人間からヒトへ
『ドボーン』『ザバーン』
流れる川に、二つの物体が落ちて水柱が上がる。
と同時に悲鳴が。
「きゃー! 私、泳げないのよぉ」
フランが顔を上げて助けを求めた。
大雅がフランの後ろから顔を上げて、溺れる彼女を救おうとするが、直接触れることが出来ない。
あれは――。
「フラン!」
「タイガぁー!」
「大将ぉー!」
二人の姿を見て仲間がそれぞれ叫んだ。
「ウルフ、フランを頼む!」
大雅がウルフに救いを求めると、ウルフが川に飛び込んでフランを救出する。
フランの救出を見届けた大雅が岸に上がると、真っ先にサスケが飛び付いて来た。
「心配掛けたな、サスケ」
頭をさすりながら大雅が言った。
なんと言っても一番に喜んでいるのはウルフ。
フランを抱えて岸に上がったウルフが、
「主人を失っては、この先どう生きろっていうんだよ」
目を潤ませながら言った。
朝倉大雅とフランは異世界に戻って来た。
「戻って来たんだな。無事で良かったよ」
ロッチが声を掛け、
「滝から落ちて、死んじゃったのかと思ったよ。お帰り、タイガ君」
涙を拭いながらシングが笑顔で言った。
「一体、どこに行っていたんだよ! 俺達、三日間も一帯を探していたんだぞ。お騒がせな奴だ」
タワンの言葉に、
三日だってぇー! 確か、半日しか居なかったはず。あーあ、まったくぅ、時間の感覚が分かんないや。
時差ボケになったように、頭がスッキリとしない。
「冒険の途中だったからな、是が非でも戻って来たかったよ」
「そうだな。冒険は、これから始まるんだから」
とロッチが笑顔を見せる。
「あそこから落ちたんだな。消えていなかったら、確実に死んでいたよ」
甲賀市に戻る切っ掛けとなった高い滝を見上げながら大雅は言った。
激しい勢いで轟々(ごうごう)と流れ落ちる壮大な滝を見詰めながら、
「ワチラターンの滝、か」
仙人が懐かしむように言った。
「ワチラターンって名前なのか。じゃあ、有名な滝なんだ」
「有名な滝なら、危険だってことが分かっていただろ、フランが死に掛けたんだぞぉ」
タワンが口を膨らませて仙人を睨むが、
「ああ、若い頃に何度か修行に来たことがあったな。すっかり忘れておったわい」
悪ぶれもせず仙人は言う。
「もう、この先、危険な滝は無いんだろうな」
念を押してタワンが聞くと、
「ああ、もう無い。この先、もっと川幅が広がり、穏やかな流れになるはずじゃ」
昔の記憶を思い出しながら仙人は言った。
「向こうの世界はどうじゃった?」
仙人が興味の眼差しでフランに聞いた。
「そうね、まるで別世界だったわ。見る物全てが新鮮に見えたの」
「そ、そんなに凄かったのか……」
ロッチが興奮気味に尋ねる。
「うん、空に、空に飛んでいたのよ。あれは生物じゃなく、絶対に人工物よ。文明の違いを感じる。もっと居たったなぁ」
皆が異世界を想像し、一度、行ってみたいと言った。
仙人が大雅の体を見て、
「ほおう、パワーアップして戻って来たか」
そう言われ、大雅は自身の体を見た。
耳の位置は相変わらず人間のままだが、体が細くなった気がする。
この体、体脂肪率10パーセント以下じゃ……。忍者にとって理想的な体型。師匠が言ったのは、このせいかな?
「そうね。タイガ君、何か変わったよね」
フランも言った。
ほっそりして無駄な肉がない。何より、重力を感じない。脚力が一段と増したような気がした。
体の変化を確かめようと、大雅は目の前の木に登った。
何かが違う、この感覚は……。
踏み込む足にとてつもない力を感じる。
体が軽い。一蹴りが半端なく、より高く跳べるんだ。バスケットのダンクシュートなんて楽勝で決められる。いや、バックボードの上まで届くんじゃないか?
一瞬を捉える一蹴り。まるで、トランポリンの上に乗っているみたいに、スッと、軽々と高く舞い上がる。
脚力が高まったということは、足も速くなったのか?
低い姿勢で駆け出すと、風になった気がした。
百メートル、十秒は余裕で切れるな。最速のチーターにも、付いていけそうな気がする。
異世界を行き来したことで、理想の体を手に入れたんだと大雅は気付いた。
遠くで大雅を見ていた仙人が自慢の髭をさすりながら、
「次から次へと脱皮していくのう。ワシが認めただけはある」
まるで自分の子供の成長を見届けているように微笑んでいる。
でも、変化はそれだけではなかった。
なんか変? 指先に違和感があるぞ。
人差し指に違和感が。よく見るとシコリのようの物がある。
指先に力を込め、手の平に力を溜めて一気に解放、押し出すと、目の前の川に水しぶきが上がった。
――これって。
今度は森に向け力を込める。
木の枝がフワッと揺れた。
やっぱり、反発し合っている。これって、ハンドパワーだ!
更に指先に力を込め、タワンに向ける。すると、
「な! なんだ?」
と驚きの声を上げながら後方に下がった。
明らかに反発し合っている。まるで磁石のように。
「何か、珍しい物に触ったことがあるのか?」
仙人が聞くと、大雅に思い当たる節があった。
「確か……以前、ロッチに、触れると消滅するって注意されてたけど、信じられなくて、試しにフランの指先を触れたことがあったんだ。ものすごく指がくっついて、離れなかった。指が切れるかと思ったよ」
「それだな。その時、指先の中に力が閉じ込められたんじゃろう」
そう仙人に言われ、一斉にフランを見る。
「じゃあ私も、その能力がある、と」
恐る恐る指に手に力を込めると、川に手をかざす。
すると、目の前の水面が浮き上がった。
思った通り、大我と同じ能力。
でも彼女の能力は正反対で、物を引き付ける。
二人が手をかざすと、プラスとマイナスの磁石のように強く引き合う。
「やれやれ」
呆れたようにロッチが言って、
「お前達、一緒に向こうの世界に行って、また戻って来た。二人は結ばれる運命なんだな」
しみじみと言った。
大雅とフランは顔を見合わせて赤らませた。
「フン、それがなんの役に立つんだよ!」
二人の仲に嫉妬したタワンが吐き捨てるように言うと、
「人間の能力を超えた力を手に入れたんだよ」
即座に大雅が言い返す。
今までの鬱憤を晴らそうと、高くジャンプして木の枝につかまり、
「じゃ、勝負だ! 今の俺なら、負ける気はしない」
生意気なタワンを挑発する。
「何を! ノロマのくせに」
大雅の後を追って、タワンも木の枝に飛び付いた。
子ザルのサスケも加わって、大雅と一緒に動き回る。
俊敏な猿の動きと同化している大雅。進化したんじゃなく、退化、猿に戻ったかのような無駄のない動き。
まるで忍者。理想の体を手に入れた気がした。
次の木へと、次々に飛び移って行く。
「バカな! この俺が、ノロマの動きに付いて行けない。あいつ……」
必死にタワンが追い掛けるが、追い付けない。
嘘だろ! イメージ思い通りに、いや、思考が追い付かないほどの体の動き。
足に力を踏み込み踏ん張ると、高く舞い上がり、力強く着地。
更に力強く踏み込むと高々と舞い上がり、ふわっと木のてっぺんの枝に乗る。
パッパッと枝から枝へと伝って動き回る。
まるで石積みの防波堤の上を素早く走っている感覚。
「早い、俺の動きよりも……」
大雅の驚異的な進化にロッチも驚嘆する。
「凄いよ。生まれ変わったんだわ、タイガ君」
瞳を輝かせながらフランが言った。
皆、憧れの目で自分を見ている、と、気を良くして更に動き回る。
自分の動きに酔いしれる大雅。
「何か、体から煙のような物が出ていないか?」
ロッチが異変に気付いた。
「煙? ロボットじゃあるまいし」
何を言ってるんだろう、と大雅は思うも、
「本当だ。俺の身体から煙が……」
大雅の体から湯気が出ていた。
そう気付いた途端、
「あ、あつい! 体が熱い、焼けるようだ!」
体中が熱く、火の中に居るみたいに熱く感じた。
その場にうずくまる大雅を見て、生命の危険に気付いた仙人が、
「こりゃいかん! 早く川に飛び込むんじゃ」
大雅に指示を出した。
『ドボーン』
川に飛び込んで深く潜っていた大雅が顔を出す。
「一体、どうなったんだ? 俺の身体……」
「まだ体が成熟していないのに、無理をしたからじゃ。スピードに体が対応出来ていない。すぐそばに川があったから良かったものの、死んでいたぞ」
「ひょっとして、細胞が壊死。確か、体温が40度を超えると死ぬんだったな」
大雅の顔が青ざめる。
「くれぐれも、無理はせぬようにな」
仙人が念を押した。
「ハハッ、まだ体が出来あがっていないのに、無茶するからだ。ざまーないな。お前はいつまでたっても、俺達のお荷物。やっぱりお前は、ノロマのなんだよ」
恥をかかされたタワンが、ここぞとばかりに嫌味を言う。
「やっぱり、俺はみんなのお荷物なんだな……」
「そんなことないよ、誰よりも早く、格好良かったよ。体が出来上がるまで、慌てず、ゆっくりとね」
川岸にしゃがんで優しく声を掛けたフランが、川の中で落ち込んでいる大雅に手を差し伸べる。
「ありがとう、フラン」
差し伸べられたフランの手を握って大雅は岸に上がるが、
『エーー!』『ウソー!』
声が上がった。
「なんだよ、急に? ビックリするじゃないか」
「こっちが驚くだろう! お前、て、フランとがっちり手を握っているんだぞ!」
「? そういえば……」
二人が顔を見合わせる。
「消えない……。何故?」
異世界に戻ったことで、人間からヒトになり、触れても消えることがない体質になった。
二人は結ばれたが、これを良く思わないタワンが、より厳しい目を向ける。
「俺は、二人の交際を認めていないからな。俺の目の前で、絶対にイチャつくなよ!」
「あいつを見返してやれると思ったんだけどなぁ」
と落ち込む大雅。
相変わらずのノロマだけれど、フランに触れることが出来るんだ。こんなに可愛いフランがそばに居てくれるだけで、俺は幸せ者だ。
横に並んで一緒に座っているフランを見て、
いつ見ても、フランは可愛いなぁ~。特に猫耳が。人間で言うところの、耳の辺りはどうなっているんだろう。髪に隠れていて見えない。
何故か彼女を自由に出来る気がした。
そんな大雅の気持ちを察してか、フランが体を寄せて来る。
思わず、サラッとしたフランの銀髪を掻き上げようとするが、僅かに顔をそむける仕草をした。
ここは恥部なのか?
悪いことをしたと、慌てて「ご、ご免」と謝るも、
「ご免なさい、つい反射的に。この場所は急所なの。触れられると、めまいがして倒れそうになる。私達猫族の弱点なの」
猫族の弱点か。そういや人間も、こめかみを拳でぐりぐりされると痛いし、ボクシングのテンプル攻撃と同じで、人間の急所だもんな。
「でも、私達、触れ合うことが出来るようになったんだから、タイガ君の好きにしていいよ。見たいんでしょう」
いたずらっぽくフランが言って、顔を赤らませた。
そうか、そうだよな、お互い好き合っているんだから。
イチャつく二人にタワンだけが鋭い視線を向け、
「いつまでくっついてんだよ! 弟の前でイチャつくな」
デレ~ッとして鼻の下を伸ばしている大雅に釘を刺した。
「向こうの世界から戻る時も、なんらかのアクションがあったのよね」
「そう。鏡のように映った川に飛び込んだんだ。橋から落ちて、初めてこの世界に来た時と同じ原理で来れたんだ」
「こっちの住人になったから、素早い動きが出来るのね」
「やっと、夢に見た忍者になれたんだ」
「これで、本当の仲間になったんだね。同じヒト、人間じゃなくヒトに」
「そうだ、そうなって欲しい」
「じゃあ、もう、戻れないのね……」
この言葉は、二度と故郷に戻れないことを意味する。
「……」
一瞬見せた大雅の寂しげな表情をフランは見逃さなかった。
向こうの世界に家族や友達が居る大雅。
こっちに居てはいけない。いつかは帰らなければならないとフランは思った。出来れば、一緒に大雅の世界に行きたいとフランは強く願うようになった。
「行こうか、誰かさんのせいで足止めを食った。遅れを挽回するぞ!」
タワンが急かした。




