』。
国王に次ぐ権力者。
噂では怖い人。
怖そう。
いや、絶対怖い。
なんか目つき鋭いし。
怒られたくない。
すると。
「ま、間に合った!」
後ろから聞き慣れた声。
アジノだった。
検閲を終えたらしく、慌てて私の隣に滑り込んでくる。
「アジノ・ルクヴェール! 宰相殿に拝謁します!」
息を切らしながら深く礼をする。
(遅いのよ!)
心の中で怒鳴る。
でも。
なんだか少し安心した。
さらに。
ガチャリと扉が開き、今度はレオニスが姿を現した。
正装姿の脳筋王子。
……なんか悔しいけど似合ってる。
宰相アグナスは一歩下がり、自分の立っていた場所を譲った。
「アグナス、父上は?」
レオニス様の声が、静まり返った謁見の間に響いた。
その瞬間だった。
さっきまで圧倒的な存在感を放っていた宰相アグナス・ヴァルドが、一歩後ろへ下がったのだ。
まるで最初からそこが彼の場所だったかのように。
自然で。
淀みなく。
そして当然のように。
第二王子へ場を譲った。
「は」
アグナスは胸に手を当て、深く一礼する。
「陛下はご体調を崩されました。現在は私が王権を預かるよう、ご命令を賜っております」
その報告を聞いた瞬間。
レオニス様の表情がほんの僅かだけ曇った。
本当に一瞬。
たぶん私以外は気付かなかったと思う。
でも確かに、あの青い瞳に憂いがよぎった。
「そうか」
短い返答。
けれど、その声にはいつもの軽さがなかった。
「父上の容態は」
「芳しくはございません」
謁見の間の空気が重くなる。
さっきまでの緊張とは違う。
もっと静かで、重たい空気。
王が倒れた。
それがどれほど重大な意味を持つのか、政治に疎い私でも分かる。
しばらく沈黙した後、レオニス様は静かに頷いた。
「あとはそなたに任せよう」
そして踵を返す。
「俺は父上の元へ行ってくる」
そう言い残して、迷いなく部屋を後にした。
閉じる扉。
遠ざかる足音。
私は思わずその背中を目で追ってしまう。
……うん。
ああしていると、本当に王子様なのよね。
普段は天然だし。
たまに信じられないくらいズレたこと言うし。
でも。
あの背中だけは、間違いなく王族だった。
国を背負う者の背中。
なんだか少しだけ格好いいと思ってしまったのは秘密である。
そんなことを考えていると――
「ゴホン」
低い咳払いが響いた。
一瞬で現実に引き戻される。
視線を向けると、アグナス宰相が広間の中央へ進み出ていた。
途端に空気が変わる。
誰もが姿勢を正し、一斉に膝を折る。
私も慌ててそれに倣った。
「皆も知っておる通り、先日の地震により大規模な山崩れが発生した」
低く重い声が広間に響く。
誰も口を開かない。
ただ静かに耳を傾ける。
「これは極秘事項である」
その一言に背筋が伸びた。
極秘。
つまり国家機密。
嫌な予感しかしない。
「山崩れの影響により、新たな遺跡が発見された」
――遺跡?
思わず顔を上げそうになる。
けれど必死に堪えた。
なんかこういう時って、余計なことすると怒られそうだし。
「よって国王代理として、宰相アグナス・ヴァルドの名において命を下す」
空気がさらに張り詰める。
そして。
「ガイアス・ヴォルグ」
「はっ!」
野太い声が響く。
「メイアース・セルフィア」
「は、はいっ!」
緊張で少し裏返った声。
たぶん本人は死ぬほど恥ずかしい。
「イザーク・カルデロ」
「承知いたしました」
静かで揺るがない声。
感情が読めない。
「アジノ・ルクヴェール」
「謹んで拝命いたします」
隣のアジノが優雅に頭を下げる。
こういう時だけ完璧なの腹立つわね。
そして。
「エミリウス・レイヴェル」
「は、はいっ!」
思いっきり声が裏返った。
恥ずかしい。
帰りたい。
今すぐ帰って蜂蜜酒飲みたい。
でも現実は残酷だった。
「以上の者は、第ニ王子レオニス・アルセインと共に、速やかに新発見の遺跡を調査せよ」
アグナスの視線が私たちを射抜く。
「これは国王陛下の御意思にして――王命である!」
王命。
その言葉が落ちた瞬間。
広間の空気が震えた気がした。
ただの依頼じゃない。
ただの冒険でもない。
国を挙げての任務。
断ることなど許されない。
私たちは顔を上げることなく、声を揃えた。
「はっ! 賜りました!」
その時の私は、まだ知らなかった。
この遺跡が。
後の『ゲーム』の始まりになろうとは。




