恐怖と水弾
「兄さん……」
森の方角から何者かによる炎属性の魔術とアランの水属性魔術の衝突を感じ、アイリスはアランの身を案じた。それはアランの敗北を危惧しているという意味ではない。
アランは確かに魔力保有量も魔導技術も間違いなくAランク。それは妹であるアイリスが誰よりも分かっていることだ。ただ、アランの魔力保有量はただのAランクどころではない。Aランクより上のランクが設けられていたなら間違いなくそちらの方だろう。
アランは魔導技術Aをもってしても操れないほどの膨大な魔力保有量なのである。それゆえあまり加減ができず、模擬戦などでは相手を傷つけないために攻撃系の魔術を使用していない。
まあそれは回避技術を上げるためというのと、もともと真面目にやらない性格だということも影響してはいるのだが。
アイリスが感じた炎属性魔術はかなりの威力であった。アランが負けると思ってはいないが、普段のように逃げ回っているだけでは済まないだろう。強力な魔術を使う必要も出てくるかもしれない。
そうなれば加減を誤って自分自身の身を傷つけてしまう可能性もあるし、近くにいると思われるローズにも被害が及ぶかもしれない。そうなればアランは自分を責めるだろう。
(兄さんはああ見えて繊細ですからね……)
ふふっと、外見の変化はほとんどないままアイリスは笑った。あまり感情が表情に出ることのないアイリス。そうでなければアランに対してももっと素直になれていただろうかとも思ったが、素直になれなかったかゆえにこうなってしまったのかもしれない。まあ、それは今考えても仕方のないことだ。
今はそれよりも―――教室の外の廊下で魔力を隠している三人組の方が問題だ。
アイリスの感覚をもってしても、教室のすぐ傍までくるまで気付くことができなかった。相当な魔導技術、魔力操作である。
学園の関係者ということは考えにくい。それなら魔力を隠す必要はないし、これ程の魔導技術を持ったものはアランかサダルしかいないだろう。もしかしたら担任のキールもそのレベルに到達している可能性があるが、アランは森、サダルは学園長室にいるはずなので人数も合わない。まず間違いなく、アランが交戦している者の仲間だった。
意識を向けていると、三人のうちの一人の気配が強くなる。魔術発動のため体内に魔力を巡らせていた。
体内に魔力を巡らせることで魔術の発動を速めることができるが、反対にアイリスはそれをしない。
理由は主に二つ。一つはアイリス自身の力を敵にも、そして周りにいる生徒たちにも知られないため。
アイリスは常に己の持つ魔力を隠している。いや、隠しているというのは適切ではない。アイリスの魔力保有量は他人から見たらBかCかというところ。つまり偽装しているのである。
――力を知られれば、どんな形であれ必ず面倒事に巻き込まれる。だからお前はせめてBランクまでにしておけ――
今でも鮮明に覚えているアランからのアドバイス――いや、命令。アランはアドバイスのつもりだろうが、アイリスは勝手に命令されたことにしていた。
アランも元々は並のAランクほどの魔力保有量であったが、ある時を境に急激に増大し、今に至る。いずれアイリスもそうなってしまうかもしれない、というアランなりの配慮である。
現段階ならこのクラスで一番の魔力保有量なのはダニエレかレミナスのBランクだ。相手にそう思わせておいた方が都合がいい。
そしてもう一つの理由だが、こちらは単純明快。その必要がないからである。
相手が魔力を循環させ初めてから約二秒、魔力がより強く感じられるようになり、壁越しに水属性の魔術が放たれた。
アイリス以外の生徒が敵の存在に気が付いたのは、この瞬間だった。
「『水盾』」
アイリスは小声で魔術を唱えた。その瞬間席生徒たちが座る席と壁の間に厚さ一センチにも満たない水の盾が現れる。
そして直後、教室の壁を貫通してきた水の球……『水弾』と衝突し、破壊された壁の破片までもが水の壁へとぶつかった。細かい破片が空気中を舞い、視界が遮られる。
アイリスは相手がそれ以上の魔術を使おうとしていないことを確認し、魔術を解除する。だが、相手が追撃してこないからといって事態が解決したわけではない。
「きゃぁぁっ!」
「おい、なんだ今のは!」
視界が悪い中、状況を把握しきれていない生徒たちが叫び声を上げた。混乱が更なる混乱を招き、生徒たちの体内の魔力の流れはめちゃくちゃだ。精神が安定していなければ、満足に魔術を操ることはできないと言われているが、今の生徒たちはまさにいい例だった。
「あれ、まったく壊れてねーじゃん」
ようやく視界が戻ってきたかという頃、その声で教室の空気は一変した。生徒たちの叫び声が一瞬で止む。冷静さを取り戻したわけでも驚いたわけでもない。
圧倒的な恐怖。それを生徒たちは感じ取っていた。
黄土色の髪にギロリと大きく開かれた目。声の主が、先ほど放たれた『水弾』の発動主と同一人物であることが分からない生徒は、ここにはいない。分かってしまうからこそ、恐怖しているのだ。
「さすがヴェレリア魔術学園といったところでしょうか。ただの教室にもこれほどの防御結界が施されているとは」
「こんな餓鬼どものために兄貴の一撃を防げる結界なんて、もったいないなんてもんじゃないな!」
それに続いて、二人の男が教室に足を踏み入れた。眼鏡と帽子を身に着けた理知的な印象を受ける若い男と、魔術師というよりは拳闘士なのではないかというほど筋骨隆々とした大柄の男である。
「というか、なにを考えているんですかあなたは。結界があったからいいものの、これで対象が死んでしまったらどうするつもりだったのです」
「それはねぇ。お前は知らないだろうが、貴族ってのは後ろの方に座んだよ。ちゃんと外してあんよ」
男の言う通り、廊下から放たれた魔術で破壊された壁は前方三分の二程度。貴族であるダニエレやシャルルが座っている席に『水弾』は向けられていなかった。
「そういう問題ではないでしょう。まあ、いいです。結果的には問題なかったですし。今はそんなことより……」
「シャルルってやつの誘拐が最優先、だな!」
「ですね」
大男は口を大きく開けガハハと笑った。その様子は一見親しみやすいように見えるが、目は獲物を追う獣のそれだ。その目を見た生徒たちはびくっと身体を震わせる。だが……彼らはまだましだといえるであろう。
その視線の向いた先――後方の席に座っているシャルルと比べれば。
自慢の金髪は先ほどの砂煙で汚れ、瞳には恐怖の色が浮かんでいる。
「あなたがシャルル・サンドレアですね? こちらに来ていただけますか」
「あ……わ、私……、あの……」
帽子をかぶった男が言うが、シャルルは身体が思うようには動かなかった。声を出すことも満足にはいかなかった。
「はぁ、仕方ありませんね」
そう呟き、男は魔術を発動させる。直後、シャルルの身体が宙に放り出された。
「ヒィッ――」
そんな悲鳴を上げたのは生徒の誰だったのか。強風に煽られ、シャルルの身体は回転しながら男のもとへと向かってゆく。落ち方によっては絶命の可能性すらある。
一瞬後に起こることを想像し、ほとんどの生徒たちは目を瞑った。クラスメイトが死ぬ瞬間なんて見たくない。誰だってそうだろう。
そんな中一人だけ魔術を発動しようとする生徒が一人。
レミナスは瞬時に体内に魔力を巡らせ、風魔術でシャルルの落下の衝撃を抑えようとする……が、隣に座るアイリスに腕を掴まれ、その瞬間準備していた魔術は消え、体内の魔力も沈静化した。
直後シャルルは急激に減速しふわりと床に落ちる。帽子をかぶった男の魔導技術の高さが成せる業であった。
魔術の発動を止められたレミナスは驚いた表情でアイリスを見るが、アイリスの視線は侵入者の男三人組に向けられたままだった。
「おら、立て……ってこいつ、気絶してんじゃねえか」
「まあ仕方ないでしょう。ドル、運んでください」
「お前が命令するな!」
「もうここには用はありません。早く行きましょう」
帽子をかぶった男は大柄の男にはまともに取り合わず、教室を出ようと踏み出した。
「まあ、まて」
だが、おそらくリーダーと思われる黄土色の髪の男の一言で足を止めた。
「こいつら、俺らの顔見たよな?」
そう言って生徒たちをぐるりと見回す。続く言葉は、今の生徒達にはあまりにも無残なものだった。
「じゃあ全員生かしてはおけねぇよなぁ」
黄土色の髪の男が、水属性魔術を発動する。生徒たちは死を悟ることしかできなかった。
先ほど壁に穴をあけた魔術。あれが発動されれば、例え冷静さを保っていて対抗しようとしたところで死は免れない。それだけの実力差が生徒たちとこの男の間にはある。
――たった一人、ペールアイリスの髪の少女を除いては、だが。
そこからの展開は一瞬だった。
男が魔術を発動した瞬間に、アイリスも魔術を発動していた。
属性は同じく水。僅かばかり後に準備を始めたアイリスだったが、魔術が完成したのはアイリスが先だった。
『水弾』は、基本的に五~一〇の水の球を高速で打ち出す魔術であり、今回のアイリスの魔術もその範囲内、五発の水球を放つものだ。
ただ、普通の『水弾』と大きく違う点が一つ。それは球の大きさである。
通常ビーチボールほどの大きさだが、アイリスの放ったのはピンポン玉よりも小さい、それこそ銃弾ほどの大きさだ。
一つ目は黄土色の髪の男の手を正確に貫き、発動直前だった男の魔術を破壊。そして二つ目は男の側頭部へ着弾し……そのまま貫通した。三つ目と四つ目は帽子をかぶった男と大柄の側頭部に着弾し、同じく貫通。
五つ目だけは普通の大きさで、窓に向けて放たれていた。威力は黄土色の髪の男が壁を破壊したものよりも上。ガラスのみならず窓枠も破壊するのは当然といえるだろう。
そしてアイリスは窓に向けてもう一つ、風属性魔術『風柱』を放つ。
ここまで、一秒にも満たない間の出来事である。
窓ガラスの割れる音と、男たちの短い断末魔のみが教室にとり残された。
何が起こったのか、生徒たちには全く理解ができていなかった。初めの『水盾』同様、アイリスの魔術発動の兆候は黄土色の髪の男の魔力に気を取られていた生徒たちには知覚できていない。
唯一レミナスだけはアイリスが何かしたのだということは理解していたが、具体的になにをしたのかはレミナスにも分かっていなかった。
後には三人の死体と気絶したシャルル。
「兄さん……」
事態を解決した張本人であるアイリスは、何事もなかったかのように、しかし先ほどとは違う色合いを込めた声で呟いていた。
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