神隠し
滝から落ちて、気を失っていた大雅が意識を取り戻した。
川の流れる音が聞こえる。
それだけではなく、異世界ではなかった騒音。
車の音?
目を開くと、目の前に橋が見えた。
あの橋から落ちたんだ……。
ハッとして上体を起こした大雅が、
ここは、甲賀か? 戻って来たんだ。俺、生きてるよな。
頬を何度も叩いて、痛みを確認する。
橋から飛び降りた時の格好のまま。学生服に黒マスク。
あ! そうだ。フランは? しっかり手を握って、一緒に消えたはず……。本当に、消滅してしまったんじゃ……。
慌てて一帯を探す。
すると、一匹の猫が近付いて来た。
クリーム色で、足や顔が黒い。スラットっとした胴体に、逆三角形の小さな顔に青い目。とてもスマートで気品のあるシャム猫。
まさか――。
その証拠に、赤いスカーフを付けている。フランが身に付けていたのと同じスカーフ。
シャム猫は逃げないで、目の前で飛び跳ねて大雅の肩に乗った。
猫はゴロゴロと喉を鳴らしている。リラックスしている証拠だ。
初めて会う人間に、野良猫がこうも懐くはずがない。
猫の顔を見ながら、
「お前、フランか? フランなのか」
有り得ないとばかりに言うが、
『ニャー』
と鳴く。
「――じゃあ、フランなんだな」
大雅は確信するも、
そうだとしても、こうして触れているのに、何も起こらないぞ。
言って猫を撫でる。
フランが猫になったからか? そうだとしたら、もうあの世界には行けないんじゃ……
猫の手を握って、
こうして握り締めても、なんの変化も起らない……。一緒に来れたのはいいが、猫の姿じゃあ可哀想だ。
猫の顔を見ながら、
「必ず元の姿に戻してやるから、少しの間、この姿で辛抱していてくれよな」
とは言っても、どうやったら人間の姿になれるのか、大雅には分からない。
普通に考えると、異世界に行けば元の姿になれる。でも、肝心の戻り方が分からない。
このままじゃ駄目だ。フランが猫のままなんだから。やっぱり向こうの世界に戻ろう。何より、まだやり残したことがあるんだ。任務は全うしてこそ、真の忍者。なんとしても戻って、やり遂げるんだ。人間には知識が、秘密道具がある。
「これこれ、これさえあればなんでも分かる」
大雅が学生服のポケットからスマホを取り出すと、時計の時間を見て驚いた。
――えっ、そんな馬鹿な。一時間しか経っていない。確か、五日、いや、十日間はいたはず。まさか、夢じゃないよな……。一体、どうなってるんだ? 今は、驚いている場合じゃない。まずは、検索だ。
『異世界』『触れると消滅』
とキーワードを入れていくと、一つの答えにたどり着く。
『反物質』と出てきた。
反物質って、聞いたことがある。
『約138億年前、ビッグバンによる宇宙の誕生と共に、二つの物質が生まれた。物質と反物質。物質と全く逆の性質を持つ反物質。反物質と物質が出会えば、一瞬のうちに消滅する』とある。
じぁあ俺は、反物質の世界に行っていたのか……。相いれない二つの世界。だから、俺とフランが触れると消えるんだ。
不思議な体験を思い起こせば、全てが繋がる。
更に、詳しく調べる。
『宇宙に存在する星や生命などは、粒子によって構成された物質で出来ている。物質の最小単位である素粒子は、プラスの粒子とマイナスの反粒子があり、反粒子は電荷などの正負が逆なほかは、粒子とそっくり。その集合体である反物質は、鏡に映ったように質量や寿命などの性質は全く同じで、物質そっくりの、あべこべ世界を形づくる』とある。
なんのことだか、さっぱり分からない。ただ、俺に分かることは、この世界には物質と反物質があり、それが触れると消えるということ。じゃあ何故、人だけに反応するんだ? 木や水に触れてもなんともなかったのに……。より近い人間同士が触れると、消滅するんだな。じゃあ、どうやったら消えて、向こうの世界に行けるんだろう……。
少し考えて、
爺ちゃんなら、何か知っているかもしれない。
シャム猫のフランが、上空の一点を見詰めている。
見上げると、遠くに飛行機が飛んでいた。
「あれは飛行機。信じられないだろうけれど、あの中に人間が乗っているんだ」
猫が驚いたように『ニャー』と鳴いた。
「ここは俺の生まれ育った甲賀市、君からだと異世界になるのか。服装が違うし、皆マスクを付けているから戸惑うだろうけれど」
シャム猫のフランに、この世界の実情を話した。
「なんの変化もないように見えるけど、今、この世界は新型コロナっていうウィルスが蔓延していて、大変な時期なんだ。コロナによって、どれほど多くの日常を奪われたことか。入学式、運動会、修学旅行、飲食店での仲間との語らい。病院へのお見舞いや、家族の葬儀すら思うに任せなかった」
憎らしそうに大雅は言った。
「せっかく、こっちの世界に来たんだから、いろいろと案内するよ。滋賀観光で有名なのは、びわ湖バレイかな。ロープウエイで、標高1,100mの雲の上の山頂に着くと、日本一の琵琶湖を一望出来るびわ湖テラスあるんだ。大パノラマの広がる展望デッキからの眺めは最高で、デートにはもってこいの場所だよ。まずは爺ちゃんの忍者屋敷。君には一番に見てもらいたい場所なんだ。忍者、何度も言ってただろう。忍者がどんなものか、一目で分かる忍者屋敷に行こう」
祖父の経営する甲賀の里・忍者屋敷に戻って来た。
「おっ、大雅、帰ったんじゃなかったのか?」
家に帰ったとばかり思っていた祖父が目を丸くして言った。
「爺ちゃん、ちょっと中に入るよ」
シャム猫のフランに、忍者屋敷を案内する。
屋敷内は侵入者から身を守るために作った、からくりや仕掛けが沢山。
隠し扉になる『どんでん返し』や床板を外して作った『落とし穴』、一階から三階まで一気に逃げることが出来る『縄梯子』を間近で見る。
施設内で一人、大雅が呟いている。
「さっきから、何ぶつぶつ言ってるんだ。誰か居るのか?」
不思議そうに祖父が言った。
いっけねぇ、一方的にしゃべっていたから、変に思われてる。
「まさかぁ、誰も居ない、一人だよ、なあ」
言って、大雅が肩に乗っているシャム猫を撫でる。
「どこで拾ってきたんだ? 捨て猫なのに、なんて品の良い猫だ。でもお前んちはマンションだろう、ペットは不可じゃないのか?」
「まあ……。そんなことより、爺ちゃん、別の世界に行くなんて、信じないよな」
「お前、おかしなことを言うの」
「例えば、例えばの話だよ」
「別の世界、か……」
過去を思い起こすように目を閉じて、
「ある」
と祖父が答えた。
「え! あるのか? そんなことが」
「それは、神隠しだな。ワシは見たことがないが、消息不明の事件があった」
「神隠し……」
「子供が急に消えて居なくなる。以前の農村にはよくあった話だ」
子供がある日、突然消息を絶つ現象。
山の神や天狗、キツネ、鬼などによって隠されたものと信じられ、村中総出で鉦や太鼓をたたいて探した。永遠に帰らない場合と、山中でぐったりしている姿を発見される場合があり、話を聞いてもうろ覚えのことが多い。
「それって、どうやったら体験出来るんだ?」
「体験するって? ハハッ、見たことがないのに、知るわけがないだろう」
「そうだよな、俺も偶然に行けたんだから」
「偶然?」
「あ、いや、なんでもない」
「お前の親父も、若い頃、そんなこと言っとったな」
「父さんも? 」
「ああ。ワシらと違って病弱だから、気を失って数時間、寝ていただけだろう」
「そうなのか? 父さんは運動神経が鈍いからなぁ」
「そこは似てなくて良かったな。あいつの場合、家を、忍者村を継ぎたくないと言って、家出しただけなんだから。あ、そうだ。変なこと言っとったな」
「変なこと?」
「ああ。未知の世界の入口の前で引き返したと言っとった。あいつは、血の繋がったワシらと違って怖がりだから、冒険とかには興味がないんだろう。ワシなら、一度でいいから未知の世界に行って、スリルを味わってみたいもんだ」
父さんも、か……まさか、遺伝的なものがあるのかな。
祖父に聞いても帰り方は分からなかった。
あぁ~ぁ、どうしたらいいんだよぉ!
大雅は、以前、祖父から聞いた言葉を思い出す。
行き詰った時、一旦、元の場所に戻り、考えるんだと。
そうだ、川に、異世界に行った橋に行けば、何かヒントがあるかもしれない。
大雅は、杣川大橋に戻って来た。
どうしたら向こうに行けるんだ……。
川下をのぞき込み、河川敷を見る。
ここから飛び込めば向こうに行けるのか? でも、行けなければ大怪我する。
下まで降りて来て、河川敷から上の橋を見上げる。
あそこから飛んで異世界に……。いや、そう簡単には行けない。
目指す答えが見付からなくて、大雅は途方に暮れる。
ぼんやりと流れる川をのぞき込んでいると、ある異変に気付いた。
川の水面を見ると、鏡のように自分の姿とフランの姿が映っていた。
――これって。
揺れる川に映ったシャム猫の姿が人間に見える。
うっすらと、本来のフランの姿に。
閉ざされた気持に光が差した気がした。
「行こう! 向こうの世界に」
シャム猫のフランに言うと、大雅は勇気を出して、ゆらゆらと人間の姿のフランが映る流れる川に猫を抱えたまま飛び込んだ。




